成功している人物とは誰だろうか。

 

 

 それはあなたが即座に連想する人物と、どこか別の場所でこれを読む別の人物とおそらく全く別の人物だろう。

 

 

 とはいえ、世の中が何かしらに沸き立ち、メディアも一列横並びで称賛しているような、一種のブームが巻き起こっているならば、もしかしたらば一致するかもしれない。

 

 

 しかし、当然メディアの一挙手一投足が気に入らない人物というのもいるから、一概にそうとも言えないのがこの現世の面白いところと言える。

 

 

 大きさにかかわらず、誰しも成功は欲しいものだろう。

 

 

 だが、その成功とは何だろうか。

 

 

 

 人並みに親先祖に恥ずかしくない家庭を持ち、子孫を設けたなら、それはそれで死んであの世でなんの文句も言われる筋合いも無かろう。

 

 

 それは確かに一人の人間として成功しているとわたしは思う。

 

 

 あとは自信を持って残りの人生を謳歌すればいい。

 

 

 そこまで、そこまでようやっと来ておいて他者のお目汚しのお晒者になるのはもったいないの一言に尽きるだろう。

 

 

 せっかく何かを作り上げたのに、なぜにどうして我慢できなかったのか。

 

 

 

 そうしみじみ思えば、たった一言自身の無念を君主に伝えさえすれば、きれいに収まったのに、わざわざ要らん工作をしたばっかりに、大罪人として永遠に歴史に名を刻んでしまった人間だっていたなあと思い出す。

 

 

 一時の感情と言ってしまえば軽そうだが、一瞬そこまで突き動かしてしまう恐ろしさや妬み、そして果ては恨みと、人間に生来植えつけられた罠と言っても良いのかもしれない。

 

 

 逆に考えれば、その罠にさえ嵌らなければいいということになる。

 

 

 言うまでも無いが、その罠は至る所に仕掛けられているのだ。

 

 

 

 自身の堅物な父親と、臨機応変な父親で、どちらも立派な人物なのだが、農業、縫製、そして建築とすべてを同時にできるわけでは決してない。

 

 

 そんなわけで、世の中にはお金という便利なものが存在するのだが、前者は不器用なため今の仕事を辞めさえしなければ生涯年収は人並みに受け取る予定があって、後者は自身が経営するちいさな商店でやりようによってはどうにでもなる。

 

 

 教育は非常に大事で、その後のその子の経験に大きな影響を及ぼすと考えていいだろう。

 

 

 つまり、親が諸事情で直接その体験を子供にしてあげられないとしても、興味を持つように前提の知識を与えることが出来さえすれば、あとは本人が自身の力でどんどん自分の世界を広げていくというわけだ。

 

 

 それは楽でいいなんて思った親のあなたは残念ながら落第だろう。

 

 

 それだけ自信を持って教えられるような知識と概念を持ち合わせなければならない

という前提があって、すべてはトレードオフだからだ。

 

 

 

 自分は不幸せな事ばかりが起こるから、きっとどこかで報われるかもしれない。これだけ不幸だったのだから幸せなことがどこかであってもいいじゃないかと嘆いたところで世界はトレードオフだ。

 

 

 あなたの不幸せな分は誰かの幸せに流れていっている事を肝に銘じておかなければならないだろう。

 

 

 

 一見関係のない話を並べたように見えるが、共通することがただ一つだけあるがわかるだろうか。

 

 

 それは自分自身の力でだけそれを覆すことが出来ることだ。

 

 

 家が裕福であれば成功者に近いスタートラインに立っているだけの事。

 

 

 何も無ければ、真のスタートラインから成功にたどり着かなければならない事。

 

 

 

 

 おっと、どこかの詐欺師からまた悟りがどうとか言われそうなのでこのあたりで今日はやめにしておこう。

 

 

 別に文句を言われたところで腹など立ちはしない。

 

 

 アリが道端で噛みついてきたところで、潰すことはあっても一時間も経ってしまえばすっかり忘れているだろう?

