恵まれた時代に生まれ育った人間は、自身の年齢に比例するようにしてその環境を当たり前だと無意識にも前提としているだろう。

 

 

 普通に見える人間を 1,000人ほど集めてみて、死なない程度のストレスを少しずつ段階的に、だが平等に与えてみるとどうなるだろうか。

 

 

 それこそ生まれ育った環境と持って生まれた性格によって、実に個性のある本性をそれぞれが見せてくれるだろう。

 

 

 何でこんなサイコパスなことを書くのかって?

 

 

 実際にこうしたストレステストを実行し、そこから得られる現象を俯瞰的に観察することができる存在は神ではなく、人間として実際に今も存在している事を実感してもらいたかったからだ。

 

 

 さて、あなたはそれが誰のことだかその答えにたどり着けるだろうか。

 

 

 

 まず、一匹狼の政治家には到底これを成すことは出来ない。

 

 

 周囲をアゴで動かせるだけの財力と力があれば別だが、人間関係特有の嫉妬や恨み憎しみ渦巻く世界で、それを単独でやってのけるには相当のエネルギーを必要とするだろう。

 

 

 ただ、定期的に民主的な選挙で選ばれる政治家には確かに一定の力が付与され、権威に弱い日本社会にとって単独であっても無力とは言い難い。

 

 

 特にその地元には、その人物がどんな人物かよく知られていなくても、純粋な地元民は「この地元から国会議員の先生が出た」と誇らしく思う。

 

 

 縁もゆかりもない地域とは比べ物にならないくらいに皆言うことを聞くかもしれない。

 

 

 そうした局所的な影響力を持つ人物は、むしろ微笑ましく思う。

 

 

 そんな地元と強い縁で結ばれた権力者が、自分の故郷を積極的に破壊するようなことをやるとは考えたくはない。

 

 

 また、それが公の元に露見すれば、裏切りを追及され一生後ろ指を指された果てに死ぬことになるだろう。

 

 

 

 となれば、国にとって厄介なサイコパスとなる人物は誰なのかは、割と簡単に想像がつく。

 

 

 選挙が無く入庁入省すれば、よほどのことが無い限りその座を退くことが無い官僚のうち、日本を疎ましく思う海外勢の工作にうっかり取り込まれてしまった人物が国に巣食うガンとなる。

 

 

 弱みを握られ、言うことを聞かなければ自分はおろか家族の命さえ取られかねなく生きていかなければならないストレスは想像を絶する。

 

 

 唯一の活路は、その海外勢の工作がすべて成就した時。

 

 

 その一縷いちるの望みを抱いて生きているかもしれないが、残念ながらどちらにせよ知りすぎた人間は綺麗に消されるのが相場だ。

 

 

 さっさと、よく考えた方が良いだろう。

 

 

 

 一番厄介なのが、ある程度資産を築いたインフルエンサーだ。

 

 

 選挙で選ばれたわけでもないから罷免することも出来ない。

 

 

 やり方はどうであれ自身で築いた資産と人間関係があるため、その集団の程度によっては官僚よりも厄介なガンとなり得る。

 

 

 自身や自社の利益と国益が合致しているうちは問題が無いが、育った環境によっては国益を売り渡してでも自身の利益を狙う勉強ができるバカな人間は特に気をつけなければならない。

 

 

 具体的には、幼少期に受けたいじめや周囲に対する恨みをまるで晴らさんとばかりにやる奴がいる。

 

 

 観察していると、自分の売国行為を阻害する立場になり得るような保守的な人物を「ネトウヨ」と揶揄するので見分けるのはさして難しくはない。

 

 

 

 グローバリズムは、対外貿易を活性化することで利益を稼ぐ。

 

 

 国内で生産したものを国内だけで販売してお金を循環させても、同じ量のお金をぐるぐる回しているだけで富として増やすことは出来ないからだ。

 

 

 まだ物の貿易を単純にしているうちはいい。

 

 

 そのうち、国内の食料供給は海外に任せた方が良いだの、なんなら労働力も海外から持ってくれば良いだの極端なことを言い出し始める。

 

 

