月子です。

ずいぶん長く更新できませんでした。

ちょっと落ち込みの期間が予想以上に長くなって・・・

これからもチョイチョイこういう時はあると思うので、そこのところは許していただけると幸いです。


えーと

落ち込んでいる期間中に、誕生日がありました。クラッカー

夫は仕事でほとんど会社に泊り込み状態だったので

ひとりでシャンパン開けてシャンパン、ひとりでチーズとオリーブと生ハムを皿に並べて、ひとりで乾杯しました。


・・・・・


さびしくなんかないですよー  ・・・・よーっ・・・・よーっ・・・

(と叫ぶテスト)



もう三十路にどっぷり。

この前、人と話していて大学卒業以来という意味で、××年ぶり、と言おうとして

計算まちがって、結果的に2つばかりサバを読んでしまったのですが

もうねー

30過ぎてしばらくすると

2~3年の誤差なんて、どうってことなくなるよね(自分的にね)

どっちみち三十路ってんじゃん、みたいなね。


それでも独身なら、今はやりの婚活やら女子会やらで、若い気分を味わえると思うんですけど

主婦なんぞやってると、もう三十路も半ば過ぎれば

魚で言えば、生じゃなくて干物、な雰囲気ですよ

ただしまだ脂っ気はある。これから干されるにしたがって、脂っ気は抜けて干からびて、いずれ枯れた感じに・・・・落ち葉


はっ!鰹節なら超高級品ですやん(`・ω・´)!(鰹節なら)


大事に戸棚にしまってもらえるくらいの品になりたいもんですね


ケーキケーキケーキケーキ


鰹節でいう、カビ付けにあたるのかどうか分かりませんが

今までできなかったことをできる技術を身につけたいなー、という気持ちは確かにあって


それは鬱を直すために、自分への自信の回復が不可欠という事情もあってのことなんですが


そのために、家事のやり方とか、時間管理のやり方とか、ちょこちょこ勉強をしています。

そういう日常のことに加えて、芸事、というか、

自分自身を豊かにしたくて、最近はじめたのが

ひとつは語学(手始めに英語。ありがちですね)

もうひとつは字の練習。


最初は、博物館や美術館が好きなので、そこに展示されている作品の文字(草書)が読めるようになりたいなーということだったのですが

それなら読むだけより書けるようになったらさらにステキやん、と書道教室に通う方向に考えを変え、

いやー、でも、書道って準備するの大変やしなー(高校のとき芸術科目は書道選択だった)、

もっと手軽にペン字の練習からはじめてみるかー

と、本屋さんでペン字練習帳を買ってきたのですね。(どんどん怠惰な方に流れていきますね)


お手本があって、薄い字の形をなぞる欄があって、一マスを点線で四分割しただけの欄があって、最後に無地のマスの欄がある、というやつです。

最初はひらがなから。

お手本を見つつ書いていくんですが、

これが結構難しいし、時間かかるし、でも楽しい音譜んですよね。

字にはひとりひとり癖があって、お手本の字形がすべてでは無いと思うんですけど、それでも


へー、「を」ってこんなバランスで書くんやー、とか「ゆ」って形取りにくいなーとか、

「さ」とか「れ」とかも、形に注目して書いてると、やっぱりひらがなって元は漢字やなーと思えて


ああ、日本文化日の丸はこのようにして中国中国の文化から分岐し、独自性を獲得したのか


というような感慨に浸ったり。(←大げさすぎやろ)


でもひらがなのあの優美な曲線とか、形の大胆な省略とか、安定と不安定の間で危うくバランスを取る造形の妙とか、元は漢字の草書体なんでしょうけど、それ自体として日本的美学の結晶だと思いません?

大陸風の構築的な、物質的な作風(私は中国のあの隅から隅まで何かで埋め尽くさずにはいられない、というコテコテな文化も大好きですが)とは違って、

字形からインスピレーションや気分だけを抽出してみせたような

あえかにかよわき、というか、もののあはれというか、軽やかで情緒的な、そんな印象があります。

やっぱり、日本の文字やなあ、と感心すること頻り。(ちょっとナショナリスティックすぎかな)


