新人として駐在所勤務が日常だったが国会が決めた、いわゆる安楽死制度が始まって以来、この制度の窓口へ異動になった。

 

 

 国民の安心安全を守る仕事、父親の背中を追いかけるようにして自分も同じ職に就いたはずだが、気づいたらまるで最期の番人のようだ。

 

 

 当時は若かったこともあって何も考えていなかったが、しばらく携わってみてとんでもない場所へ来てしまったと気づいたことを覚えている。

 

 

 なので、思うところが無いと言えば嘘になるだろう。

 

 

 

 制度開始時は、簡単に国民が自ら命を手放すような制度を国が提供すべきではないと、明らかに躊躇ためらうようにと拳銃を貸し出す形式だった。

 

 

 制度は小学校の教科書にも、まずは名称と簡単な解説が掲載され、中学、高校と学年が進むごとにより具体的に広く教えるようになったのだ。

 

 

 ただ、単に制度の解説をするだけではなく、自身の命の重さについて考える時間を設けるといった狙いもある。

 

 

 というのも、中学生や高校生の自殺件数も多かったからだ。

 

 

 いじめ、家庭不安、将来への絶望、理由や動機は様々だが、これらは何も子供たちだけに限ったことでは無いように思う。

 

 

 大人は子供の間の事だからと軽く考えがちだが、子供にとってみれば毎日通う学校の中の世界は、現状世界のすべてであると考えなくてはならない。

 

 

 大人は大人で仕事を干される事態を避けたい。家庭を持った日には、もうなんとか定年まで駆け抜けるしかない。

 

 

 そうなることを仮に十代で悟ったとして、早めに手を打てる、あるいはあきらめて自ら身を投じる人間かどうかによるだろう。

 

 

 さもなくば、他人とは違う人生を歩むしかない。
運よく成功して大勢の上を行けば、次は妬み嫉みの的になる。

 

 

 だが当然に、失敗する人の数は圧倒的に多い。

 

 

 

 自分が何を一番気にするかで世界は変わり得る。
もしかしたら死ぬのはいつでもできると思えるかもしれない。

 

 

 親の顔を気にするのであれば、警察や役所にいる他人を頼る。

 

 

 居場所を気にするのであれば、いっそのこと引っ越してみる。

 

 

 出来ない事を気にするのであれば、出来ることを探す時間を作る。

 

 

 他人といるのが苦手な人もいて、窓口に訪れる大半の人はそうだと思う。
もう自分がピエロになれるか、そうではないかだけだろう。

 

 

 もちろん無理して他人といる必要はなく、どうしても無理なのであれば一人で居られる方法を見つけるほかない。

 

 

 一旦そうしてみて、しばらくしてもしかしたら気が変わるかもしれない。

 

 

 もちろん、変わらないかもしれない。

 

 

 でも、それでいいはずだ。

 

 

 何かと文句を言う人がいるとすれば、体裁を気にする身内か、自分への注目を如何いかなすけようかとたくらやからくらいだろう。

 

 

 そんな自分の事しか考えていないような人間からは、いずれにしても早々に距離をとらないと下手をすれば命まで取られかねない。

 

 

 

 もう少し生きてみようと、どうせいつでも、そして人間はいつか必ず死ぬのだからと少しだけ考えてみて欲しいなと願うばかりだ。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2024年6月8日にnote.comに掲載したものです。

 

この制度が始まった当初、設置が可能な警察署の地下を法の要件を満たすように改装する形で、比較的大きな都市を管轄する建物から随時施設の設置が進められた。

 

 

 全国の中でも人口密度が高い東京都は、地方に比べると財政に余裕があり、景気もあまりよくなかった背景もあって、ひとつの公共事業として積極的に設置が進んだ。

 

 

 法の猶予期間中は各区に1か所2か所あれば要件を満たすくらいに設置を急がれたものではなかったが、成人はおろか高校生にも満たない者の線路への飛び込みやビルからの投身が相次ぎ、おまけに高齢化が特に目立って進む北部では独居老人の孤独死が周囲の住人によって発見されるなど、大きな社会問題となりつつあったため、簡易的な施設でもいいから少なくとも窓口は設置するようにとより対応が急がれるようになった。