 

 

 同じなんだ。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月16日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 大昔、情報の伝達手段として飛脚という、依頼人の手紙を預かっては駅伝のように走り、宛先に向かう別の飛脚に宿場町で引継ぎを行って、いよいよ受取人へと運ばれていくというものだったのだ。

 

 

 世界地図で見る日本という島国は四方を海で囲まれているからか小さく見えるが、実はそうではない。

 

 

 南端の島まで含めると、アメリカ大陸に当てはめれば、北はカナダの南部から南はフロリダ州南部におさまらず、ペルーにまで到達する規模だというからどれだけ大き

いかわかるだろう。

 

 

 もちろん、領海を含んだ最大規模で見た場合だ。

 

 

 本土ではかつてそれだけの距離を飛脚という職人の人物が、通信をまさしく自身の足で支えていたのだから驚きと称賛の一言に尽きる。

 

 

 もちろん、長ければ一週間そこら時間がかかるのは仕方がない。

 

 

 これを現代に当てはめて、飛脚さん、こちらの事情で明日午前中でも到着してもらわないと困るなんてわがままを言った日には、頭がおかしいと思われて一笑に付されるばかりか、生涯軽蔑されて終わりを迎えるだろう。

 

 

 このように、相手の事情を考えず自身の事情だけを押し付けて無理を通そうとすると、下に見られるばかりか生涯軽蔑されることにすらなりうる。

 

 

 それはそもそも人間同士の信頼というものがあってだなと、待ってましたとばかりに訓垂れをはじめるジジイやババアもさぞ多かろう。

 

 

 新たな伝染病が持ち込まれ、またワクチンだのなんだの騒ぎになれば、労働力不足を理由に海外から人材が取り込まれ、十人に一人は外国人が当たり前の社会にいつの間にかなれば、そうした老害は死ぬまでひきこもりを決め込むかもしれない。

 

 

 まさしく、隠居である。

 

 

 COVID-19という米国に特許があると噂されているウイルスが流行した時には、国が国民に対してワクチンを接種するように推奨し始めた。

 

 

 それも1回だけではなく、ウイルスの変異に伴い時間が経てば別物となるために、それに対応するワクチンの接種を推奨したのだ。

 

 

 もちろんそれらは国産ではない。

 

 

 大量の税金を使って仕入れられたもの、それがほとんどだった。

 

 

 どういうわけか、ワクチンの接種がはじまってからというもの、日本人は急激に減少をし始めたようで、十年前と比べてさらに街が静かになったような気がする。

 

 

 直接の因果関係は不明である。

 

 

 1回目のワクチンはただの生理食塩水だったなんてよくわからない話もあるくらいで、短期的に変異するウイルスは科学的な特徴として人工物である可能性だってなくはない。

 

 

 戦争が簡単に出来なくなった現代において、どうやって人口を、もう少し言えば公の負担となる年齢層や疾患を持つ属性を社会から穏便に離脱させることが出来るかは、負担する国として常に悩んでいるであろうことは想像するに難しくはない。

 

 

 例えば、テロにみせかけて大惨事を起こしてみたり、自然に見せかけて大きな災害を起こしてみたり、二酸化炭素排出を抑えることが環境に良いんだとしてそこら中にレンズにもなり得る太陽光パネルで自然を開発して埋め尽くしてみたり。

 

 

 やれやれ、人間生き残るのも大変である。

 

 

 

 さて、どれも真実だとだれも保証してはいないあくまで世に出ている資料に基づいて構築できる話ばかりだ。

 

 

 信じるかどうかは読者のあなた次第ということになる。

 

 

 また髪の話だが、ハゲた人が公然と自分の姿を何かしらで公開している場合、ハゲだとまるでバカにしたような言い方だったとしても、ハゲの何がバカなのか直接的な因果関係は証明されていない。

 

 

 たまたまバカな可能性はあるが、ハゲとは関係が無いのである。

 

 

 そして、ハゲがハゲと言われたところで、それは事実をただ告知されているだけであるから、誹謗中傷にはあたらないというのが一般的だろう。

 

 

 いやいや、そう言われて傷ついたんだよと、近くの交番のおまわりさんに泣きついたとしても、そうですか、と言われて終わるか、そういうのは民事でやってくださいと言われるのが関の山だ。

 

 

 

 外国籍の外交官が、武力を用いないとどうにもできないくせに、ひとつの国なのだと主張して引き下がらない。

 

 

 香港の二の舞になるのはそりゃ嫌に決まっているだろう。

 

 

 まして、かつての敵だった人間をどう扱われるかわかったもんじゃない。

 

 

 最近は、臓器移植で稼げる時代らしいから、併合した瞬間まずは子供から一斉に街から姿を消しても不思議ではないのである。

 

 

 負けた国という存在はそういう扱いを受ける。

 

 

 台湾から50km程度しか離れていない与那国島に、影響が無いと?

