26-1 桃山文化の特徴
織豊政権(しょくほうせいけん)から江戸時代初頭にかけての文化を、豊臣秀吉(とよとみひでよし)晩年の居城(きょじょう)である伏見城(ふしみじょう)の地名にちなんで桃山文化(ももやまぶんか)という。
この桃山文化の特徴として、
(a) 新興の大名と大きな経済力をもつ豪商(ごうしょう)たちの生活を反映して豪華で自由な傾向が強いこと、
(b) 仏教色が後退する一方で現実的な生活文化の色彩が強まったこと、
(c) 南蛮文化(なんばんぶんか)の影響が浸透したこと、
などの点を指摘することができる。
26-2 城の文化
城はもともと軍事的な建造物だったが、桃山文化の時代につくられた安土城(あづちじょう)や大坂城(おおさかじょう)(「坂」の字に注意)・伏見城などの城郭建築(じょうかくけんちく)(居館(きょかん)には書院造(しょいんづくり)の手法が用いられた)は、平和と繁栄の象徴として権力を誇示する役割を果たすことになった。
➊ 濃絵(だみえ)
大画面の障壁画(しょうへきが)に多用された、金箔(きんぱく)に極彩色(ごくさいしき)を用いる手法のことを濃絵という。
濃絵の手法で描かれ、城の内部を飾った障壁画は、下剋上(げこくじょう)に勝利した大名の権威を視覚的に高める効果を発揮した。
代表的な画家に、狩野永徳(かのうえいとく)・狩野山楽(さんらく)(狩野派(かのうは))、長谷川等伯(はせがわとうはく)・海北友松(かいほうゆうしょう)らがいる。
➋ 欄間彫刻(らんまちょうこく)
欄間とは、天井と障子(しょうじ)などとのあいだに設けられた開口部のこと。
ここには、豪華な透し彫(すかしぼり)の彫刻(欄間彫刻)が施された。
➌ 水墨画(すいぼくが)
桃山文化は豪快さだけを誇示していたのではなく、反面で、静寂枯淡(せいじゃくこたん)の美を求める精神も健在だった。
きらびやかな装飾画の一方で単色の水墨画も好まれた。
長谷川等伯・海北友松らは、双方に優れた作品を残した。
【姫路城(ひめじじょう)(白鷺城(しらさぎじょう))】
連立式天守閣(れんりつしきてんしゅかく)