最近独り言をダイアローグ形式でやっている。
もちろん、頭の中で。
口に出して通報されても困るし。(そんなに危険な内容でもないけど)

今までだったら
あれしたいなー、でも面倒かなー。
と頭の中で考えると、そのまま何となく行動に移すことなく終わってたんだけど
ダイアローグにすると

あれしたいなー。
すればいいじゃん。
でも面倒じゃない?
したいんでしょ。すればいいじゃん。
んー、したいってほどでもないかも。
でもやり始めたらすぐだよ。5分ぐらいのもんじゃない?
そっかー。じゃやってみるか。

・・・文字にすると、ちょー怪しい人みたいですね。笑

まあ、ここでいうやりたいことっていうのは、
玄関を綺麗にするとか、引き出しの中を整頓するとか、そういう程度のもので
要するに、今やらなくてもいいんだけど、やっておいた方がスッキリするとか、後で楽というようなものです。

こういうことがこまめに自然に出来る人は
きっと日々をきちんと綺麗に暮らしていけるんだろうなあ。
私はこまめさとは無縁の人間なので
脳内小芝居で怠け者の自分を叱咤激励、だまくらかして、どうにかこうにか働かせてみるわけです。

でも今のところ、けっこう効果あるんですよ。
そしてすぐに結果が出ることをちょこちょこやっていると
自分もそこそこちゃんとした人間なんじゃないかと
妙な自信もついてきちゃったりなんかして。

小さいことって、日々普通に暮らす上では重要ですよね。


人から評価されたい!

という自分の内なる浅ましい感情に気づいた私ですが

次の問題は
さてどうやって評価されよう?
です。

学校時代なら簡単でした。
課題が与えられ、それをこなし、評価される
というのが学校のシステムの根幹ですもんね。

でもそこから離れると
特に
主婦として家に入ってしまうと
評価システム自体がなくなってしまう。

家族のためにこれだけの結果を出した、
というのは主婦側の視点、論点で
当の家族は、大してありがたくも、価値あることとも思っていなかったりして。

そもそも家事って評価するのが難しいですよね。
何をもって成果とするかとか、明確な評価基準とかがないし、
評価者として家族を想定していいのか、とか。
(家事スキルの低い人に褒められたり貶されたりを受け入れられるか?私はダメです。褒められるのでもダメ。アホらしくなってしまうのです。その場ではニコニコ笑ってやり過ごしますけど。面倒くさいことに、評価の正当性にこだわってしまうのね)

評価システムには
明確な基準と成果を吟味できる正当な評価者が必要ですよね。(できれば受けた評価の対価として報酬があるといいですけど)

それが用意できないと
がんばっても空回りで、虚しくて、
明確な評価システムがある外の世界に行きたくなってしまう。(お金ももらえるし)

うーん、
やっぱ外に行く?
そのうちそうするかも。
でも今は、自分を鬱にしたこの場でケリをつけておかないと
またいつか自分がダメになるように思うんですよね。

面倒くさい性格ですよねー。
40になって自分さがしとかダサいなー、イタイなー
と思っていて
だからリアルでは人には絶対言わないんだけど

私はもう10年ぐらい(もしかしたらそれ以上?)
自分探しをしている。

ダサすぎ、かつ、痛すぎですね。

でも、そのために旅に出るとか、肉体労働してみるとか、作詞作曲するとか、出家するとか
突き抜けた行動は何ひとつとらなかった。
ぬるい自分探しでした。

振り返ってみれば
世間的にはまあまあ順調な人生航路で。
いい学校でて、ちょっと働く経験もしてみて、稼ぎのある旦那と結婚して。

結婚してからですね。
自分、これからどうしようって思ったのは。

奥さんになるのに抵抗があったんですね。
家事も料理以外は苦手。
母親が家事もこなせるスーパーキャリアウーマンだったこともあって
稼がず、家事もこなせない自分が辛かった。

自分が実力を発揮できるフィールドは他にあるんじゃないか。
家事について努力しては挫折を繰り返して、その度に自信がなくなって、
ついには鬱になってしまった。

それからは鬱を治そうと努力する傍ら
自分の能力を生かせる場所を求めて、外に働きに出ました。
でもやっぱりそこもしっくり来なくて。

ここで辞めたらまた自信をなくして鬱に逆戻りかも、
という恐怖から、自分を騙し騙し働くこと数年。
今度は身体がおかしくなって、結局退職。

できる範囲で(肉体的にも精神的にも)家事をやりつつ
また自分について、自分のしたいことについて考える日々がはじまりました。

でね。
昨日ふと気づいたのです。

それまでは、
働くことが負担で身体を壊したのだから
これからは何をするのであれ、自分のペースで、自分の好きなことを中心に、自己実現ができればいい。
他人に評価されなくても、自分が満足できれば、それはいい人生じゃないかと
そういう話を人にしたこともありました。
その時はそれが自分の本心だと思っていました。

でも、やっぱり違うなって。
私は自分だけの満足で、満足していると自分で思い込むことで、救われるタイプじゃないな、と
突然すごく確信したんですよ。
天からまっすぐ啓示が降りてきたみたいに。

私は他人から評価されたいのです。

子供の頃と同じように
すごいねって
誰かに言われたい。
できれば、能力のある素晴らしい人からそう評価されたいのです。

なんて俗っぽくて、浅ましい考えでしょうね。
40にもなって。

でもそれが本心。
色んなことが腑に落ちました。
私、ダサくて痛くて俗っぽくて浅ましい人間なんです。

なんかすごくスッキリした。笑