 

 

 どうせ軍事展開するなら、いっそ太平洋への道を邪魔している日本の一部も実効支配するに動いた方がコスパが良いに決まっているだろう。

 

 

 最近与党から追い出されたGの国政政党が、日本のそうした国防の脆弱化に関してどれだけ影響を与えていたのかわからないが、時間は取り戻せないから真実だとしたらその罪は大きい。

 

 

 Gというのはとある学会の事で、一匹いれば数百匹いると言われている。

 

 

 まるでゴキブリのようだ。

 

 

 最近亡くなった会長に似た人物をみかけるが、目がタニシのような小さな点のようなものなので多分まがいものだろう。

 

 

 

 話が逸れたが、武力で統合できない独立国同士などひとつの国ではない。

 

 

 一国の首相に対して畏れ知らずにも首を斬るなんて発言をした低俗な外交官がいるようだが、その発言を指示した中央もまた、低俗だと自らが証明しているようだ。

 

 

 所詮、第二次世界大戦終了間際に、千島列島をふんだくったソ連軍のように、中華民国政府を混乱に乗じて台湾に追い込んだ火事場泥棒の連中の末裔である。

 

 

 残念ながら当時の当事者は生き残っている人も少ないから、その血を受け継いだというだけでそんな犯罪行為を自らやったわけではない。

 

 

 つまり、やり返すというある意味正当な言い分に思えるが、実際はただ新たな犯罪に手を染めているだけなので、やめたほうがいいと老婆心ながら厳に忠告しておく。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月14日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 どうあがいても一般庶民が避けられないことがある。

 

 それは国が武力による侵攻を開始された時だ。

 

 

 

 前回は、正義とひと言で言っても立場によって違うことを念入りに話をしたつもりだ。

 

 

 もちろんその話は、この話をするための前フリだったと言えなくもない。

 

 

 

 多額の資金を投じ、国民の数だけある命の半分を投じてでも戦争をするのはなぜだろうと考える暇など無い。

 

 

 それを考えるのはまたすべてが済んだのち、勝者と敗者を条約で確定させて、その中でも誰がその戦争の責任を取り処刑されるべきかを国際裁判でMP(ミリタリーポリス)の管理下にある戦争犯罪人の言い分を一応、口頭弁論という形で聴いたのち、処刑する。

 

 

 その後で、あの戦争は一体何が悪かったのか、どうして戦争など愚かなことを人間は繰り返すのだろうかと、さも自分は関係なく、だから言ったのにと言わんばかりに新聞の見出しに眉をひそめる。

 

 

 

 少なくともその新聞やテレビの論調を真に受ける人間が居るから、戦争が無くならない事に未だ気づいていないのが、要因のひとつだろう。

 

 

 それはなぜか、ひとつ徹底的に炙り出してやろうか?

 

 

 

 そう言った連中をプロパガンダで製造することによって、戦争をしたい特権階級の連中にとって都合のいい世論を生み出すことが出来るわけだ。

 

 

 糖分が血液中を満たしていて、およそ正常な思考や記憶すら怪しい、思考停止に陥りやすい連中は簡単に利用されるだろう。

 

 

 安い海外製食品、ワクチン、笑止千万。

 

 

 個人的に麻薬かと思うくらいだが、さて真実は闇の中だ。

 

 

 

 戦争を乗り越えると、国民の平均年齢が極端に下がり、女性が多くなる。

 

 

 簡単な話だが、これが何を意味するか分かるだろうか。

 

 

 本土決戦に至らずともだ。

 

 

 

 ここであっと気づいた方は賢い。

 

 

 社会保障費がやたらとかかる足手まといは前線で処分できる。

 

 

 おっと、気を悪くしたならこれは失礼。

 

 

 

 だが、ウクライナ戦争と呼ばれる、実質ロシアと欧州の戦争は、欧州側の報道が目立つだけでロシアの内情と言えば、ある程度国内産業で賄えるために景気が良いようだ。

 

 

 若い男性も街で目立つようで、これが全てを物語っているように思えるのはわたしだけではないはず。

 

 

 

