HSPを探せ!【ハジマリ】 | ノラとハナウタ

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自分の最強の味方は自分じゃない?
色トリドリの自分を楽しんで行こう!

知ってもラクにならないって?

諸々相談を受ける中で疑問だったことは、HSPという概念を知ったところでラクになれないという人の多さ。

 

「あーそうか自分はHSPだったのか、だから周りの人みたいに、自分の言ったことをシレッと忘れたり、パッと行動したり出来なかったんだな…」

と気づき、一瞬『わーい、そうか同じ気質の人もたくさんいるんだねー!5人にひとりって結構な数よね!』と嬉しくなったものの、

「で?今後はどうしたら?」

とストップしてしまうという。

 

「え、だから、気質なんだから浮いてるワケでも異常なワケでもなく、むしろその気質を活かせば、友達関係も職場でも、ずっとラクに状況を変えたり出来ちゃうんじゃない?」

と伝えたところで、

「相変わらず気になるし、考えちゃうし、伝え下手なままなので…」と。

 

いや、気持ちは分かる。

分かるけれども、その『気になる、考えちゃう』ことが出来ない人もいる中で、『気付ける側にいる』ってすごくないですか?

 

繊細な心を持ち、人の気持ちにも共感しやすく、深く物事を受け止め、変化に気づきやすく刺激も受けやすいのだから、そりゃ周りとの温度差はあるよねーって気づけたら、

「なるほど…と、いうことは、無駄に様子をみたり制御したりせず、もうちょい早めに言いたい事を言っちゃっても大丈夫なんじゃない?」

と思えた。

 

…ので私は、

「自分は1回言われたら分かる(←刺さるともいう)から、次に同じことをしないように気をつけてもいる。…にも関わらず、夫のこの、何度言っても同じことで不機嫌になったり、同じ説明をするハメになる面倒くささは、しょうがないことなのか…」

と、しぶしぶ理解しつつ、今後はもう早め早めに切り返さないとねーって決意しました。

気にも留めない人に遠慮する必要ないもんねぇ?

と、ここで既にやさぐれているワタクシの独特な考え方が功を奏して『夫に対しての遠慮が無くなる現象』が起きました。

 

みなさんは、周りの平和の為に黙り、自分がおかしいのだから周りに合わせようと『普通』に寄せて行き、無理をしつつもどうにかこうにかやって来たという経緯があります。

 

でも私は逆に、

HSPでは無い人に対して『面倒くさい』

と思っていたんです。

 

だって何回も同じことを言わないと気をつけないし、

『これは苦手だと言ってるのに、なんで同じものを得意げに買って来られるのだろうか?』

と思ったり、
『え、こっちが全力でアナタに合わせてるのに、それを当たり前に思えるアナタって何様ですか?』
と、不思議でならなかったし、『いちいち説明させるなよ、言わないと分からないとか、マジで面倒だな』と。

 

そして、なぜ相手は同じことを何度もくどくどと言って来るのか。

『こっちはサラッと言われりゃ気づくって!何度も言われないと気づかないオノレと一緒にすな!』

と内心イラッとしたり、

『よくもまーこんな心の声がダダ漏れな顔してて恥ずかしくないよなー』

と沸点低過ぎてすぐに苛立ちを顔に出す人を見ていてゾッとしていた。

 

「変わってるね」と言われたりしたけど、大体が私の気づき過ぎる発言を面白がってる印象だったので直すべき欠点とも思わなかった。

 

方向音痴にも関わらず、ニンゲンの感情に関することは先回り出来ちゃうんだよなーと思えていた。

分かりすぎて「こうすればいいじゃん!」的な押し付けがましい事を言って『傷つけないように気をつかう』という部分ではもどかしいとは思っては来たけれど…。

 

こういう話しをすると自己肯定感が高いのねとか、さぞや愛されて育ったのねと言われるけれど、親は下町の昭和の子育てなので、他人様を上げて身内は落とす『けなしの文化』というか、「お宅はいいわねぇ、ウチなんてとてもとても…」的な、褒められたことってあったかなーってくらいだし、自己肯定感に分類されるのかは謎だけど、自分の『より繊細、より敏感が基本』なので、周りの人が『よりしつこい』『よりうるさい』という風に、なんでこんなにしつこく何度も説教するのか、なんでこんなにうるさいのかと、てっきり『周りが過剰』なのかと思っていた。

 

