「日本史コペルニクス13(3日目の講義②)」より続く。

 

日本もフランスも

 

次に僕が説明しなければならないのは、近代国家を、国民国家論の立場で考え直してみるメリットはどこにあるのか、という問題です。

 

結論を先に述べてしまいます。

国民国家論は、次のようなことを教えてくれます。

 

程度の差こそあれ、近代国家とは、国の内的な成熟に応じて形成されたものではなく、世界的なシステム(資本主義)が必要としたために、外側から半ば強制的に創出されたものである。

 

これには新鮮な響きがあります。

一般的に、ヨーロッパ諸国がいわば内発的に近代を創りだしたのに対して、日本の場合は、アメリカのペリー来航に象徴される、砲艦外交(gunboat diplomacy)を前にして否応なく近代を強いられることになった特殊な例だと考えられがちです。

 

ところが国民国家論によれば、日本も例外ではないということになってしまいます。

 

日本のように、「外側から半ば強制的に創出された」近代なるものを、ヨーロッパ史のなかにみつけることはできるのでしょうか。

 

あります。

その好例が何とあのフランスです。

最近のフランス革命研究の成果によれば、広義のフランス革命(18世紀末のパリ民衆によるバスティーユ牢獄襲撃から19世紀初頭のナポレオン・ボナパルトによる第一帝政まで)がなぜ発生・展開したのかという問題を、イギリスとの対抗関係から解き明かしていく傾向が強まっているのです。

 

これまでフランス革命は、日本にも大きな影響を与えた思想家ルソーなどに代表される啓蒙(けいもう)思想によって導かれた、非常に内発的なものだと説明されてきました。

ところが国民国家論は、この常識をくつがえしてしまいました。

フランス革命と、それを否定したかのようにみえたナポレオン帝政までの政治は、実は、一貫してとらえられるべきものだ、というのです。

 

こうした一連の革命が起きた理由は、次のように説明されます。

 

「後進国フランス」は、ヨーロッパにおいて資本主義的経済活動のヘゲモニーを確立し、さらに政治的な覇権(はけん)をも手中に収める可能性のあった「先進国イギリス」に対抗しなければならなかった。

そのために、王政という非能率的なシステムが改編され、経済的・政治的にイギリスに挑戦しうるような体制の構築がめざされた。

これがフランス革命である。

 

国民国家の定義を用いると、こんなふうになりますね。

 

フランスは、イギリスに対抗するにたる十分に強力な国家を誕生させるために、国民的一体感を喚起(かんき)することで国全体の力を動員しつつ、法律や警察機構を整えて国境までの主権領域に排他的な行政上の支配をおよぼせるようにしていった。

さらに外への派兵を可能とするような軍隊組織が、国家的レヴェルで整備された。

 

つまり、フランスにとって、市民革命・産業革命を達成したイギリスという強烈な存在は、日本にとっての黒船とほぼ同義のものだった、ということになるんです。

 

続きは、「日本史コペルニクス15(3日目の講義④)」をご覧ください。