27-12 寛永期の文化(17世紀前半)

 

幕藩体制の確立期にあたる寛永期の文化(かんえいきのぶんか)は、基本的に桃山文化(ももやまぶんか)の継承という特徴をもつものだった。

 

 学問

学問の分野では、上下の秩序を重んじる朱子学(しゅしがく)が政治や生活上の倫理になっていった。

朱子学 下記参照

日本史の基本85(19-2・3 鎌倉文化 旧仏教・神道・文学・学問)

日本史の基本110(24-4 戦国期の文化)

 

藤原惺窩(ふじわらせいか)(京都相国寺(しょうこくじ)の禅僧)の門人林羅山(はやしらざん)(道春(どうしゅん))は家康に用いられ、その子孫(林家(りんけ))は代々儒者として幕府に仕えた。

 

 建築

きわめて華麗な装飾彫刻をほどこした霊廟建築(れいびょうけんちく)である日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)権現造(ごんげんづくり))と、回遊式の庭園内に草庵風の茶室などを配した桂離宮(かつらりきゅう)数寄屋造(すきやづくり))には、寛永期の文化の2側面がよく反映されている。

 

 代表的文化人

この時期の代表的文化人には、

(a) 狩野派(かのうは)から出て幕府の御用絵師(ごようえし)として活躍した狩野探幽(かのうたんゆう)

狩野派 下記参照

日本史の基本109(24-3 東山文化)

日本史の基本119(26-1・2 桃山文化・城)

 

(b) 『風神雷神図屏風』(ふうじんらいじんずびょうぶ)などを描いた俵屋宗達(たわらやそうたつ)

(c) 工芸・書道などの分野で多芸ぶりを発揮した才人本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)

(d) 赤絵(あかえ)と呼ばれる陶器・磁器(陶磁器)の着彩技法(上絵付法(うわえつけほう))を完成させた有田の陶工酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)

らがいる。

 

風神雷神図屏風

京都国立博物館HPより

http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item10.html