なので自分とよく似た気質の娘たちが生まれても、『まぁ、そうだよね』とそれを普通として来たし、自分が生きてきた中で身につけた知恵を伝えてきた(当時はHSPについては何も知らなかったワケですが、なんとなく自分と世間の違和感はあったので)。

 

ところがどっこい、次女はそのあたりの世間との温度差を飲み込めておらず、更には

「せっかくママに色んな事を教えてもらっているのに、自分は実践で活かせていないと落ち込みつつ生きて来た」

と告白されてから、

「え、ウソでしょ?」

と呆然とし、やっとあれこれ調べてエレイン・アーロン博士の本に辿り着き、読んでびっくり、なんだよこれじゃん!とHSPの概念を知ったのだけど、次女は典型的なHSS型のHSP(刺激追及型HSP)、私はHSSはギリギリのHSP(いうほど刺激追及型でもないHSP)。

これか!と思ったものの、僅かなズレを埋められずにいた。

 

そんな中で皆川公美子さんのHSP講座を受けて、洞察系、共感系、感覚系という3つの分類を読んで、なるほど!と。

 

私と長女が比較的困らなかったのは洞察と感覚が強いので共感もするが自分に戻って来るのが早いように思う。

『これは違う!だがしかし、みんなはこうなったら助かると思っていて、言い出しっぺのこの人は、こういう人だからこう言っておいた方が得策!』

…という風に、自分を安心させる為にも、その場をなんとなく納める為にも、状況判断を早く済ませることが出来る。

 

洞察40で場を読んで、共感20でみんなの心をみて、感覚40で先読みして流れを変える。

ちょっとこの辺りはもう自動的にやっているので数字の配分が自分として分からないというのが正直なところなのだけど、私でいうところの感覚は直感的なものだと思う。

全て同時発生なので正確には自分でも分かっていない。

本質にこだわりがありつつも、ここは本質で押しても無理だと直感で思えばそれは抑えるという感じ。

 

そして共感を少なめに設定しているのは、状況にのまれない為。

これは、友達を亡くしてから身についたのだと思う。

本人並みに傷ついてたら、相手の状況をつかめないと思ったから。

 

人の相談を受ける時って、共感は私の中では当たり前にあるのでむしろボリュームは下げる。

 

相手は自分を取り囲む状況をなんとかせねばと焦って相談しに来ているので、

私は、相手を取り囲む状況にいるひとりとして囲んでいる人たちを見つつ、相談者と向き合う感じ。

 

そう考えて次女をみた場合、彼女は共感80、洞察と感覚合わせて20といったところだろうか。

『あー、あの人がかわいそうー絶対気にしてるよー!分かるよー!

どうしよう、どうしよう、じゃあ私が言った方がいいのかなぁー』

と見切り発車で発言して周りに攻撃されて落ち込むの図。
 

優しいし、誰かの為に!と強く思うあまり、正義感で庇いに行ったはずがどうした訳だか自分が攻撃され、それがショックでなんの為に出て行ったのか本分を忘れたりする。

 

結果、傷つき、号泣し、こんな事があったと報告され、私は「なんの話し?」となってしまい、全体が見えないまま、次女の感情に巻き込まれるの図。

 

そして私が

「いやいやそういう場合はさ…」

と、いかにも洞察的なアドバイスをして、次女から

「そんなこと出来たらとっくにしてるわ!」

という反発をくらうという…。

 

「そもそも策も無いのに出て行っちゃうとか意味分からん、状況を読め!」

と思う私と、

「だってかわいそうだったんだもん!みんなだってそう思ってるのに何も言わないんだもん!」

という次女。

 

早くこの違いに気づきたかったですよねー、ほんと。

次女は共感力が高く、集合意識に飲まれやすく、それでいて正義感が強い。

 

私は、

『自分が出て行って傷だらけというのが意味わからん』と思っていたけど、HSS(刺激追及型)のHSPの次女からしたら、洞察とカンで平然と危機回避している母のようにはなれない。

『何度も同じことして泣いてる自分ていったい…』

と思ってしまったんだろうなと思う。

 

そもそも強度のやさぐれが私を守っているのだけど、それは子どもには分からなかっただろうし…。

 

それぐらい、同じHSPといえども多種多様。

同じ性質であっても強弱があってバランスも色とりどり。

 

HSPの私が育てても、違いが理解出来ていなければやはりそこに安心は生まれなかった。

 

