酒呑み散歩 下北沢・宮鍵(再配信)
「剣菱」で、まず思い浮かべるのは「こち亀」の両津勘吉が8歳から、ずっと呑み続けてきた酒。いちばんすきな酒。その話を、ずっと覚えて続けてきて、初めて呑んだ日本酒が「剣菱」だ。旨くなかった。
2013年になってHPができた「剣菱酒造」。その酒の好き嫌いはあるが、日本酒の歴史で、知っておきたい酒蔵のひとつだろう。
HPのトップページにも書かれているが、1505年創業の「剣菱酒造」は、500年間で蔵元(酒造)家が5回も変わっている。それでも愛されて、呑み続けられて現在に至ったのは皆様のおかげだと書かれている。そして、その歴史を残すためにHPを始めたという。まあ、500年の歴史という銘柄(ブランド)を売買で繋いできた感もあるが。
実は1505年創業というのは明らかでない。当時の、どの文献にも「剣菱」の銘は書かれていない。文献には「剣菱」のロゴマークが描かれているだけ。ロゴマークはあっても、銘はわからない。その後に、そのロゴマークの付いた酒が江戸で飛ぶように売れるようになり、「剣菱」と呼ぶようになり、「剣菱」という銘になった。
「剣菱酒造」は、かつては酒処で有名な伊丹にあった。1929年に、上質の酒米「山田錦」や上質の水「宮水」があり、「灘の生一本」で知られる灘五郷のひとつ、御影郷に酒蔵を移した。
地元では葬儀の時に用いられるために、「弔い酒」といわれている。神社でも、よく酒樽を納められている。また、赤穂浪士が討ち入る前に蕎麦屋で杯を交わした酒といわれている。
一時期、他の酒蔵から酒を買って、「剣菱」の銘で悪質の酒を売ったという噂話があった。そういう噂話が、酒の好き嫌いとは別に避けられてきた理由かも知れない。
最近は、純米吟醸のすっきり淡麗辛口、フルーティな酒が好まれるが、「剣菱」は真逆のどっしり辛口という好き嫌いのはっきりした酒だ。500年間とは言い切れないが、ずっと作り続けてきた酒。大きい酒蔵でありながら、酒だけは歴史を受け継がれてきたようだ。
ちょっと辛口(笑)な文面になってしまった。
ただ、日本酒を呑む機会が増えて、「剣菱」を久々に呑んだが、旨かった。昔の日本酒らしいというより、「剣菱」らしいというかんじ。下北沢に「剣菱」があるのが、とっても嬉しくて呑んだが、やっぱり旨い。もし、呑んでないなら。もし、呑まず嫌いなら。ぜひ。