 さて、確かに戦争は愚かな行為だと言える。

 

 

 地球はまた始めやがった、やれやれと思っているだろう。

 

 

 しかしまあ人間なんぞ無尽蔵に増えてくれるくらいなら、いっそ新陳代謝のひとつと考えれば助かると思っているやも知れない。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月10日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 わたしは恩返しから。

 ひたすら、仇にならない事を願いながら。

 

 

 正義という大そうな代物は、聞き飽きたかもしれないが長い歴史を見ても立場によって様々存在している事がわかる。

 

 

 実に抽象的だが、個人的にはこれで完全な解説めいた文章だと思うため、これで納得いただけると、いかに何事も省くことが重要か、それをこの短い人生の間にどこまで際どいラインを見極めきれるのかという私個人のポリシーに収まるので助かるのだが、おそらく難しいだろう。

 

 

 

 今私たちが住まう国がすっかりなくなってしまうと困る。

 

 

 困らない人間がいるとすれば、一体誰だろうかというのはまた別の話。

 

 

 

 人は一般的に変化を嫌う生き物であることは自分自身を鏡で見れば一目瞭然でおそらくほとんどの人々も同じなのではないかという仮説を持つ。

 

 

 意外だが、そこに正義があるのを意識したことがあるだろうか。

 

 

 それは自分の、そして家族の今の普遍的で満たされた生活を守り壊されてたまるかという正義だ。

 

 

 しかし、統治者にして国家元首をはじめとした貴族や閣僚は、国が消えるのが困るのであれば、軍の基地となる土地を提供し、各自一定の軍役を持つべしと今までなかった方針を打ち出す。

 

 

 これはこれで国を守るためという正義だ。

 

 

 

 今や華やかな中華思想社会に取り込まれることの何が問題なのかと、日本政府内部はおろか地域経済までどこまで浸透しているかわからない仮想敵国に属するはずの人民による支配を見越して、自称賢人であるインフルエンサーは旧日本国家、中華人民共和国日本人自治区となっても生き延びられるような発言をしだしたようだ。

 

 

 だからポジショントークと揶揄されても、「一般人の所詮庶民たる君たちにはそう見えるのか」という言葉が出て来るのも解らなくもない。

 

 

 それもまた彼にとっては正義のひとつと言える。

 

 

 

 中世の社会構造を歴史で俯瞰してみて見ると、細かいことはわからないのでより具体的に理解する手助けになる。

 

 

 絶対的身分制度、庶民は庶民で、農民は終身農作物を育て納税せよ。

 

 

 搾取される側とする側、権力を持つものと持たざる者に分かれる。

 

 

 皆等しく一人の人間のはずだと弱い者から、そして正義感の強い良いところのおぼっちゃまやお嬢ちゃんから疑問を持ち始める。

 

 

 しかし、今この現実ある社会こそうまく回っている以上は、これを乱そうとする者はすべて罪人として裁くべきだというのも正義なのだ。

 

 

 

 しかし、弱い者が、子供すらもパン一切れ与えられることなく、ひたすらこき使われた上に通りの片隅でついには動かなくなって、それが当たり前でどうかしたら何かの伝染病かも知れないから決して近寄って関わってはならないなんて社会ですらあったわけだ。

 

 

 それすら人間として現代だからこそどうかと思うが、当時の彼らにとっては如何に酷いと自覚があっても異を唱えては罰せられる。

 

 

 そうでなくても、そんな社会が無くなってしまったら自分はどうなってしまうのか不安でしかない。

 

 

 だから、例え間違っている社会でも生きる場所として守る側に回らざるをえないという正義もあるわけだ。

 

 

 

 さて、時代を超えてこれら正義が頑なに折れることなく衝突したらいったいどうなるか想像をしてみよう。

 

 

 人間は愚かな生き物だ。

 

 

 どの正義が生き残るかで何が正しいか決まることになるだろう。

 

 

 本当にそれが正しいのかは証明できない。

 

 

 なぜなら、理屈による合議の末導き出した結論では無いからだ。

 

 

 そう。この結果は結局、何事も力が正義だと証明したに過ぎない。

 

 

 

 それが如何に愚かで、話し合いで解決する道はないのかといくら訴えても、甘ちゃんだと散々批判の的にされて終わるだろう。

 

 

