人は見た目で判断してはいけないという。

 

 

 このたった一言だが、連想できる対象というものは実に人によって様々だろう。つまり、あなたの遠く離れた他人も同じ連想、イメージを持つとは限らないという意味だ。

 

 

 ある人は恋人や結婚相手を選ぶにあたっての戒めと感じるかもしれない。

 

 

 はたまた、人事部の採用担当者として責任ある雇用をしなければならない立場にある場合、営業職ならともかく頭脳がずば抜けた即戦力にできると確信できるものの見た目からしてだらしがないがどうしたものかと、冒頭の言葉を思い出して悩むかもしれない。

 

 

 とある大学生は、着るモノや食べる時間も惜しんで日夜大型バイクのエンジンを弄るのが趣味で日課だったが、肝心な就職活動をしなければならなくなった時期に、慣れないスーツを同級生から借りてきた。

 

 

 就職面接の練習を担当事務と重ねてきたが、なかなか自分という人間を口で表現するのが実に難しい。

 

 

 諦め半分、仕方がないと担当事務にもバイトで生きていけなくもないご時世だからと慰められながら希望の会社へと足取り重く向かう。

 

 

 事務所に通されたらノックを三回、そう何度も頭の中で繰り返していたが、驚くことに着くや否や事務所を通り抜けて作業場へと通された。

 

 

 他の社員が修理中の車やバイクと格闘しているのを横目に、特に高そうなバイクの修理をしているその人が代表だという。

 

 

 事務員さんが、「社長、面接の人です。」と半ば大きく言うと、「ああ、もうそんな時間か。」と。のそっと視界に入ってきた。

 

 

 訓練通り、大学名から名前を言おうと思うが、意外な展開に言葉が出ない。第一、周囲の作業の音でかき消されてしまう。

 

 

 「どれ、両手を見せてごらん。」

 

 そう言うと、僕の手を手に取ってジーっとみつめる。

 

 「いいね。」

 

 それだけ事務員に向かって言うと、「あとは事務室で書いてもらう書類があるから、いつから来れるとか話をしておいてね。」

 

 

 それだけ言うと、代表はまた作業に戻ろうと視線をバイクに向けた。

 

 

 僕はとっさに、「志望理由とか聞かないんですか?」と尋ねてしまったが、返ってきた言葉はあまりにもシンプルで、一生忘れないだろう。

 

 

「この仕事がしたいんじゃないの?手を見ればわかるよ。」

 

 

 年中弄ってこびりついた機械油なんてのは石鹸で念入りに洗ったところで、簡単に落ちやしない。

 

 

 爪の間にまで入り込むものだ。

 

 

 それが何よりの証拠になった。

 

 

 

 人は見た目で判断してはいけないという。

 

 

 清潔さや身だしなみは重要だ。

 

 

 ただ、誰のために何のためにという背景が重要だ。

 

 

 

 あなたの大事な家や、車が故障した時、水洗から水が漏れて噴き出した時、どんな人間を頼ったらよいだろうか。

 

 

 身ぎれいなシミひとつない作業着に身を包んで現れる人間が信用できないとは言わない。

 

 

 言わないが、こちらにも選ぶ権利があることを忘れてはならない。

 

 

 

 大学卒業後、業界では名の知れた企業、特に営業ではピカイチの日本を代表する企業に就職した学生がいたという。

 

 

 給料はそれなりに良かったが、生活にかかる固定費というものが大きい。

 

 

 尊敬できる先輩や上司にも運よく恵まれ、持ち前のさわやかさと気さくさに周囲からも支えられ、愛される存在として居場所を保てた。

 

 

 しかしある時疑問が浮かぶ。

 

 

 このままこの会社に居続けた場合、必ず出世争いになる。

 

 

 どの派閥に着くかによって時にはそれまでもらえていた給料や、勤務地すらも他者の都合のいい判断でどうにでもされてしまうだろうと。

 

 

 それは本意ではない。

 

 

 なので、給料やボーナスを他の同僚のように遊びにすべてを使わず、ある目標と、それに伴う計画を立ててひっそり社員生活をつづけたという。

 

 

 貯蓄が目標まで到達した時、それまで併せて勉強していた不動産業界と宅地建物取引主任者の資格をひっさげて、初めて不動産を購入した。

 

 

