響の会①西村高夫師の大原御幸は藝が一皮剥け、宝生能楽堂への手向けとなる。 | この辺りの見所の者

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2024/4/27(土)

東京水道橋 宝生能楽堂


響の会 第六十四回公演



能〈大原御幸〉

シテ/建礼門院/西村高夫

シテツレ/後白河法王/清水寛二

シテツレ/阿波の内侍/北浪貴裕

シテツレ/大納言の局/青木健一

ワキ/万里小路中納言/宝生欣哉

ワキツレ/臣下/則久英志

ワキツレ/輿舁/小林克都

ワキツレ/輿舁/宝生尚哉

アイ/従者/野村裕基

笛/八反田智子

小鼓/飯田清一

大鼓/國川 純

地頭/観世銕之丞

地謡/柴田 稔、小早川 修、馬野正基(後列)浅見慈一、長山桂三、安藤貴康、小早川泰輝(前例)

後見/鵜澤 久、谷本健吾



大原御幸を観能したのはいつぶりだろう。10年以上は経っている事だけは確かだ。どうしてもシテの建礼門院とツレの後白河法王との対比を見てしまう。平家物語の絵巻物のイメージとして。


シテの建礼門院は西村高夫師、ツレの後白河法王は清水寛二師。響の会の同人で大原御幸を舞う。

観世寿夫イズムを引き継いでいる両師。他のジャンルへのコラボに積極的な清水寛二師、清水師に寄り添いながらも、能を掘り下げる西村高夫師。

そのバランスが見事に表現として現れていたのが、今回の大原御幸である。


戯曲としての大原御幸の演出を個人的に初めて観能、いや観劇に近いのかもしれない。

演出のテーマは、おそらく建礼門院と後白河法王の距離観では無かったのではないだろうか。

シテが再び揚げ幕から現れ、二の松で謡。ツレは三之松。

ここが不思議で、シテとツレが橋掛かりに並ぶときシテは三の松でツレは一の松かニノ松にいる事が多い。

本舞台と橋掛かりを建礼門院と後白河法王の心理的距離観としての舞台装置として活用していた。

西村高夫師の謡と型が、また一皮剥けたように思える。身体の線の柔らかめな力みが無くなり、シュッと抜けて来た。

シテツレの2人も好演。

地謡も初同から品のある抑え目で張りと息で伸びのあるもの。最近の銕仙会の地謡は再び良い感じ。


調べの八反田智子師の笛の切なさが良い。良い笛方になった。

シテツレの阿波の内侍の北浪貴裕師、大納言の局の青木健一師もツレとしての佇まいと謡が大原御幸の世界観にハマっていた。


観能記を書く上で一番迷い。書いている現在も迷っているのは、ワキの万里小路中納言の宝生欣哉師。ワキにしては位が高すぎて、曲のアクセントとして締まったけれども、シテよりも位をちょい下にした方がバランスが良かったのではとも思えてならない。


この大原御幸は、建礼門院と後白河法王の距離感が演出のテーマでは無いかと思う。何故なら、シテとツレの阿波の内侍がアシライ中入して、法王が舞台に現れる。清水寛二師の法王はどうだったのか。法王役はシテと同格かそれ以上の能役者が勤めることが少なくない。成濁合わせ飲み権謀術数かつ品格が無ければならない。シテの西村高夫師の凛と抜けるような哀に対し、清水寛二師の法王は、闇に落ちながらも凛とした品を保つ。かつてのギラギラした後白河法王はそこにはいない。が、どす黒さが凛とした佇まいの中に忍ばせている。能の位というより、演劇の静かで抑えた演技を見ていたようだ。これはこれで大原御幸ならアリだと思えた。

今回の大原御幸の肝は建礼門院と後白河法王との距離感だと睨んでいるが、アシライ出シでシテつツレが再び幕出して、本舞台に入らず二の松で床几に座る。常は本舞台に入り、ワキ座の後白河法王と対峙するのだが、本舞台と橋掛かりと二つの画面が現れて、それぞれの心情を語っている感。西村高夫師の位の変化も見事で、(朧の清水月ならで、御影や今に残るらん。)では空間が月夜に変わりキュと締まった。

法王に対し醒めた状態で無茶振りされた状況の語も淡々としている。建礼門院と後白河法王との心理的距離感は変わらずのまま。


その距離がひととき詰まった。シテ謡の(今ぞ知る。)それまで達観して粛々と抑えてきた感情が爆発する。この一瞬のための演出だったのかと思えるほど。



番組のパンフレットに、大原御幸は作者不詳ではあるか金春禅竹作ともと書かれている。

抽象的で淡々と進む作風は禅竹作の可能性もあるのかもしれない。(今ぞ知る。)の一瞬にかけた今回の大原御幸の演出。一瞬だけ建礼門院と後白河法王との距離が縮まった。


それだけである。その一瞬がこの大原御幸でもある。


大原御幸を能と言うより演劇として観れた。本舞台と橋掛かりで距離感を示し、禅竹作としての大原御幸ならではの、抽象からの一瞬の具象の瞬間も示した。