それと

お手本を見つつ字を書く(写す)というのは、字の意味ではなく形に神経が集中するので、頭の中から雑念が取り払われて、終わるとすごくすっきりした気分になりますね。

鬱の人向きです。

高野山にこもったとき、寒すぎて試せなかった写経も、やはり同じような効果があるのかもしれませんね









月子です。


昨日ぐらいから、何か調子いいんですよo(〃^▽^〃)o

葉山に行ってから、何と言うか、休みボケな感じで、ちょっとやる気なかったんですけど


昨日から、何か昇り調子again ガッツ


さて今度はいつまで続くんだろう・・・


最近、自分の気持ちの上がり下がりを把握しようと、手帳に気分記録をつけ始めました。

最初はPMS対策というか、さほどひどくは無いのですが、生理前になるとイライラが募るタイプなので

どのくらいのタイミングでそういう日が来るのか知りたくて始めたのでした。

でもそのうち、「別に生理前でなくとも、気分に振り回されてるじゃん・・・」ということに気づいたもので。

今や毎日つけています。


やり方はこんな感じ。


日記として使っている手帳のマンスリー欄(1ページに一ヶ月のカレンダーが書かれている)のその日の枠内に


やる気無しデイ  ブタのシールぶーぶー

眠いデイ  ひよこのシールヒヨコ

気分がいいデイ  四葉のクローバーのシールクローバー

やる気になったデイ  ハートのシールドキドキ

イライラしてるデイ  黒いブタのシールモノクロブー2


をそれぞれ貼る、とまあ、女子高生みたいなことをしているわけです。


傍からみるとアホみたいな作業ですが、続けていると、


自分(の気分)を客観的に見る訓練 目


になっていいかなーと思えてきました。


鬱状態とか躁状態とか、わたしの場合は程度はそれほどひどくないにせよ

はまり込むと、感情に自分が完全に呑み込まれてしまって、にっちもさっちもいかない、

という状況になってしまいますが

そういうときでも、「あ、記録記録」と思う冷静な自分が一部分でも残っていると、

感情の渦からのリカバーが早いような気がします。


それに、単純に、白いカレンダーがカラフルになっていく(たとえピンクと黒のブタシールであっても)のを見るのは

妙に達成感がありますし(達成感を感じてる場合じゃないけど)


あー、今月もちゃんと生きたなー。かお


と、月末にほっこりした気分で一ヶ月振り返れるという、ただの自己満な楽しみもできます。(`・ω・´)キリ!


なお、一日の気分がめまぐるしく変わる日は、変化ごとにシールを貼ってます(ちょっとめんどくさいです)

昨日だと ブタぶーぶー → クローバークローバー と ハートドキドキ みたいな感じで、→で変化も示して。


また、わたしはよく、ほんの一時だけ(10分から30分。時には一日に数回)、ものすごく激しい怒りプンプンやイライラむっの感情に襲われることがあるのですが

その前後がずっとほぼ一日クローバークローバー であったとしても、その一時の黒ブタモノクロブー2 さんはちゃんと貼ります。頭に「一時」ってつけて。


毎日やってるとシールの消費量が半端なくて、少々お金も手間もかかるので

ほんとうは、色ペンとか使って記号やマークを手書きするのが手軽かなーとも思うんですけどね。

でも、鬱になって以来、わたしはどうもこういう 女子中高生 セーラー服 的な何か に惹かれていて

シールとか、付箋の可愛いのとかをせっせと買って使っていたりするんですよね。

ひたすら安っぽくて、ただ可愛いだけで、キラキラした何か


もしかすると、10代の頃に戻って、人生をやり直したいと思っているのかも。


女の子女の子女の子女の子


ええ、痛い三十路ですよねー。 ・・・それが何か?べーっだ!


(さすがにファッションを真似するわけにはいきませんが、それでも最近安っぽい小さいバッグとか、花柄のソックスとか買っちゃった・・・)


月子です。


少し寒くなってきましたね~

これでやっと例年並みといったところなんでしょうが。


わたしはかなりの寒がりなので、そろそろ暖房器具が恋しい季節。

我が家の暖房は主にオイルヒーター。(デロンギ)

昨日、これからの使用に向けて試運転を2時間ほどしました。

(でもまださすがにヒーターつけるには暖かすぎて、部屋がモワッと暑苦しくなったんですけどね)


冬の寒さは苦手ですが

冬に暖かい室内にいることは、夏に涼しい室内にいることより好きです。

何かほっとする雰囲気があって、他人にも自分にも優しくなれる感じ。

人肌恋しい季節といえば、秋から冬と相場が決まっていますが

外が寒ければ寒いほど、中は暖かく、親密さや一体感が強まる感じがします。(しませんか?)