 ただ、その甘ちゃんな考えがそうではなく確かな志として自分の身を投げ出してでもその理想を実現に導く強さを世界は期待しているかもしれない。

 

 

 

 会社を経営していて、あああの人は偉そうに社長室の立派なレザーの椅子に座って、社員を顎で使う上、若い社員がヒイヒイ言いながらこなしたノルマの結果の果実を平気な顔をしてかっさらっていくのだから。

 

 

 『楽でいいですね。』

 

 

 そう言われて黙っていられるだろうか。

 

 

 今でこそ安定して、信用をつけたからこそ社員を雇えるくらいには資産を持てるようになったんだ。

 

 

 それまでの苦労がアンタたちに分かるかと。

 

 

 そんな苦労をせずに、表だけ働いているように見せかけてきっちりサラリーを死守するアンタたちこそどうなんだ。

 

 

 そう言いたくなるはずだ。

 

 

 これも立派な正義だろう。

 

 

 

 一方、社員は社員で庶民だ。そう庶民だからこそ会社を作るなんてたいそうな事は出来やしない。

 

 

 挑戦しようなんてとんでもない。

 

 

 寄らば大樹で代々の小さなお墓にきちんと納まることができれば満足する連中だ。

 

 

 その人生の過程、たかがと揶揄されても他にやりようもないが真っ当に生きようという小さな魂そのものが正義なのだ。

 

 

 

 このように、様々な正義が存在する以上、ぶつかれば大変なことになる。

 

 

 話し合いで何とかなるものもあるかもしれない。

 

 

 

 だが、期待はしない方が良い。

 

 

 なぜなら、世の中にはズルい人間というモノがいて、それは世界の秩序を乱すためにわざと仕込まれた存在がいる。

 

 

 そうわざわざ胡散臭い表現にとどめたのは、他者を殺めることを自分の生まれた意味だと思い、生き、そして何も疑問を持つこともなく実行してしまう人間もいることを忘れてはならないからだ。

 

 

 それを肯定するわけではない。統計的に認識するに致し方ないからだ。

 

 

 

 尊重、尊敬、表向きそんな甘っちょろい姿勢は大いに結構。

 

 

 土地の境界、自分の居場所、受け継がれてきた文化、そして何より自分の遺伝子を受け継いでくれた子供が幸せに無事天寿を全うしてくれる事。

 

 

 そのためには国境線が無くては話にならない。

 

 

 その内側だけは自分たちの家なのだから。

 

 

 国境線を越えて仕事に向かうも旅行に向かうも、国内で自宅を出て仕事に向かうも旅行に向かうも同じだ。

 

 

 パスポートを持っているかいないかの違いはあるが。

 

 

 ただ、安心して眠ることが出来る自分や家族といった心を許した存在と共に過ごすプライベートな家や国があってこその文化、伝統、個性だ。

 

 

 

 それが話し合いの限界を超えた時、戦争になる。

 

 

 近所づきあいでも物の投げ合い、夫婦だって深夜に皿が宙を舞っているなんて珍しくもない。

 

 

 パトカーが二台いた。

 

 

 

 じゃあ正義を持つなということか。

 

 そういう話ではない。

 

 

 尊重というきれいごとでもなく、守るべき物、譲れないもの以外はどうでもいいという心の余裕こそ、正義を武器から区別という線引きへ消化することが出来るのではないかという長い長いわたしの戯言だ。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月8日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 何事に対しても見抜く力を、お金や努力を対価にして大なり小なり会得したとしよう。あなたの人生はそれを境にどう変化するだろうか。

 

 

 前回は、スーツを着ない詐欺師はいないという枕で始めた話だった。

 

 

 そう、その詐欺師らを一目見てそうだと確信できる能力が当然にあって、得られる結果が正しいという常識が定着していたら、きっと大きく違うだろうというわけだ。

 

 

 ただし、その能力は万人に備わっているわけではないとすれば。

 

 

 

 自分は詐欺師を一目で見抜くことが出来る力を持っていると周囲に言いふらして回る人間も一人くらいは出るかもしれない。

 

 

 しかし、大半の連中はそんなこと常識の範囲なのだから、わざわざ言いふらして回るほどのことでもないと認識している。

 

 

 詐欺師側としたらこれは死活問題である。

 

 

 これまでは詐欺師はその証拠をつかまれない限り、疑わしきは罰せずという民主主義社会の良心によって、ある意味守られてきたわけだ。

 