 当初は右も左もわからずどう進めていくか戸惑ったが、目標のためにはそれを高く誰かに買ってもらうしかない。

 

 

 そのためには、購入した不動産を蘇らせなければならなかった。

 

 

 つまり、水回りから間取り、電気配線の再構築など、とても一人ではこなしきれない作業を請け負ってくれる業者を探す作業から始めなければならならい。

 

 

 しかし、何度も言うが初めての取り組み。

 

 

 騙されるかぼったくられるかどうなるかわからない。

 

 

 むしろ、親切に向き合ってくれる業者と出会えれば運がいいだろう。

 

 

 

 この一連の取り組みは、この人の「投資の具体的な手順」として定着し、すっかり仲良くなった請け負ってくれる業者と共に今も歩み続けている。

 

 

 ここ十数年は日本の不動産市況は活況で、信用情報が優秀な人物や法人ほどこの恩恵を受けることができたわけだ。

 

 

 当然、この取り組みは利が利を生み、本人どころか共に歩んできてくれた請負業者も大きくなっていったという。

 

 

 そりゃそうだ。

 

 

 優秀な人間には優秀な人間が意識せずとも自然と集まる。

 

 

 逆も然りだ。

 

 

 銀行からも紹介されるようになった彼は、もはや自分で直接購入して動かすことよりも自分を頼ってくる人物がちらほらと集まるようになっていた。

 

 

 無尽蔵に相手をしていては、身が持たない事と、無料で教えるようなそんな価値のないものなんかではない。

 

 

 それは集まる人間が誰よりもわかっていた。

 

 

 月に数十万の会費を支払うかわりに市場や不動産の見極め方などを教えているという。

 

 

 そして何より、古い付き合いである工事業者も紹介しているわけだから、むしろ安いくらいだろう。

 

 

 それこそ一生ものだ。

 

 

 時間を掛けてその目を養うことが出来れば、自分自身の力で付き合う業者も含めて見極めることが出来る。

 

 

 賃貸不動産なんて、各部屋の水回りの工事から各部屋のエアコンの工事、入退室時の原状回復、外壁や防水などの大規模な修繕工事もあれば、入居者とのトラブルなんてのもある。

 

 

 たかだか数千万円持っているからと言って対応できるものじゃあない。

 

 

 とても責任を負いきれないだろう。

 

 

 不動産に限らず、こういった人生計画と等価である投資と向き合うためには如何に勉強が必要なのかを思い知らされるわけだ。

 

 

 ハンコをついてからでは遅い。

 

 

 

 さて、至る所に簡単に稼げる方法だの一生ものの技術だの、ビジネスにはしわを伸ばしたシャツを着て有言実行がどうだの訓垂れ情報商材業者が目立つようだ。

 

 

 人は見た目で判断してはいけないという。

 

 

 目の前のスーツを着たダンディな人間は、見た目スマートだからとあなたの人生にとって信用が出来る人物なのか。

 

 

 検討する権利と時間ならあなたにはたっぷりあるはずだ。

 

 

 もし、わたしは自分だけの事しか考えない人間ではないと思うのであれば、今後の社会のために、どんな人でどんなサービスだったのかを記録し公開すると良いだろう。

 

 

 たったそれだけでも十分、徳になる。

 

 

 必ずや、あなたは誰かの役に立つ。

 

 

 あなたも見た目だけで判断されたくはないだろう?

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年10月27日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 何が幸せで、何が不幸なのか。

 

 

 歌詞にもありそうなそれこそ価値観によって人それぞれの具体的なようで実体のない"幸せ"というものは、実体としてこれだと特定するのは難しい。

 

 

 ある人にとって幸せなことでも、それを不幸だと感じる人もいるからだ。

 

 

 例えば、秋から冬にかけていよいよ隙間風が吹き込むような粗末な平屋で、肩を寄せ合うようにして寒さをしのぐ夫婦がいるとしよう。

 

 

 そんなうだつの上がらない旦那を掴んでしまったがゆえに、いつまでもそんなみすぼらしい生活を強いられるとはなんて不幸なのだろうかと。

 

 

 煌びやかな都会の街並みを一望できるマンションに住むマダムはそう思うかもしれない。

 

 

 ただ、そう高笑う性格が災いしてか、自分の旦那と食事を共にしたのはいつの日の事やら、どんなものを食べたのかすら記憶に怪しい。

 