 

 

 鉄道における人身事故は、都内では1時間で運行が再開されるかもしれないが、地方になると運転再開まで4時間以上かかる事も珍しくない。

 

 

 ほかにタクシーやバスといった交通手段があればいいかもしれないが、そうでない場合は足止めをくらう事になる。

 

 

 運悪く車内で居合わせてしまったら、自然あふれる車窓を眺めながらでも運転再開までひたすら粘り強く待つことになる。

 

 

 言うまでもなく、いくら命の問題とはいえ大変な迷惑でしかない。

 

 

 ビルからの投身や孤独死の後は、それら不動産に関わろうとする人間はまず躊躇ためらうだろう。

 

 事故物件扱いとなるか、それを免れてもまずいわく・・・つきのものになってしまうからである。

 

 たとえ上物を取り除いたとしても、何か土地自体に悪いものがある、もしくはついたのではないかという恐れを抱かせるのも仕方が無いだろう。

 

 

 結果、当初は場所と銃を貸し出す、それらをどう使うかはその人に任せるというやり方で始まったこの制度は、銃という日本人には馴染んでいない恐ろしい武器を前にしてなおも本当に死にたいのか。

 

 

 つまりは自分の命と改めてしっかり向き合い、躊躇ったうえで死なない生き方を選ぶことを期待した制度でもあった。

 

 

 しかし、その手段が銃しかないのは残酷で、本当にそれでしか期待を成しえないのかという議論も始まったのだった。

 

 

 

 この制度自体、それこそ国を二分するような賛否両論の激論の末に、一部の国民にただ死ねという制度ではない、自身の命と向き合う時間を作るという意味合いもあるのだという主張が最終的に通ったわけだが、実現してみると意外に混乱なく社会に浸透していった。

 

 

 今では銃ではなく、警察署地下にいくつかある4畳半ほどの地下室で毒薬が貸し出され、それを本当に飲むかどうかは個人の自由という形で制度は社会に定着している。

 

 

 本当に飲んで死亡した場合は、事件として捜査が行われる。

 

 

 ただ、自宅でやられるよりは、はるかに社会の負担は軽くなった。
理由はすでにお話ししたはずだ。

 

 

 

 死にたいと願いながら生きている人間は本当にいるのだろうか。

 

 

 そう主張することで周囲に心配してもらえる。構ってもらえる。

 

 

 法益を提供する国として矛盾する制度ではあるが、本当に死ぬ自由が与えられた現代社会では、むしろ軽々しくそうしたことが言えなくなり、それぞれが精神的に強くなったかもしれない。

 

 

 ただ、問題の多くはそれぞれの所得、つまり、体力的、精神的、年齢的な要因によるお金の問題でもあるのではないかと議論が行きついたところで、社会は最低給付保障制度ベーシックインカムの導入についてようやく議論を始めたのである。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2024年6月1日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 台湾有事が話題になる中、近年「ひとつの中国」という言い回しをゴリ押しする中華人民共和国の真の思惑とは。

 

 西側と東側の対立の最前線に位置する日本、いざ争いが勃発すると国として巻き込まれるのは必至。

 

 まだ、そんな争いは起こっていない今だからこそ、わたしたちが念頭に置いておくべきことをX(旧Twitter)でお話ししています。

 

 わたしたちの子供たちが巻き込まれることがありませんように。

 

🔽本文はこちらから

 

 

 

 

「わあ、こんなところがあるんだ。」

 

 

 日常の雑踏から逃げるように、少しばかりローカル線で内陸に向かうと同じ空の下とは思えないほどの自然が広がっていて、ようやく厳しい寒さから息を吹き返したかのように、木々も、そして生き物たちも試練を乗り越えた喜びを分かち合っているようである。

 

 

 噂には聞いていたが、山間にある有名な神社を囲むように広がる桜はそれは見事で、地元の人も、また観光の人も見わけが付かないくらいに、それぞれが鮮やかな春の景色を楽しんでいる。

 

 

 陽が落ちればまだ寒い時期だが、こうして陽が高いうちはむしろ少し暑いくらいだろう。

 

 

