今回は質問に答えます。
質問とはずばり、
「ミニマルなライフスタイルに憧れるが、たくさんものを持っていてそうすることができない」
です。
まず、断捨離は誰にでもできます。
質問者さんもたくさん捨てています。
しかし、このときあることに気づかなければ、あけたスペースにはまたものが溢れます。
それは、まず「足るを知る」
私にも難しい考えで、以前ナーラダ仙とクベーラ神と物乞いの逸話をご紹介したと思います。
器は頭蓋骨でできており、穴から財宝がこぼれ落ちてしまうため、器を満たすことはできない…そういう話でした。
そして、断捨離によって気づくこと。
①要らないものを「買わされて」いること
CMなどで欠乏感を煽られたり、いいな羨ましいな、と感じるだけでそんなに好きでないものがたくさんあること
②物への感謝
ただ処分するだけでは、そのありがたみに気づくのは難しいかもしれません。逆に要らないものとして価値を落として処分する人が多いです。それではおそらく本末転倒。ありがとう、と言って手放すのがオススメ
③不要なもので安心を得ようとしていること
断捨離をしてスッキリするのは、不安から溜め込んだものを解放するからです。ですが、不安にアプローチしなければまた同じ理屈でモノをためてしまいます
ミニマルな生活、ここが難しい
断捨離できたとしてもものがまた増えている、むしろ買い物を楽しんでしまった、そういうかたも多いかと思います
一番難しいのはモノを最低限に保つという部分です。これは完全に適性があるかどうかだと考えています。
「ミニマリスト、羨ましい」で行動すれば、残念ながら多くの場合、モノを買うときと同じ心理で動いているので、またべつの同じ心理でモノを買ってしまいます。
さらに、私は適性のある人以外はミニマリストを目指すべきではないと考えています。
というのも、ミニマリストを目指すと必然的に「これは必要か不要か」という考えが生まれます。
感謝を覚えている方ならば問題ないのですが、この「必要かどうか」だけでモノを測ることは少々危険な側面があります。
極端にいくと「自分は社会に必要かどうか」という疑問へとぶつかります。
そのときYESと言える人は「生かされていることへの感謝」という、おそらくミニマルな生活の基礎的な考えに行き着くのですが、すべての人がそうではありません。
自分は社会に必要ない、社会から見放されている、社会に役に立たない人は必要ない、そんな考えと隣り合わせなのです。
極端な話なのですが、有用性を重視してきた私自身がこれに苦しみました。
そもそも人を必要か不必要かで判断すると傷付けます。
モノも同じように傷つくかもしれない…そう想像できる方は、きっと向いているのだろうと思います。
こちらの記事に実際モノを整理してみての感想があります。断捨離との付き合い方のヒントになるかもしれません↓