 

 お金には困らないが、いよいよ身の回りではあの高飛車のダンナ、もう何か月も帰ってきてないらしいわよなんて囁かれはじめたのにも気づくくらいに、あとは自分のプライドとの闘いを始めたなんて悟られたくもない。

 

 

 まあなんてことはない。

 

 

 記入済みの離婚届が何通も一階エントランスの集合受け箱に届いているなんて事実から目をそらし続けている。

 

 

 手に取らなければ、受け取ったことにはならないだろうってね。

 

 

 後に裁判になって、それはすでに受け取ったとみなされる。

 

 

 そんなことも知らずに。

 

 

 

 さてその一方で、前者は確かに他人から見て貧乏ではある。

 

 

 しかし、実のところ旦那が電気設備を生業としていて、確かに古い家ではあるが下町の情緒あふれる温かみに満ち溢れた一軒家、周囲には大家が地方に居ると言っているだけで、土地付きの持ち家なのはここだけの話だ。

 

 

 仕事柄、大工や左官職人とのつながりもあって、隙間風が気になればちょっと食事ついでに上がってもらって、補修してもらう。

 

 

 その代わり、ちょっとした電気設備のことなら同じようにやってあげるなんて生活を続けている。

 

 

 まあしかし、自営業だから夫婦合わせて引退後にもらえる年金なんかほんのわずかなものだろうから、死ぬまで引退なんてできないだろうなあと、曇りがちな冬空の下、缶コーヒーの熱を両手で感じながらぼんやり思うのだ。

 

 

 なに、いざとなれば土地ごと売ってしまえばいい。

 

 

 ただ、今の人との恵まれたつながりを一生手放したくないだけだ。

 

 

 

 政治家や実業家もそれはそれは庶民から見れば煌びやかで、それこそ社交界で居場所を失えば路頭に迷うわけだから、プライドなんかも加われば体面を維持するだけでもさぞ大変な事だろう。

 

 

 一方で、庶民は庶民で余裕のある庶民から、余裕のない庶民まで幅広くこの世界の今を生きている。

 

 

 ただ間違いなく言えるのは、自分の役割りやお役目に力を注がなければいけない人間であればあるほど、少なくとも他者の在り方に難癖をつける暇など一時たりとも無いだろう。

 

 

 言っただろう?
裸の王様を観察しているのさって。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年10月20日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 俺はこんなにスゴイ人と繋がっている。
どうだ、信用できるだろう?

 

 

 俺はこんな行動力を毎日発揮している。
どうだ、スゴイだろう?

 

 

 こんな年の重ね方をしてきたんだ。
スゴイに決まっている。

 

 

 だから、敬われて当然なんだよ。

 

 

 俺と同じような生き方がお前らに真似ができるのか?

 

 

 まったく、知的レベルが低いなあ。

 

 

 どうだ、俺の教えを受けてみないか?

 

 

 今なら特別に、はした金でも面倒をみてやるよ。

 

 

 断る?こんなダンディな俺が言っているのに?

 

 

 センスのないやつだなあ。
だからいつまでたっても成長しないんだよ。

 

 

 いいか、黙って俺の書くことをせめて毎日欠かさず読め。

 

 

 そうしたら俺がどんなにスゴイかわからないはずがない。

 

 

 会員になったら、論文を書かせて鍛えてやる。
そうしたらオマエも少しは俺の領域に近づくことができるぞ?

 

 

***

 

 

 2010年より少し前、金融災害が世界を襲った。

 

 

 原因は米国の金融システムに取り込まれていた住宅担保証券が要因となったが、それ自体に問題があるわけではない。

 

 

 簡単に言えば、住宅ローンの借用書を束にして一つのパッケージにして、それを投資商品として投資家に買ってもらう。

 

 

 米国の人口は右肩上がりだから、住宅需要も大きい。

 

 

 何しろ信用を裏付けに発行される通貨自体インフレを前提とするため、投資家にとって価値が確実にあり続ける商品は常に魅力なのだ。

 

 

 言っている事が難しい?

