不登校児のご両親へ、そしてあなたへ | ノラとハナウタ

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自分の最強の味方は自分じゃない?
色トリドリの自分を楽しんで行こう!

<勇気も根性も一旦おいておく>

ご無沙汰しました!
 
また無事に年を重ねました!
例年通り、
『お誕生日ありがとう!』。
もーほんとに物欲もなければ、平日のなんにもない日が大好きな私は、みんな無事ならそれでよし!
「あー昨日までは覚えてたんだよー」
なんていう遅れたおめでとうの平和さも好き!
とは言え食事やらケーキやらは家族が用意してくれて誕生日の空気感は味わいましたけど。
 
本当に、こんなに長生きするとは思わなかった。
子供の頃から『生きる』ことに興味はなく、生きていないといけないのなら早く大人になりたいと思っていたし、自死というものを知らなかったので、大人たちの言う『お迎え』ってのはいつ来るのだろうかと思っていた。
 
友達も何人か亡くなり、『あー助けられないなら意味なーい』と思っていたし、ガンになっても、事故に遭っても戻される。
死にたいというより、面倒だと思っていた。
何が起きても私は生きるしかないんだという現実に。
もう本当に勘弁してくれと思うことが起きても、苦しんで解決しながら生きて行くものなのかと。
 
どんな人生なんだよーと思っていたら去年?一昨年だったか、これは死ぬかも…と、今までの中でも強烈に死を近く感じた時期があり、何だかこれで全部体験したってことかもと思ったりした。
 
子供がいるのにとか、パートナーがいるのになんてのは何のブレーキにもならない。
自分より大変な人がいるとか、生きたいのに生きられない人がいるなんてのも百も承知。
なぜならそれまでに何度も踏みとどまってるし、置いていけないだの何だのなんて想いはとっくに通り越している。
死は突発的な衝動でしかないので、残された人に『あなたたちが居たのに』なんてことを言うのは酷だしピント外れで無意味だ。
慰めのつもりで更に傷つけてんじゃないよと思う。
 
瞬発力で動いてしまった自分が一番びっくりな状況なのではと想い至り、やりかねない自分を恐れたのだけど、私はいつも病院へ行ったり相談したりしない。
 
相談を受けている中で、そう言う状況は何度も見てきたし、言葉にしてくれる人も居たので、自分が危うい状況だなんてのは分かっている。
でも、それとは別に、常に自分の状況を冷静に見ているもう1人の自分がいる気がしていた。
つまりはかなり危うい状況になっても、
『分かった?こういうことだよ、ちゃんと覚えておいて』
みたいな。
 
毎回、これで分かった…と思ったら、死んでる場合じゃないと上がってくる。
毎回、かなり酷い状況を見せられるのだけど。
 
今回は、さてとこれから生きるか…と思えたので良かったけど、エンジンかかるのが遅すぎる…この感じだと300歳くらいまで生きないと商売上がったりだ(←なんじゃそりゃ)。
 
最近変だなぁと思っていたら、春分の日は体内、特に背面から火花がバチバチ飛び散ってる感覚でどうなることかと思ったけど、ここ10年弱、眠らせて使わなかった部分が起きたんだ。
『おぉ、お帰り、自分』という感じ。
 
末っ子が間もなく10歳なのでそれでやっとなのかなと。
母親モードからまた自分のアイデンティティー取り戻し期間に入ったというか。
 
色んな体験をしたり、深く考えさせられたりした後で、必ずそれを必要とする人に出逢う。
「そんなのあるあるだよ、私もこの前さぁ」と話して聞かせる状況になる。
何かと面倒な人生だけど、人の役に立つならまぁいいやと思っている。
 

さて、ここでやっと本題なのだけど、

先日、ラジオ番組(stand.fmだからいつでも聴けます!)にてHSP/HSCさんに向けて軽やかにお話ししてくれたHSP未来ラボ でご一緒させて頂いてる『よーりーちゃん』が今度は不登校児についてお話ししてます。

前編、後編に分かれていますのでご自分のタイミングでぜひ聴いてみて欲しい。

 

 

 

今回もナビゲーターは『あやかるBodyBalance』沖縄の那覇市在住の綾乃さん。

質問や親側としての反応や言葉が不登校の親御さんにも共通するのではと思います。

 

前編では『親の義務』について触れており、誤解の無い様に 『stand.fm』のコメント欄に詳細を記した追記がありますので『どういうコト?』と思った方は読んでみて下さい。

