【東大教室】ブログ上公開演習➐-2(解説)の続きです。

問題は、【東大教室】ブログ上公開演習➐-1(問題)で確認してください。

 

演習➐ 近代(総合)

無産政党と社会体制

 

解説

 

四角グリーン1920年代後半の社会状況①

 

次に、1920年代後半の社会状況について考えたい。

 

最新版教科書では、ターミナルデパートの様子を伝える「阪急電鉄の本社事務所」の写真や、新聞の普及を示すグラフ「『大阪朝日新聞』『東京朝日新聞』の発行部数」などが新たに追加された(いずれも『詳説日本史B』)。

 

ここでは、1922年から新聞連載が開始されて大ヒットした麻生豊(あそうゆたか)『ノンキナトウサン』(4コマ漫画)を紹介しておくことにしたい。

この漫画は、主人公の「ノンキナトウサン」と相棒の「隣のタイショウ」コンビによる騒動を描いたもので、ほのぼのとした描写が特徴的だった。

 

とはいえ、主人公が貧しい中年の失業者だったところに、この時代に漂っていた雰囲気が象徴的に示されているといってよいだろう。

 

「ノンキナトウサン」(1925.6.30)

「トウサン、いっそのこと泥棒にでもなるか」

「つまらないことをいっちゃいけない、そんな決心するにはまだ早いよ」

 

「タイショウ、みろ、そんなことを考えてると、

ここにはいらなくちゃならないよ」

「刑務所だね」

 

「ねぇトッサン、泥棒なんかこのなかで何してるの」

「仕事をさせられてるんだよ」

 

「うらやましいな」

『報知新聞』夕刊 https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/101.php より。

 

四角グリーン1920年代後半の社会状況②

 

さて、1920年代後半前後の時期の社会が有した特徴の一つとして、マルクス主義と呼ばれる社会主義的な言論が知識人のあいだで強大な影響力をもつようになった点を指摘することができる。

 

演劇の実験室として創設された築地小劇場でプロレタリア劇団による演劇の上演が始まったのが1926年、プロレタリア文学運動の代表作である小林多喜二『蟹工船』徳永直『太陽のない街』が機関誌『戦旗』に発表されたのは1929年のことだった。

 

また、1920年代後半から1930年代にかけて、日本のマルクス主義者は二陣営に分立して「日本資本主義論争」を展開した。

 

その際、各国共産党の上部組織コミンテルンに指導された日本共産党および知識人グループ(野呂栄太郎・山田盛太郎(もりたろう)・羽仁(はに)五郎ら)は、岩波書店刊の『日本資本主義発達史講座』に結集して活動したところから講座派と呼ばれ、それに批判的な知識人グループ(山川均(ひとし)・荒畑寒村(あらはたかんそん)・大内兵衛(ひょうえ)ら)は、雑誌『労農』を刊行して活動したところから労農派と呼ばれた。

 

論争の基調には、日本における革命を、天皇制打倒のブルジョア民主主義革命から社会主義革命への急速な転化=二段階革命として展望するか(講座派)、それとも、明治維新のブルジョア革命的性格を強調しつつ社会主義革命を一挙にめざすか(労農派)、という革命戦略をめぐる路線対立が存在した。

 

この講座派・労農派については、最新版教科書が新たに記述を加えた事項の一つでもある。

注意しておきたい。

 

【東大教室】ブログ上公開演習➐-4(解説解答)に続く。

 

 

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