 

 

 例えば、国も経済も毎日勤務している会社だって今日よりも明日、明日よりも来月と成長しないと困るだろう。

 

 

 技術も農業も何もかもだ。

 

 

 サラリーマンだって自分の給料に見合う成果を出さなければ、米国のような国では簡単にクビにされるし、日本だと居場所が無くなっていく。

 

 

 20代の時の給料、40代になろうがそのままで通用するだろうか?

 

 

 きっとそんな会社はSNSの舞台で批判の的になるだろう。

 

 

 なので通常、成長する会社のように、賢い国は常に自国の経済を観測し続け、少しインフレの状態を維持しようとする。

 

 

 少しでも気を抜くと、末端の小さな商店や人間から通貨を得られる機会を失っていき、路頭に迷い始めるからだ。

 

 

 そうなると、貧困から犯罪が増えていく。

 

 

 それを抑えるために警察能力を強化し、各地で燃え上がる火を消して回るために政府支出を拡大しなければならなくなる。

 

 

 支出は増えるのに税収は減り、街には失業者があふれ、行き場を失った人々は薬物や略奪などの犯罪に手を染めるようになり、収拾がつかなくなると暴動に発展する。

 

 

 この事態だけは避けなければならない。たかだか通貨量の匙加減ひとつでそんな有様は誰だって嫌だろう。

 

 

 デフレの時代をあの頃はモノが安かったねえで済ませる日本人は実に我慢強かったのだろうと誰もが思わざるを得ない。

 

 

 就職氷河期世代。

 

 

 他の血の気の多い国だったならば、とっくに何もかもが終わっていたと言えなくもないだろう。

 

 

 さて、銃社会の米国でそんなシナリオをわざわざ辿りに行くわけにはいかないから、政府主導ではなくマーケットの判断に任せるわけだ。

 

 

 住宅需要がなお旺盛であれば、景気が良い証拠。

 

 

 だが、そこには問題があった。

 

 

 隅々まで十分に行き届いてなお増え続ける米ドルは、住宅市場を強くし、それをいいことに低所得者や収入が安定しない層、つまり日本で言う風俗産業に関係する人たちにもこっそり供給し始めたのだ。

 

 

 住宅ローンの融資は審査が伴うが、結局その住宅ローンの借用書自体がマーケットで日々高く売買できるため、その手数料と利ザヤ欲しさに、収入を高く改ざんして審査に回すなどする小さな不正が、蔓延していったのだ。

 

 

 

 日本では住宅ローンを支払えなければ、家を差し押さえられた上にローンの全額返済を迫られる。

 

 

 しかし、米国では担保の住宅を手放せば済む。住宅ローンの残額と住宅そのものの価値は常に等価だと考えていいからだ。

 

 

 銀行からしてみれば確かに現金として返っては来ないが、担保の家をそのまま回収できる。ある意味、お金を貸した銀行側にも、ちゃんと責任があることを体現している。

 

 

 

 少し通貨の量が多いと見た当時の中央銀行は金利を上げた。

 

 

 すると当然、ギリギリ支払っていた低所得者層から家を手放していく。

 

 

 郊外には”お買い得な”売家が水面に投げられた石によって広がる波紋のように増え続け、強かったはずの住宅価格は崩壊へ向かった。

 

 

 優良な支払者ばかりなはずの住宅ローン借用書の束にも「混ぜもの」が大量にあることが把握されると、そもそもその束の価値が本当はいくらなのか誰にも分からなくなった。

 

 

 それを明日売れるからとそれまで通り上手くいっていた手持ちの現金が乏しい銀行から悲鳴を上げる。

 

 

 政府はそれを助けなかった。

 

 

 それら住宅ローン借用書の束にも膨大な保険が掛けられているからだ。

 

 

 税金で助けるのならば、それを保証している保険会社こそ助けなければならない。

 

 

 でなければ、金融システムどころか国の経済の仕組みと信用が瓦解する。

 

 

 こうして、ひとつの大きなバブルは終焉を迎えた。

 

 

***

 

 

 その少し前、日本のとある地方の小さなマンションの一室を購入した。

 

 

 固定金利と変動金利で迷ったが、支払い計画書と当面の金利の見通しを銀行と相談して変動金利を選んだ。

 

 

 今から考えれば、区分所有は土地の所有比率が低いから、よほど欲しくない限りは手を出すと生きていくのが苦しくなると冷や冷やする。

 

 

 かといって一軒家も考えものだ。

 

 