 この気温差には注意する必要がありそうだ。

 

 

 

 携帯電話なんてものが無かったほんの少し前までの時代は確かに不便だったが、その代わりそれ・・に囚われることもなかった分、心の自由はあったかもしれない。

 

 

 今となっては、連絡がつかないといった事態は携帯電話の充電を切らす過失、あるいは基地局の何らかのトラブルでつながらないといった要因でしか起こり得ないだろう。

 

 

 つまり、便利なものを手にした代わりに、常にコミュニティに鎖でつながれたような、昔あったはずの自由を差し出してしまったのかもしれない。

 

 

 

 そう思ったのは、電化されていない区間の路線。
二人並んでクロスシートに座り、街では決して見ることの無い景色を楽しみつつふと携帯電話を取り出すと、圏外とアンテナ1本の表示を交互に繰り返す画面を目にしたからだ。

 

 

 

 電車とは違い、ディーゼルで動く普通列車は行く先の駅ごとにことごとく停車をする。

 

 

 そのたびに開くドアから、その土地の空気を車内に取り込む。

 

 

 軽油が燃えた香りを混ぜながら。

 

 

 

 そうして降り立った山間の駅の周りには、知る人ぞ知る観光地らしく小さな商店が道沿いにあり、地元でとれた野菜や漬物が並んでいる。

 

 

 この空気だよな。

 

 

 コンクリートで囲まれたような街中で生きていると、たまに息苦しく思う事もある。

 

 

 まるで世界が違うかのような、ひんやりとしてなおかつ森の香りというか、本来人間はこうした自然の中で生き残ってきたことを思い出させてくれるような気がしてならない。

 

 

 思い切って誘ってよかった。

 

 

「ねえ、あそこでお団子売ってるみたいだよ。
あれ、水まんじゅうだって!」

 

 

 どうやら、お腹がすいているらしい。

 

 

 

 そろそろ初老に差し掛かった自分には、この景色と、そのもとで楽しそうにしている彼女は心にスーッと癒しをくれる。

 

 

 じゃあまずは、お茶を頂こうか。そう彼女に言うと「やったっ!」とまず一つ願いが叶ったような喜びようと、なんだかわくわくしているようだ。

 

 

 あれ、こんな人だったっけと思うくらいに、まるでこれまでとは全く違う一面を見せる彼女にむしろ驚いている。

 

 

 

 あの時、ストーブの前で抜け殻のようだった。

 

 

 あの時、思い切って自分の人生を終わらせに来て、なんだかんだで喫茶店で死んでほしくないという自分の願いを聞き入れてくれたあの時の彼女の姿とはまるで違う。

 

 

 彼女本来の魂の姿は今、目の前の彼女がそうなのだろうと思えた。

 

 

 

 目頭が熱くなる。

 

 

 あの時思い切ってよかった。

 

 

 彼女がこの世にとどまってくれて本当に良かった。

 

 

 

 年のせいか涙もろくなった気がする。

 お茶はしょっぱくあるはずがないのに。

 

 

 お目当てのお団子を頬張る彼女は輝いて見えた。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体と一切関係がありません。

 

※この作品は2024年5月25日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 日本人は農耕民族として永い時代を受け継いできました。

 

 

 先の大戦で敗戦国となり、天皇家を中心にまた日本が他国を脅かすことの無いよう、あらゆる規制を受け入れましたが、その中にはかつて「祭日」と呼ばれていた日があります。

新嘗祭

 毎年11月23日は現在、勤労感謝の日の祝日として扱われています。

 

 

 この日、皇居では新嘗祭にいなめさいという重要な神事が行われるのを、真に日本人を語るなら知っておく必要があるでしょう。

 

 

 お米の収穫を終え脱穀と必要であれば精米まで終えるこの時期、その収穫されたお米などを神に奉納、その恵みに感謝をお伝えします。

 

 

 天皇陛下はこの神事にあたり、国家の安泰と、国民の繁栄を祈願なさるのです。

 

 

 すなわち、一年の中でもとても重要な一日に当たります。

 

 

 旧暦の時代についてのお話もしたいところですが、やめておきます。

昔はほぼ農家が普通だった

 今でこそ街に出てきて会社員として給料をもらうのが普通だとされていますが、昔からそうだったわけではありません。

 