 

まとめると、『親は必死にならなくていい、ムキになると親子の信頼関係が壊れちゃう。親が必死に行かせることが義務付けられている訳ではないよ』って事。

 

とはいえ、子供が幼稚園や学校に「行きたくない」と言い出したり、行けないくらい体調悪そうだったり、起き上がれない状態になったりしたら、親は動揺する。
 
そして世間から『あら、オタクのお子さん、学校は?』なんて聞かれるとなんとも言えない気持ちになったりする。
 
もう当分は休ませても仕方ないと即座に判断出来る親御さんの方が少ないとは思うけれど、このラジオを聴くと、なるほどなぁとちょっと力が抜けるかもしれない。
 
親が子供の味方でいること、家が安心できる基地であることは大切だと知りつつも、『このままずっと行かなかったら?』という不安は常にある。
ほんの数日休むことに同意したために、そのままずるずると何ヶ月も行かなかったら?とかね。
 
甘やかしではないか、頑張って行くことで慣れるのではないか、これからの時代、多少の根性がないと生き抜けないのでは…と思うのは親心だけど、『子供の為』という大義名分の下に守っているのは自分の親としてのプライドではないのか…と考える時、妙に納得したりする。
大人のプライドは弱いものを守る時に使う方がいい。
弱いものの前で発動させるプライドなんてただ権力を振り回してるみたいで無意味だから。
 
親が親のプライドを守る為に子供を叱り飛ばして『普通に学校へ行く』ことだけにとらわれたらと思うととても怖い。
 
これから春休みなります。
そしてあっという間に新学期。
自殺が増える季節でもあります。
脅かすなと言われそうですが、実際に身近な人を何人も亡くした経験から言うと、本当に根性とか慣れとか、戦い挑ませるなんてくだらない。
 
我慢や努力がいつか報われるとか、そんな漠然とした目標なんて一体どこにゴールがあるのか見えないなら、子供たちに走れと、私は言えない。
 
そして、親たちだって不安なのも分かるので、ちょっとこちらもオススメ↓↓↓↓


HSPの映画上映会なのですが、詳細についてはリンク先を読んで頂ければ必要な方はピンと来るのではと思います。
 
我が子だけでなく、自分も?とか、生き抜くためのヒントになるといいなと思います。
ひといちばい敏感な子、繊細な子って、実際いるのに、それを見ないふりするって不思議だなぁと思う。
根性で乗り切れる子供もいるというだけなのに、『みんな』と言ってしまう乱暴さ。
スタンダードではないからなのかもね。
 
私はマイノリティ上等!と思っていて、繊細や敏感の何がマイナスなのか分からない。
もちろん、いま、何のヒントもなく子育てしている人たちに鞭打つ意味ではなくて、知ると出来ることも増えるし、『難しいよねー』と言いながら子育てしている仲間はたくさんいるって知ってほしい。
 
子育てなんて迷いながらでいいのになぜにすぐに道筋を決めたがるのか。
産んだだけで親だと自覚できるなんて思わない。
 
『繊細』って言葉、私は大好きです。
美しいじゃないですか。
きめ細やかで優美。
全くマイナスではない。
その感覚がなかったら、何と味気なく雑味だらけの世の中か。
 
繊細な人は自分から繊細とは言わない…って言われているそうだけど、どんな思い込み?
弱々と、何も言えずにじっとしているのが繊細?
 
じゃあ繊細な音楽家は、家でしか演奏しないの?
繊細な絵描きは人前で絵は描かないの?
狭い思想で繊細を語ってる様子っていかにもモノを知りませんみたいで滑稽だけどねー(←敵を作り過ぎ発言も上等だよ!)
 
自分が自分の特性を理解して、納得すると行動しやすくなる。
別に人様に『繊細なので大事に扱ってください』なんて誰も言ってないので安心しなさいなと思ってる。
自分を知ることが進むための近道だから知っておいてと言いたいだけだからねー!
 
花粉症だっていっときは『花粉に反応するほど、あなたは敏感じゃなさそう!』なんて言われたくらいだから、新しい発見や、理解へのハジマリはこういうものなのかもしれない。
 

ちょっと危なっかしい内容も書いちゃってるので、後日またまともな記事でラジオも映画も紹介した方が良いかも…と思うけど、とりあえず今日はコレで!

 

 

では、

またね!

 

 

美しさを感じることを無くさないでー!