問題は、「200字論述新研究6(問題3・4)」で確認してください。

 

問題3 解説

 

寛政改革の基本的性格

 

寛政の改革のもつ基本的な性格について、まず整理しておきたい。

 

18世紀後半に展開された田沼意次の実利を重視した政治は、商品経済の発展という現実に適合的な側面をもっていたが、結果として賄賂の横行を生み、そこに天災や凶作の深刻な影響も加わって、人々から激しい非難を浴びることになった。

 

意次が失脚すると、徳川吉宗の孫の松平定信が老中首座となって寛政の改革を実行した(1787~1793)。

彼は、田沼政治を排して思想・学問・風俗を統制し、農村復興や貧民・旗本救済のための政策などを展開した。

 

 寛政異学の禁

湯島の聖堂学問所に対して、朱子学以外の儒学(異学)の講義・研究を禁じた(1790)。

 

さらに寛政改革後の1797年、聖堂学問所自体が幕府直営(官立)の教育機関とされ、旗本の子弟の教育をおもな目的とする学校として昌平坂学問所(昌平黌(こう))と称されることになった。

 

 海防問題の発生

1792年、海岸防備を説いた林子平(→『三国通覧図説』『海国兵談』)を処罰。

数カ月後、ラクスマン大黒屋光太夫をともない根室に来航した。

 

 農村復興・飢饉対策

全国で公金貸付を実施し、諸藩には囲米を命じた。

 

公金貸付とは、総額約15万両の資金を、諸国の代官を通じて豪農層に貸付けるもので、その利子収入で、耕地の復旧や農村人口の増加のための政策を実施した。

 

 江戸における下層民対策

打ちこわしの発生に対処するため、旧里帰農令の発令、人足寄場の設置、七分積金の実施といった諸政策がとられた。

 

 風俗・出版統制

落本作家の山東京伝(『仕懸(しかけ)文庫』)、黄表紙作家の恋川春町(『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』)らを弾圧した。

 

 旗本・御家人救済

(きえんれい)により、旗本・御家人の債務を札差に破棄・軽減させた。

 

札差とは、幕府の米蔵付近(浅草)に店舗を構え、旗本・御家人の蔵米(扶持米)の受取・売却と蔵米を担保とした金融をおこなった商人のこと。

蔵宿ともいう。

 

続きの解説は、「200字論述新研究8(問題3を考える➋)」をご覧ください。