 しかし、当時はあの大規模金融緩和前と来る都市開発の前とあって、新築で千万単位の買い物は運が良かったとしか言いようがない。

 

 

 学生を抜けて数年、年を取ればわずかな数年だが、若ければ若いほど学生時代の一年と等価な感覚に近い。

 

 

 買ったはいいが、固定資産税やら保険やら総会やらなんやら、賃貸に住んでいるときと違って向き合わなければならない事が何かと多くなる。

 

 

 しかし、生活や睡眠の質は格段に上がった。

 

 

 建物の気密性もそうだが、ある時を境に跳ね上がった不動産価格が、自分の中に確実に在った不安の塊の大部分を取り除いてくれたからだ。

 

 

 十数年後、ひとつの時代が終えようとするタイミングで売却を決めた。

 

 

 あの時確信した何かは、決済日に住宅ローンの残高を清算した時点で形となって残ったのだ。

 

 

 なに、そう大した金額じゃない。

 

 

 ただ、新築でデベロッパーの販管費や諸々含んでいたはずの当時の価格、つまり買値で売れたのだ。

 

 

 

 年々価値が減少することが前提の上物を担保に原則融資は引けない。

 

 

 賢いはずのお医者様や国家公務員でさえ騙される不動産投資業界の現実が、SNSを通じて少しずつ明るみになってきているようだ。

 

 

 プライドがある人ほど自分が騙されたなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて公には言えないだろう。

 

 

 本業が忙しいんだ。むしろよく手を出そうとわずかな時間を割いて勉強して手を出されたもんだと思う。

 

 

 そうして上手く騙してせしめた人間はさ、言うんだよ。

 

 

 悪びれもなく、こんなオレすごくない?ってね。

 

 

 

 わたしは誰かって?

 

 

 名を名乗るほどの者でもない、庶民の一人だよ。

 

 

 裸の王様を日々観察しているのさ。

 

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年10月13日にnote.comに掲載したものです。

 

 なぜ、他者に舐められ、軽く扱われるのか考えたことはあるだろうか。

 

 

 人間不思議なことに生まれ持った知能が低ければ低いほど、舐められ軽く扱われることを徹底的に嫌うようである。

 

 

 学校や特に職場では気を遣うのではないだろうか。

 

 

 意識して観察していればよくわかるが、まるでそれは瞬間沸騰する湯沸かし器のようだ。

 

 

 沸騰したお湯を手に入れるのにはいくら技術が進んだ現代とはいえ、思いのほか時間がかかる。

 

 

 プラスチックを用いない電気ケトルに直ちに生まれ変わってもらうと、まだ利用価値があるのだがどうだろう。

 

 

 数秒で1リットル程の沸騰したお湯が手に入ると助かるのだが。

 

 

 

 さて話を戻せば、各家庭で受けた教育に左右されるが、我欲に走った人間は舐められ、軽く扱われ、バカにされやすい。

 

 

 横領や詐欺といった法に抵触する行為を行えば当然でわかりやすいが、他にも高い地位を悪用して部下や下請けに損害を与えるなどもそれに当たる。

 

 

 金銭以外にも、身勝手な性欲を満たそうとするのもそうだ。

 

 

 我欲という堅くわかりづらい単語だが、ここまで例を出せば自ずと共通するものが見えてくるのではないだろうか。

 

 

 周囲を顧みない自分勝手な欲が、結局は舐められ、軽く扱われ、バカにされる原因となる。

 

 

 そのくせ質の悪いことに、被害者づらするまでがセットだ。

 

 

 

 かつて、政務活動費を不正に使ったとして追及され、多くのメディアの前で号泣会見を行い、日本中にその醜態をさらしてしまった元国会議員もいたという。

 

 

 あまりにも強烈だったため、多くの国民の記憶に焼き付いた。

 

 

 忠臣蔵として語られる赤穂事件では田舎者、と終始からかわれたとある大名が据えかねて江戸城内にて刃傷沙汰を起こし、その始末として腹を切ったが、現代ではそうはいかない。

 

 

 むしろ、死なずに済むのがこれ幸いと生き続けているかもしれない。

 

 

 ただ、文字通り全国に知れ渡ってしまった以上、周囲の記憶に残り続けている限り後ろ指を指されながら生き続けなければならない苦痛は、想像をはるかに超えるだろう。

 