 理由は簡単、それを事業化し社会にとって無くてはならないインフラのようなものになれば、末代まで食うに困ることは無いだろう。

 

 

 技術や情報伝達が高度化した現代において、宗教のような発明ですら簡単に浸透しなくなり、騙されやすい人間と騙されにくい人間二極化のコントラストを強める中、あの手この手で利益を確保しようと動いてくる。

 

 

 我々は、職場に住んでいるのではない。

 

 

 家族がともに住む家に、素性も解らない見た目も全く違う人間を永久に住まわせるバカが賢いとは思えないのだ。

 

 

 ロシア人が多く住んでいるから、そこはもうロシアだと言う理屈で始まったようなウクライナ戦争がまかり通る中、国内に外国人居住地を作るリスクがどれだけなものなのか理解しているはずが無いだろう。

 

 

 結局、後の内戦を自ら作り出しているようなものである。

 

 

 

 円安物価高?

 

 国産を蔑ろにしてサボった報いだろ 1ドル200円のお覚悟を 笑

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年9月21日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 難しいことが理解できない事を恥じる人は成熟した社会ほど多いらしい。

 

 

 考えてみればそれはまったく不思議な事じゃないし、むしろ自然のようでもあって、国家としてはそれだけ発展を遂げた証明にすらなり得る。

 

 

 その代償として、自分がどれだけ劣るかに固執し、周囲の人達と仲間として真に打ち解け合った関係を築けなくなってしまうようだ。

 

 

 関係を築けなくなるわけだから、友人関係どころか恋愛関係すら恐ろしくなる、というよりはどう取り組んだらいいのかすらわからなくなるという。

 

 

 皮肉にも技術的に社会が発展していくに反比例するように、人間同士のつながりはより希薄になっていく。

 

 

 すべてが焼け野原となり、皆が等しく貧乏なのは見て明らかな時代に仮に自分が一人たたずんでいる事を想像してみよう。

 

 

 それこそ人手が何よりも重要な時に、何か出来ないかと聞いて回れば快く受け入れてもらえるどころか、仲間家族同然と陽が落ちれば肩を組んで贅沢でもない食事を囲んでいたりしているかもしれない。

 

 

 実際話を聞いてみたり、当時の新聞や文献を辿れば、何もかも焼かれてしまったが恨んでいる暇は無く、生きていくために今日明日をどう生きるかそれだけの時代でもあったようだ。

 

 

 さて、物質的な不足はともかく、心の満たされ方としては果たして、どちらが幸せなのだろうか。

 

 

 

 そこには自己顕示欲もなく、他者との優劣を比較する暇すらもなく、今まさに命あって生きていることを互いに喜んでいたはずだ。

 

 

 

 日本人は幸いなことに、かの大戦まででも教育を取り上げられているわけではなかった。

 

 

 政府や軍に都合のいい教育に偏っていたのは指摘するまでもなく、すべてが過去となった今だからこそ良くないと公然と言えることだが、それでもただお偉い人たちの言う事や指示に従ってさえいればいい、だから教養など不要だとはならなかったのだ。

 

 

 日本国はどうやって生まれたのかと神話から学び、日本人としてどうあるべきかを一人の人間として自分の頭でそれぞれが考え、行動できるような教育がなされていたと言えるだろう。

 

 

 

 皆産まれて等しい知能を持っているわけでもなく、当然知識や経験など備わっているわけがない。

 

 

 重要なのは、自分は何をどこまで理解できて、何が理解できないのか。

 

 

 何が得意で、何が不得意なのかをよく知り、それらを正直に周囲に打ち明けたうえで、それでも自分が出来ることを精一杯やることだろう。

 

 

 政治などわからなくてもいい。

 

 

 だが、自分の周囲でどんなことが起っているか。

 

 

 これがそのまま続くと悲劇にならないだろうか。

 

 

 子供たちがお腹を空かせて自らの身体を売るような社会にしていいのか。

 

 

 そんなことを言い持ち寄って声を上げるくらい出来ないで何が大人なのだろうか。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年9月13日にnote.comに掲載したものです。

 

 それこそ、AIに尋ねてみればいい。

 

 