何事も自分で決めたいので口出しされたくない私と、

相談しながら共に考えて欲しかった次女が同じHSPという…。

もう、ほんと早く教えて!って思ったわ…。

 

そして自分がHSPだと知ってもラクになれない人の中で多いのは『自分がおかしい』と思ってしまった人たち。

何か言っても否定されることが多く、こんなふうに考える自分がおかしい、自分が悪い、だから言わないでおくという風に自分の言葉を閉じ込めてしまう。

 

すごくもったいないなぁと思う。

 

細かく物事を感じたり見たりする人の考えてる事って私は面白いと思うし、

「げげーっ、そんなところまで見てるのー?」

と、同じモノを見ていてもツボってる場所が違うのですごく聴きたい。

 

「よくそんな面白いことを考えているのに黙って生きて来たね!」

と言ってしまうのだけど、そういう人に限って、

「自分だけがこんなことまで気にしていて、おかしいのかと思ってました」

という。

 

「いやー同じ感覚の人、いたと思うよー」

と言っても、「いなかった」と言う。

 
なので、
「じゃあ今後は探してみて!」
と提案する。
 
同じ匂いがするとか言うじゃない?
ちょっとした時の気遣いが、「お?」って人(←この説明で十分わかるのではと思うんですよねー!)。
 
感覚が似てる人と話してみて、肯定されたり、理解されたと感じたりすることで、自分が間違っていた訳ではないと気づくってとても大切なことだと私は思ってます。
 
HSPさんて、褒めると「いえいえ、そんなそんな…」どんどん後ろにさがって行ってしまうし、叱られると、「ですよね、そんな程度の私なのです」と妙に素直に受け止めてしまいがち。
やさぐれもせず素直に生きて来られている自分をもっと誇りに思って欲しいなぁと思うことが多いのに。
 
正直なところ、HSPかどうかってもうどうでもいいところまで来ているかも?
とも思っていて、子どもにしても、親がその概念を知っている必要はあるけれど、子どもに「君はHSP(HSC)だよ」とは言わずに、そのHSP特性の強弱に合わせて話しをすれば理解できるんじゃないかなーって思う。
君にはこういうところがあるけれど、こう考えてみたらどうだろうとか、こうすると気持ちがラクかもねとか。
 

大人に理解力があれば、子どもは知らずとも自然と自分らしく生きられる…という世の中になるんじゃないかなぁって。

 

あー、発達性トラウマ(ざっくり言うとHSPにありがちで、成長過程に繊細がゆえに受けて来たキズ。親に愛されていないのではとか、自分がおかしい、自分が思ったまま言うと怒られる…など、それが自己肯定感の低さや、つい相手に合わせてしまい自分が出せない大人になったり、動けない原因になったり…。と、言葉足らずですがこんな短文にて悪しからず!)については自分を理解すること、周りに理解されることでだいぶ変化は感じると思う。

 

ただ、なんというか、

「私ってHSPだったのに、誰にも理解されなくてかわいそうだったな…」

と思ってドーンと落ちてしまう人もいるし、承認欲求が強いのにうまく表現出来ずに妙な感じになってる人や、繊細さを無理して否定してたり、自分が好きになった人(男女問わず、そして師弟関係など含む)に褒められたくて無理してる人など、自分のトラウマに気づかない人もいる。もちろんトラウマを見ないフリしている人も。

 

自分に発達性トラウマがあるようだと気付いたなら先日紹介した公認心理士さんとかセラピストさんとか、他にもフラワーエッセンスとか、セラピーとか…今っていろんな癒し方があるのでご自分に合った方法で癒して行ったらいいのではと思う。

 

とにかくまずは、自分の周りのHSPを探せ!と思います。

似た境遇にあってもいろんなHSPがいるんだなぁと思ったり、距離や職種を超えて本音で話せる人が出来たりすると、とにかく変わろうとか、しっかり自立しなきゃとか、もっと学ばないとという焦りは引っ込みます。

一旦落ち着いて、本当にやりたいことってなんだろうって考えるのも全然アリです。

 

誰かに合わせるのではなく、『自分が欲しいものや、やりたいことを見つける目』が復活するのを待ってもいいのではと。

 

 

次回は『なぜHSPを探すべきなのか』について書こうと思いまっす!

 

 

お時間ありましたら、

やさぐれていることをメリットと考えるワタクシが

「なぬ?」と思った時にどのような対応をするかを書いた記事↓

 

 

 

 

 

 

 

 

では、

またね!

 

 

2022.04.20

21:21