 

 

 物欲は解りやすいが結局のところ、認めてもらいたいという純粋な私欲ですら取り返しのつかないわざわいを招くこともある。

 

 

 書き手であれば、読んでもらいたい、理解してもらいたいというある種当然のような欲求ですらそうだ。

 

 

 それを他者に見透かされれば、舐められ軽くみられる。

 

 

 なぜ、自分はこうも役に立つ記事を一生懸命毎日書いているのに、読まれないし認められないのかという幼稚な欲は、冷静に客観視すればするほど自らを恥ずかしく思えるはずだ。

 

 

 理解できないのならその辺のコンサルタントというよくわからない人間に、売れるためのコンサルタント料を支払えばいい。

 

 

 慰めくらいにはなるだろう。

 

 

 経費で落とせる食事会で得た情報を、私塾と称する生け簀の魚たちが支払う月額と引き換えに転売する猿も大きな顔を出来るのだから。

 

 

 

 そうした我欲が他者につけ込まれやすいことはよく理解できる。

 

 

 戦わずして勝つという孫子の兵法は世界的にもよく知られているが、それに利用されないはずがない。

 

 

 ユーラシア大陸の黄河と長江の源はチベットにある。

 

 

 チベットは支那CHINAが1950年に人民解放軍を送り併合したかつての独立国だ。

 

 

 日本は水源も内陸の山に行けばいくらでもあるから、なかなかその貴重さを実感できないかもしれない。

 

 

 しかし、海外ではその重要な水源が自国領外にあることも珍しくなく、ダムなどでそれを絶たれてしまえば国が干上がってしまう。

 

 

 そのため、その水源を自国で抑えられなければ、未来永劫水源国の機嫌を伺いながらひっそり生きていくしかないわけだ。

 

 

 なぜ、彼らがチベットを力で併合しに行ったのかはこれでわかるだろう。

 

 

 

 ちなみに支那シナという呼称は、中華民国建国の父と呼ばれる孫文も使用した呼称であって、なぜか侮蔑的な単語だとされるがその根拠は定かではない。

 

 

 かつての秦が語源され、続く王朝を指すともされる「支那」を嫌うのかよくわからないが、支那は支那だろう。

 

 

 満州だって支那とは違うかつて存在した女真族に由来する満州人の国だ。

 

 

 支那とは違う。

 

 

 満州国崩壊とともに混血曖昧化して、すっかり忘れられただけである。

 

 

 まさしく、戦わずして勝ったのだろう。

 

 

 

 我欲はつけ込まれ、場合によっては国をも滅ぼす。

 

 

 太陽光発電パネルで国土を埋め尽くし、私欲を肥やす間者が生き延びる国はどうなるのか行先は想像に難くは無いだろう。

 

 

 国を活かすも殺すも、どうするのかは今にかかっている。

 

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年10月5日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 矛盾という言葉の由来をご存じだろうか。

 少し面白おかしく話してみよう。

 

 

 ある商人が天下の往来で声高らかに武具を売っている。

「この矛で貫けない物は無い」と。

 

 そんなにすごいものなのかと、娯楽など限られた時代だから物珍しさに聴衆も集まるわけだ。

 

 また、こんな目立つ場所で堂々とそう言い張るのだからきっとそうなのだろうと買う者たちも中には居たかもしれない。

 

 何しろ、貫けない物が無いのであれば、いつまた戦争が起こってもおかしくないのだから一本くらい持っておかなければむしろ不利になる。

 

 面白いのはここからだ。

 

 あろうことかその商人が次に取り出したのが「絶対に貫くことが出来ない盾」ときた。

 

 何も考えていなかったか、時間を置いて売り出せばいけると思ってのやり方なのかはわからないが、いずれにせよこの一部始終を遠巻きに見ていた聴衆の一人がこう商人に尋ねた。

 

「その矛でこの盾を突いたらどうなるのか?」

 

 この指摘に商人はぐうの音も出なかった。

 

 

 

 さて、ただただ在るものを在りのまま売るだけだったならばこうはならなかったはずだ。

 

 察しが良い方ならもうお分かりだろうが、肝心な商品の質の良し悪しは置いておいて、扱う商人のやり方がいけ好かない。

 

 性根まで腐っているかはこのことだけで決めつけるわけにはいかないが、個人的に少なくとも関わりたくはないと思うのが正直なところだ。

 

