そのままのあなた自身に
ありがとう〜と笑顔になれる
四柱推命セラピストの岩﨑 伸子ですニコニコ



離婚したことや
子ども達との3人暮らしは
載せてきたけれど、
それより前の自分の幼い頃から
離婚にいたるまで、も
今日から書いてみようかと。



おつき合い頂けると嬉しいです。



まずは私の生い立ちから。



父は農家の4人兄弟の長男、
母は自営の5人兄弟の4番目。



サラリーマンの父と
家事手伝いの母がお見合いで
出会って結婚。



それから3年ぐらいは 転勤が
こまかくあって忙しかったらしい。



それが少し落ち着いて
山口県の宇部に引っ越してから
私が生まれた。



出産は母の実家近くの産院で、
1971年11月18日の20時ごろ。



自分の出産の様子を
詳しく耳にする小学生までは
産むのが大変だったとしか
聞いておらず、
スクスクと成長していった。



県内に両親の実家があったので
盆正月は祖父母宅に行って
可愛がってもらったり
従兄弟たちと遊んだり。



自分が生まれた2年後に
弟が産まれてから
私が4歳ぐらいまでは、
自分の気持ちを
そのまま口に出す
やりたい事でどんどん遊ぶ
活発な子どもだった。



いわゆる団塊世代の
会社で働く父と専業主婦の母、
子ども達2人の4人、という
絵に描いたような核家族だった。



弟が大きくなって
行動範囲が広がっていくと
小学生までの間は
母は彼の糸が切れた凧のような
奔放さに振り回されていた。



それを横で見ていた
わたしが
何を思ってどうしていたのか、、は
また次回に。



お読みくださって
ありがとうございました。







今の自分なら、、

人はそれぞれ
この生き方でいきたい、と
親と星廻りを選んで
産まれてくる、と知っている。



だから母にはまず、
子ども達(私と弟)の星廻りを観て
この子はこうしたい、と
選んできたんだな〜を
あらかじめ理解できる事を
伝える。



そうしたら納得するぶん
気楽になるし、母も余裕ができて
本人からの話を
リラックスして聞ける手助けが
できるなぁ。