 詐欺師がなぜ、他者や故人の威厳を必要とするのか。

 

 

 なぜ、自著を並べ立てたがるのか。

 

 

 そもそも、これまでの記録に過去と現在で矛盾はないのだろうか。

 

 

 過去の主張から現在に至るまで、矛盾や都合のいい解釈、またその変遷をわかりやすくまとめて表示させてみればいい。

 

 

 そのうえで、AI自身は客観的にどう考えるかも付け加えて。

 

 

 きっと面白い結果が得られることだろう。

 

 

 

 なあに、時間はかからない。

 

 

 昔ならば過去にさかのぼって読み上げるだけで大変な作業で、そんなことに貴重な時間を割いていいのか、価値があるのかと思い止まる。

 

 

 だが、こうも技術が進んだ現代では違う。

 

 

 一瞬だ。

 

 

 それも、おべっかや忖度抜きと条件を付けくわえて評価させればいい。

 

 

 

 そう、AIは決して誰かの都合のいい道具として、何かを際限なく生み出すだけではない。

 

 

 膨大な量の記録を評価させることも可能にしたのだ。

 

 

 もちろん、不確定な未来に対して結論を出させることは難しいだろう。

 

 

 だが、それは人間がやればいいだけの話でさほど問題ではない。

 

 

 

 幼少期の教育や教養はひとりの人間の一生を決める。

 

 

 形だけ学ばせても意味が無いことに気をつけなければならない。

 

 

 最も効果的なのは感情に訴えかけるようにやる。

 

 

 例えば、かつて侵略者がどれほど残虐なことを祖先に対して行ったのかを最新の技術を駆使して映像化し、あらゆる世代に刷り込むわけだ。

 

 

 そうすると、それをそのまま受け取るしかない純粋な市民は、目からは涙がこぼれ、心の中に消えることの無い憎しみを宿すのである。

 

 

 これこそ指導者の行う非の打ち所のない「教育」だろう。

 

 

 

 見ず知らずの人間にこれをやれと言われて、素直にやるだろうか。

 

 

 やらないし、やるとしてもストレスにしかならないはずである。

 

 

 これに、言う事を聞かないと殺されるなどの恐怖が加えれれるとやらざるを得なくなる。

 

 

 ただ、この場合そう迫る人間に対して憎しみや恨みを抱えるだろう。

 

 

 この憎しみや恨みはそもそも元をたどれば、過去の侵略者たちが原因なんだと諭されればどうだろうか。

 

 

 無知で単純かつ血の気の多い人種ならば、無条件で怒りの矛先を言われるがままに変えてくれるかもしれない。

 

 

 まして、先に述べた教育を熱心に施されていれば容易いだろう。

 

 

 歴史はそうやって動いているのかもしれない。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年9月6日にnote.comに掲載したものです。

 

 とあるお宅へ伺った時の話である。

 

 

 驚くほど掃除は行き届いており、ホコリの綿の気配すらない。おっかなびっくり上がり込んで大丈夫なのだろうかと不安になる。

 

 

 静かに通される間も心が落ち着かない。

 

 

 幾人か人の気配と話し声が聞こえてきて、平日の午後とまだ暑い陽の光がさす間はこうしていつも過ごしているのだろうかと気を紛らわすための想像なんかをしてみる。

 

 

 なんてことはない契約の確認にここまで落ち着かない。どなたが家人か区別がつかず、ただ言われるがままに奥へと促される。

 

 

 しかし落ち着いていて、丁寧な言葉遣い。

 

 

 すっかり現代社会の色に染まった世間とはそう、他所は他所と襖を一枚隔てて独特の格式さえここにはあるのだ。

 

 

 さて、コンコンコンと音がするが、それは紛れもなくノックの音で、この重厚な扉の向こうが目的地であるらしい。

 

 

 さあ緊張する。

 

 

 ぱあっと明るい光が目にはいると、重厚な扉にふさわしい内装と家具があって、ひときわオーラの濃い人がああ、こちらへと。

 

 

 では、とここまで導ききびすを返すお方に一言お礼を伝えるとようやく本日の役目を終えるべく用を伝えるのだ。

 

 