 

 こんなこと大昔だから出来たことじゃないの?と思うかもしれない。しかし、そんなことはない。

 

 例えば、運気が良くなる壺や石、貴金属など。

 

 胡散臭い宗教や妙な政治団体が関わっていることもある。

 

 買わなければ災厄を免れず大切な家族、子や孫にまで影響が及ぶなど卓越した話術で思い込まされればそうかもしれないと思ってしまう。

 

 少なくとも、こちらは素人で相手はプロだからだ。

 

 

 

 ここに近所や職場の知人の紹介など事情が込み入るとどうだろう。

 

 一旦、将来の居場所のために受け入れて、自分も同じように誰かを紹介して今の損失と屈辱をキックバック、いわゆる紹介料を得ることで回収しようと決め込むかもしれない。

 

 こうなれば、マルチとさほど変わらないだろう。

 

 要因は買い手側の無知さ、人間関係上の将来にわたる弱み、そのいずれか両方か、どちらにせよひとりの人間の弱さにつけ込んだものだ。

 

 

 ここで、本質的には物のやり取りをしているのではない事に気づく。

 

 その商品を媒介にして人間関係特有のなにか禍々しいものが本来の商品原価にこれでもかと乗っかって、時には月賦、分割払いで取り引きされるのだから気をつけなければならない。

 

 調べてみれば二束三文だとわかる物を、分割払いで買うという矛盾だ。

 

 新築の不動産であれば、夢、老後のための資産形成、そのための税金対策、生命保険の替わりなどなど、あの手この手で目の前の商品に多種多様なストーリーをつける。

 

 

 そのストーリーの通りにならなければすべて返金しますとはならない。

 

 

 

 さて、視点を変えて情報はどうだろうか。

 

 より具体的に「儲かる情報」や「知的向上」、そして「人間学」や「売れるための文章レッスン」「恋愛学」、実に様々あるから選びたい放題、ぜひ他にどんなものが当てはまるか検索してみればいい。

 

 これらも同じく、一定の情報は役務として提供されるものの、実践してそのストーリー通りになるかどうかは購入した人間次第だ。

 

 そのストーリー通りにならなければすべて返金しますとはならない。

 

 ちなみに「知能向上」とすれば、知能を向上するという具体的かつ確定的な効果を提供する責任が生じる可能性が高いので、見た目なのか雰囲気なのかよくわからないぼんやりした「知的向上」なんてものにしたのだろう。

 

 この一例ひとつ取っても、どんな人間なのか卑しさが伺える。

 

 自分には悟りなど無用だと言うそんな人間からどんな人間学が学べるというのだろう。

 

 データとして少し興味があるから、ひとまず与信するにあたって対象の地元の商工会議所などでその人柄と経歴を問い合わせるのも有りだ。

 

 どんな人づきあいがあるのかまで調べるとより確かになる。

 

 このように、その場の勢いと一時の期待で何事にも手を出すべきではない事がよくわかるだろう。

 

 

 日本の選挙もかつては活気があった。

 

 中選挙区制度という、一つの選挙区が現代よりも広大なため、当選議席が10議席あったりする。

 

 そうなると一つの政党が10人当選を独占するのは難しい。

 

 なので与党や力のある政党に真っ向から立ち向かっていける小さな政党でも議席を獲得しやすかった。

 

 そのため、国民にはより幅広い選択肢があり、かつ自分自身も立候補すれば当選するかもしれないという希望がそこにはあったのだ。

 

 こうした様々な要因で活気があった。

 

 ここから時代が進むにつれて国全体が衰退し、力を失っていったのも関係が無いとは言い切れないだろう。

 

 今や、「有言実行」「決断と実行」をスローガンに選挙に臨む現職が目立つように、字面の見た目は良い。

 

 だが、肝心の何を決断して実行するのかまでは触れられてはいない。

 

 もしかしたら、税金の無駄遣いを決断して実行するのかもしれない。

 

 増税を決断して実行するのかもしれない。

 

 売国を決断して実行するのかもしれない。

 

 

 ふわっとしてぼんやりとしたものに、いかに騙されないように自分自身を律することが大事なのか。

 

 

 それを忘れてはならないと教えられている気がする。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年9月28にnote.comに掲載したものです。