「日本史コペルニクス14(3日目の講義③)」より続く。

 

国境問題を考える

 

教科書執筆者の考える明治維新後の近代国家像は、これまでしゃべってきたような国民国家論的な視角と、それにもとづく、さまざまな国の近代化過程の研究に、触発されたり刺激をうけたりする、ということになります。

それは当然、まともな大学なら、毎年の入試問題にも反映することになるはずです。

 

したがって今度は、国民国家論が日本の近代史にどのように寄与するのか、考えてみたいと思います。

ここでは、「初期の国際問題」を題材にしてみます。

 

先ほど、「初期の国際問題」には「領土を明確にし、近隣諸国との国境を排他的に確定する」目的があった、といいましたが、具体例を列挙すると、教科書には次のようなことが載っています。

いずれも、明治初期(1870年代)の出来事です。

 

日本にとっての最初の対等条約である日清修好条規を締結した。

 

朝鮮

日本は、江華島事件(朝鮮に対して日本が砲艦外交を展開)をひきおこして朝鮮に開国を迫り、日朝修好条規(日本が朝鮮に押しつけた不平等条約)を結んだ。

 

琉球

日本は日中両属状態の琉球を領土化するために、琉球処分を実行した。

その過程で、台湾での琉球漁民殺害事件をめぐって台湾出兵もおこなわれた。

 

ロシア

幕末の日露和親条約では、両国人雑居の地とされた樺太(サハリン)の帰属があいまいだったが、樺太・千島交換条約により、樺太全島→ロシア領、得撫(ウルップ)島以北の千島列島→日本領、となり、北方の領土が確定した。

 

小笠原

日本は小笠原領有を各国に通告。アメリカ・イギリスが異議を唱えなかったため、小笠原は内務省の管轄下(かんかつか)におかれた。

 

 

明治新政府によって、近隣諸国との国境確定や条約の締結が集中的におこなわれていることがわかります。

それは、江戸時代に存在してきた対外関係を近代的な方式へと全面的に改変していく過程だった、といってよいでしょう。

 

続きは、「日本史コペルニクス16(3日目の講義⑤)」をご覧ください。