 

 近代の日本では、農家の長男が家と畑を継ぐために、それ以降の男子は家の手伝いと会社勤務をしていました。

 

 

 昔は今ほど清潔な時代ではなかったため、結核や赤痢や天然痘におびえながらの子育てです。

 

 

 長男に生まれたからとは言え、家を継いでくれるまで無事でいてくれるかわかりません。

 

 

 それに、農家は日の出から日の入りまでやることが多く、農薬なんてあるわけありませんから、草取りから肥料の世話までとにかく人手が必要です。

 

 

 品種改良だって未熟な時代、植えた分だけ収穫できるなんて甘いもんじゃなかったので、翌年納める税金分と、自分たちで食べる分を確保するだけでも大変です。

 

 

 ひとつの苗からとれる米粒はほんのわずかですから、それらを賄うだけでもどれだけの土地が必要だと思いますか?

 

 

 お米だけ食べるわけにもいきません、卵や肉、野菜や大豆と物々交換する分のお米も作る必要がありますから、それはそれは大変だったのです。

 

 

 雇用とかそんなことを言っている場合じゃありません。

 

 

 それこそ総員総出、役に立たない人間など滅多にいません。

 

 

 農作業が出来ればいいのですから。

 

 

 

 家が持つ田畑を代々受け継がせるために、一生懸命、それこそ命を繋いできたのですね。

 

 

 そりゃ天皇陛下も国民のためにと祈りますよ。

 

 

 そこで降ってわいたのが戦争ですが、すでにお話ししたので省きます。

給料で食べてくれれば税金が取れる

 のちの財務省である大蔵省は、貧乏な農業大国の国民から税金を取ることに苦労していました。

 

 

 何せお金を使わずにお米で物々交換をして食べていくだけの国民もいるわけですから、税金の取りようがありません。

 

 

 でも、いい方法がありますよね。

 

 

 国民が主な取引でお金を使ってくれるようになれば、数字が明確になって割合で税金を徴収することが出来るようになります。

 

 

 それまで冷や飯喰らい次男坊以下の受け皿だった会社勤務、つまり商業が主流になれば現金で給料が支払われることになります。

 

 

 つまり、割合で所得税の徴収が可能になります。

 

 

 すると国の財源の確保が容易くなると踏んだわけです。

 

 

 現代ではすっかりお米は買うものになってしまいましたね。

つまり戦犯は国

 あなたがもし生きにくいと思うのであれば、無理やり商業制度で働くことがすっかり常識化してしまった国に責任があると言ってもいいでしょう。

 

 

 理由はすでにお話ししたとおりです。

 

 

 お米の値段が倍近くになっていますが大丈夫でしょうかね。

 

 

 今でも田舎に行けば、90歳のおばあちゃんが自分の仕事といって畑周りの草むしりを、夜明けから日暮れまでやっている姿を見ることが出来ます。

 

 

 昔はそうやって、食べていくために何かしら自分の出来ることを見つけてやってたんです。

農業をやらせろと訴える権利

 都市部ではエリートがお金を稼ぎ、地方では国全体に食料を供給する。

 

 

 日本人はそもそも農耕民族ですから、いつまでも忘れたくないものです。

 

 

 大工さんや左官屋さんは家を作り、修理をする仕事を担いますが、何かを食べずには生きてはいけません。

 

 

 日常や作業する際に着る服や、靴、雨の日に便利な防水着をつくる服職人さんも、何かを食べずには生きてはいけません。

 

 

 どんな仕事も大事ですし大変ではありますが、衣食住何一つかけても人間は生きてはいけないのですから、農協に支配されない農業が私たちの手に帰ってくる日があればいいなと思うばかりです。

 

 

 この際、国に声をあげればいいんですよ。

 

 

 自分を農家として生きさせろ、そうできる仕組みを作れって。

 

 

 お互い悪い話じゃないでしょうに。

 

 

 

 

 わざわざこんな記事を書いた意図が伝わればいいのですがね。

 

 

※このコラムは2024年10月25日にnote.comに掲載したものです。