生誕120年 安井仲治回願展。 | この辺りの見所の者

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2024/3/13

東京ステーションギャラリー



戦前に活躍したアマチュアカメラマン、安井仲治。

個展として安井仲治の写真展を見るのは実は2回目である。ちょうど20年前

渋谷の松濤美術館で開催された。写真が好きな亡き親父に誘われて見に行った。


それまで、写真展は木村伊兵衛や土門拳などは見ていたけど安井仲治は知らなかった。


強烈だった。


自分の写真に対する概念が覆されてしまった。その瞬間を切り取ったものが写真というものであるならば、安井仲治の写真はストーリーの一部分が写真に収まっている感じなのだ。

写真が生きて動いている感覚だ。


特に流氓ユダヤの写真は衝撃だった。神戸に避難してきたユダヤ人の眼の怯えが動画の一瞬をみているかの様に写真に収められている。

見たあと、美術系雑誌で安井仲治特集があり、図書館で借りて読んでいたら、流氓ユダヤの撮影の時、まだ若い手塚治虫も手伝いとして関わりがあり、後の「アドルフに告ぐ」に繋がったとされているらしい。今、その雑誌は手元に無いので当時のうろ覚えの記憶に過ぎ無いのだが。



あれから20年


安井仲治の写真展が見れるなんて。

安井仲治は36年の短い人生を戦前に駆け抜けて行った。流氓ユダヤの作品以外は当時は難解な写真もあり、理解出来なかった。


今、やっと他の写真をじっくり見て、少しは理解出来て凄い写真家だったと改めて感じる事が出来た。理解出来なかったのは、シュールレアリズムに影響を受けた写真で、(安井仲治の写真は全部モノクロ)


マン・レイみたいな感じの写真があり、意味わからなかった。

今見ると、画角の配置のリズムの見事さに眼を奪われる。画角内の空間創りが見事。それでいて動画の一部分の奥行もあるので、今にも蠢くような不気味さも感じられる。


有名無名の写真家の写真で、時代の空気を動画の一部分として写真に収まっている写真を撮った写真家は、今でも安井仲治以外は知らない。


20年前は図録は売り切れで買えなかった。今回は是非とも買わなけばと思った。



自分の拙い文章よりも、この動画の方が伝わるかも知れない。↓