晴れくもり晴れくもり

実家の暖房は、今は床暖房とエアコンメイン(部分的にハロゲンヒーター)ですが

わたしが住んでいたころ(つまり高校卒業まで)は、居間は石油ファンヒーター、両親の寝室は電気ストーブと電気カーペット、父の書斎は石油ストーブ、祖母の部屋はコタツと石油ストーブ、わたしと兄(わたしが中学生のころ、大学進学で家を出ましたが)の部屋は電気ストーブという具合でした。


わたし用の電気ストーブは、ピンク色の小さいもので、それでも6畳の部屋を暖めるには充分。

学校から帰って自分の部屋に入ると、水の量を確認して、時には一階の台所からやかんに水をいれて持ってきて、ジョボジョボと注いでからスイッチを入れます。

水のタンクのところが細長く窓になっていて、どのくらい水が溜まったのかが分かる仕様でした。欽ちゃんの仮装大賞wみたいに、水の線がぐんぐん上がってくるのを見るのが、地味におもしろかったなあにひひ


部屋全体が暖かくなるまでには少し時間がかかるのですが、正面はすぐに暑くなります。

その正面に立って服を着替え、そのまま座り込んで本を読んだり、おやつを食べたり、ぼーっと考え事したり。

ちょうどストーブに向かって座った位置からは、灰色のおどろおどろしい雲を広げた冬空雪の結晶が窓越しに見えて

さっきまで自分がいた寒さを思い出だすと、オレンジ色に発熱する目の前の小さなピンクのストーブが、ますますありがたく愛おしく思えたものでした。

やがて水がぐつぐつと沸騰し、蒸気がシューッシューッと噴き出して、狭い部屋は少し蒸し暑くなってきます。シンとした中、蒸気の音だけが聞こえて、ストーブの熱で頬だけが火照りプンプン、少し眠くもなってくるシラー

誰もわたしの部屋には入ってきません。そこは小さなストーブを中心とした完結した小さな世界でした。


そうしているうちに、蒸気の音の合間に、母が帰ってきて祖母と話す声、夕飯の支度を始める音、父が帰ってきて階段を上ってくる音がしてきます。部屋の外がにぎやかになるにつれ、中の濃密さは薄くなっていき、最後に母の「ご飯よ~」の声が聞こえて、ストーブの稼動はひとまず終了。

スイッチを切って、わたしのひとり時間も終了ということに。


メラメラメラメラメラメラメラメラ


今もcozy roomというと、あのときの冬の自分の部屋の情景が思い浮かびます。

和室を少し改造した(壁紙を白いものに張替え、襖も女の子らしい花柄のものにしてもらい、照明は洋室用の黄色い大きな傘のついたハンギング・ランプ)、せせこましい部屋でしたが

家族や学校に対して感じていた疎外感や反発、苛立ちといった思春期の思い出と、オレンジ色の電熱管や灰色の雲、抱え込んだひざや手のガサガサに荒れた感じ(あまりおしゃれな中高校生じゃなかった)、頬だけが火照ってくる感じが、蒸気のシュンシュンいう音とともによみがえってきて

懐かしさ、というよりはもう少し激しい、こころをぎゅっとつかまれるような感覚に襲われたりするんですよね。


今になってみると、10代のあの頃にもっと快活に外の世界と積極的に関わっておけば良かったなあとも思うのですが

一方で、毎日少しでも、ひとりの時間、ひとりの世界に浸りきった濃密な感覚は、

その後、あっちで転び、こっちで傷つき、自信を失ってヨロヨロと放浪することになるわたしが、自分の原点を探す上で、立ち戻ることのできる情景のひとつとなっていて、その点ではそれで良かったのかなあとも。


そして現在。

我が家も実家も、暖房は、エアコンやら床暖やらオイルヒーターやら、シュッとしたスマートなものにシフトし、部屋の中から赤やオレンジなど、火の暖かさを連想させるものが駆逐されました。

触っても火傷しないし、部屋全体を暖めるし、静かです。

反面、ストーブのような存在感もなくなって、冬の室内がさびしくなった気もしたり。

外の寒さ雪の結晶に背を向けて、内の暖かさにじっくり浸るには、見るからに熱そうな暖かさの中心メラメラがあった方が、雰囲気が出ていいと思うんですけどねー。

まあ、言ってもしょうがないけど。

壁付けのエアコンが火を噴いたり、床がオレンジ色に発熱してたりしたら怖いし。

年寄りの身勝手なノスタルジーみたいなもんですかね。


でも、やっぱりあの小さい電気ストーブが恋しいなーと思うときはあるんですよ。

ああいう冬って、やっぱりいいと思います。