 

 ところが、警察組織内部にも一定数一目見ただけで詐欺師であることを見抜くことができる人物はいるわけであって、その能力から得られる結果は一般的に正しく、もはや物理法則と等価な常識として浸透している社会なら逃げ場がない。

 

 

 つまり、誰がその能力を持っているか持っていないかに関わらず、まるで血液型のひとつのように一定数が常識的に持ち合わせている能力者が存在する以上、詐欺師として商売をすることは出来なくなるわけである。

 

 

 となればおそらく、同時に詐欺師という概念もろとも消滅するだろう。

 

 

 

 スーツのサイズや型も本人と明らかに合っておらず、明らかに他人から借りてきたもので初々しくはあるが寡黙でおよそ営業職には向かない。

 

 

 だが、手を見てみれば趣味とはいえ、バイクや自動車の機構に著しく興味を持ち、油まみれになることなど気にすることなく生きてきたことがわかる指先具合。

 

 

 そんな技術者を喉から手が出るほど欲している身としては、いくら口先だけで自分はバイクや自動車の整備技術者に興味があります、なんでもやりますと言われたところで、仮にそれを信じたとて育てるのが億劫だ。

 

 

 きれいなオフィスに形式ばった面談、馴染んでくれて人件費とそれに伴う労務費、さらには募集するにあたって投じてきた資金に見合う人間なのかをどう見極めるか。

 

 

 時代が進み、そこまでコストをかけてきたにも関わらず、退職代行サービスなんていうものを通じて、ある日突然姿を消す人間もいるのだから。

 

 

 一目で見極める能力というモノがどれだけ、時間だけではなく金銭的な悩みすらも解決してくれるのかこれで何となくでもわかるだろう。

 

 

 

 一瞬で見抜き見極める能力というものが如何に価値があるのか。

 

 

 持つとしたらあなたは何に対して見抜く力を欲するだろうか。

 

 

 

 例えば、ブログのようなものならばプロフィールや概要欄を見ればいい。

 

 

 日常を謳っているのであれば、その人の表向き用の生活を覗き見れることがわかるだろうし、自身が持つ病気を羅列しているのであれば共感や寄り添いを期待しているのだろうと想像できる。

 

 

 ビジネスに特化していて、ブログですら時間をお金に替えていくというスタイルを打ち出しているのであれば、文章力や心理学、まあテクニックはどうであれ再現性があるのかはさておき、そうしたものであるのがわかる。

 

 

 すでに広く知られている人物であれば、何も書いていない事もあるし、どうかしたら昨日何を食べたとか、知名度を前提としてどうでもいいことをプロフィールに書いている場合もあるだろう。

 

 

 さて、問題なのはここからだ。

 

 

 学者であれば専門的でかつ日常の思考を垣間見れるかもしれない。

 

 

 学者には研究生がいるし、上場会社を渡り歩くような職業経営者、国会議員などといった人物には秘書や弟子がいるから、そうした補佐的な人物がプロフィール欄まで管理している。

 

 

 つまり、本人ではない第三者が業務として権威的な経歴など書いている場合は特段問題は無いと言えるだろう。

 

 

 

 逆に言えば、これでもかと権威的な経歴を自分自身で書き綴り、まるで宗教の教祖のような振る舞いをしているモノはどうだろうか。

 

 

 もはやインターネット界隈の呪物と言ってもいい。

 

 

 自分はこの社会にとってなくてはならない価値があると思い込んでいる。

 

 

 それだけでは飽き足らず、結論の見えない、結局何が言いたいのかわからないオナニー、終わりなき訓垂れを延々と延々と見せつけられる羽目になるだろう。

 

 

 

 さて、冒頭話したような見抜く特殊能力、そしてそれが存在することが当然に常識化され定着した世界では残念ながら無いが、前提を読めばわりと簡単に判断することは可能だろう。

 

 

 判断することが出来る知性を持っているかどうかは、また別の話だ。

 

 

 例えば、哲学者はその気になれば誰でも名乗ることが出来る。

 

 

 それらしい振る舞いを演じることだってできるだろう。

 

 

 ただ、知性が伴っていなければ時間と共に自己崩壊していく。

 

 

 

 前提が間違っていれば、国でさえ自己崩壊するのだから。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月3日にnote.comに掲載したものです。