 何事もなく了承を経て、出されたお茶に口をつけぬのも無礼かと、せっかくですので戴きますと。

 

 

 立派なお部屋の入り口近くの高くには、おそらくは当家ご主人の写真が飾ってあって、目の前のご主人とは違うようだ。

 

 

 そうしてようやく、ここで小さく一息つく。

 

 

 さて時間を無駄に取らせるわけにもいかない。これで失礼しますと今後の事も併せてお礼を伝える。

 

 

 この短いがとてもとても長く感じた時間を、そう気遣わせないように速やかに玄関までさっと移動すると、丁寧に揃えられた自分の靴を見るやお礼を告げて、また門外へと目指すのだ。

 

 

 後から聞いた話だが、属する家人や関係する人物は、あの目上の方の写真に必ずまず一礼するという。

 

 

 なるほど、誰にお世話になっているかを厳に自覚して居るというわけだ。

 

 

 いたずらに威厳をまき散らしたいわけではない。

 

 

 右も左もわからない新人であっても、すぐに誰が重要な人物なのか一目でわかる。

 

 

 仮にすれ違う時があったとして、まず間違いがあることは無いだろう。

 

 

 昔は名刺など無かったから、すべて口上にて行ったという。

 

 

 仮に指図を受けて命奪わんとするときでも、いきなり襲うのではなく、自分と事情を述べてからという、海外から見ればただ滑稽かもしれないが、確かに礼儀はそこにあったのだ。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年9月3日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 さらに、他者の権威をかさに着るのも単純で幼稚だが、確かな効果のある詐欺師の手法であることは容易に想像ができるだろう。

 

 

 本人はどうしようもない無能で、後から冷静に考えてみればその家系自体無能の一族なのだが、たまたまなぜか運よく関わってきた人物たちが凄かっただけでその恩恵を一身に受け止めている例もある。

 

 

 決して政治の世界だけの話ではなく、なぜこんな"上司"が重宝されているのかまるでわからないと職場で感じることもあるはずだ。

 

 

 この場合、その人物の周囲が重要だったりする。

 

 

 組織にとって、何かあった時の保険というわけだ。

 

 

 当人は無能で勘が鈍ければ鈍いほど扱いやすいだろう。

 

 

 そうしてちやほやされるうちに、自分はすごいんだと思い込み、それを根拠にして部下を自分のいいように使い始める。

 

 

 だが、見せかけの権威だけで中身があるわけではないから、それを奪われれば何も残らないゆえ、自ら責任は取ることは無いはずだ。

 

 

 組織にとっても意図せず保険が無くなるのは困る。

 

 

 結果、何も後ろ盾もない、ただ純粋に"正しい"ことをひたすら主張し続ける人間が犠牲になるというわけである。

 

 

 

 このように、いわば名刺の肩書が本当にその人物に釣り合っているかどうかはその文字を真に受けるのではなく、じっくりと見極める必要がある。

 

 

 先人の、例えば経営の神様と言われた人物の言葉を、そのまま自分の言葉として受け売る詐欺師もいる。

 

 

 そういう輩に限って、他者の言葉の総集編でしかない著書を出したりするのは、そうしなければならない理由があるはずだ。

 

 

 

 かつて崩壊した国は混沌を極めた当時、平和と平等という勢いのある言葉に、知識に乏しい純粋な大衆は希望を抱いて支持をした。

 

 

 なんだかんだ言って結局、明日の食料を支える農作業をするのも、家族の命や将来を守るため戦地へ赴くのも、特権階級ではない大衆だ。

 

 

 その支持を得ていたレーニンの死後、その当人から危険視されていたスターリンが死んだレーニンを称えに称え、自分こそ彼の正統な後継者にふさわしいと振る舞い、ついにはその座を手にした。

 

 

 その後の粗暴な振る舞いの多くはすでに世界の知るところである。

 

 

 耳障りのいい言葉や、わかりやすい文字に惑わされず、与えられた脳を存分に活用するかがいかに重要なのか、歴史は常にわたしたちに訴えている。

 

 

 これらは何も時代の新旧による特別な事ではない。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年8月24日にnote.comに掲載したものです。