*「04東大日本史本試Ⅱを考える①」の続きです。
*問題は「東大教室(04東大日本史本試Ⅱ 問題)」をご覧ください。
第2問 中世・近世(社会経済)
中世~近世の貨幣流通
解説②
設問Bの考え方Ⅰ 貨幣の機能
東大日本史で貨幣流通の問題が正面から問われたのは、この2004年度の問題が初めてだというわけではないが、代表的な類題として1995年度第2問(鎌倉末~室町時代における商業・貨幣流通のあり方)が指摘できる程度で、あまり例がない。
設問Bについては、本題にはいる前に貨幣の機能を再確認する作業をしておきたい。
貨幣の一般的な機能として、次の点を指摘することができる。
商品の価値を表示して比較・計算を可能にする機能
支払いや交換・流通のための手段(債務・給与などを決済したり交換の媒体となったりする機能)
富の蓄蔵手段
ただし、中世社会においては、当初からこれらの機能をあわせもった貨幣が登場したわけではなく、設問Aで考えたことを背景に、14世紀になってようやく宋銭が統合的な貨幣機能を果たすようになった。
こうして貨幣経済が浸透していくなかで、写真②の永楽通宝は、日明貿易(勘合貿易)によって大量に日本に流入することとなり、16世紀以降、精銭の地位を確立して特に東国では基準通貨として流通していった。
設問Bの考え方Ⅱ 埋蔵された経過
永楽通宝が土中から大量に発掘される事態(大量出土銭)については、今のところ2つの学説が対立しており、本問はきわめて論争的なテーマがそのまま出題されたことになる。
第一は「備蓄銭論」と呼ばれる学説である。
この学説によれば、大量出土銭は、必要な時に掘り返して使用するために地中に備蓄されたもの、ということになる。
それは、火災・放火、戦乱の際の略奪、領主の検断(とりしまり)、強盗・窃盗、風水害など、さまざまな災厄に対処する危機管理の手段であり、利益として備蓄された資金は寺社造営の費用などにあてられた。
第二の学説は「埋納(まいのう)銭論」と呼ばれている。
この学説では、大量出土銭は、人々が開発計画などを実地に移す際に土地の神仏に対して捧げる呪術的な銭貨である、と理解されている。
中世社会においては、土地開発などにあたって神仏から許可を得ることが不可欠だという意識が強くみられ、この観念の存在が「埋納銭論」の前提になっている。
解答例は、第一の学説にもとづいて作成した。
問題全体の流れが流通・経済面に焦点をあてたものになっていること、
永楽通宝の写真だけで受験生に大量出土銭の呪術的側面を答えさせるのには無理があること、
この2点がおもな理由である。
設問Cの考え方 幕藩体制の確立と貨幣のあり方
「①(皇宋通宝)②(永楽通宝)が流通していた時代から③(寛永通宝)が発行されるまでに、日本の国家権力にどのような変化があり、それが貨幣のあり方にどのような影響を与えたか」という長い題意を整理すると、4つの論点が浮上してくる。
この設問Cではまず、論理構成力が問われることになった。
整理 設問C 4つの論点
ポイントは、「①②が流通していた時代」、つまり中世全体の「国家権力」をどのようにまとめるかだろう(表中の★印のところ)。
字数は90字しかない。
ここでも必要とされたのは、設問Aと同様、簡潔な表現力だった。
解 答
B明で鋳造された②は勘合貿易で流入し、商品経済発展に伴って大量使用され、戦乱の中で貯蔵・隠匿を目的にしばしば埋蔵された。
(60字)
C中世では統一的権力は構築されず、貨幣も良銭・悪銭が混用されていた。幕藩体制が確立すると、幕府は貨幣鋳造権を掌握して金銀銭三貨による貨幣制度を成立させ、貨幣の統一化も進めていった。
(90字)