「おかえり有楽町」上映inAL⭐️VEシアター | この辺りの見所の者

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秋田を拠点に映像制作やシネマ運営を行うアウトクロップスタジオ。自分も何回か観に行った。シリアスなドキュメンタリーがほとんどなので自分のエネルギーがある時でないとなかなかの行けない。アザーミュージックは、楽に観れたかな。


有楽町とは秋田市にある通称地名である。(南通亀の町)

かつて何軒も映画館があって、自分が小さな頃、親に湯沢市から連れて行ってもらって映画を観た記憶が朧げにある。

おかえり有楽町は、アルヴェシアターの他にも、まだ上映される予定なので。


アウトクロップのリンク先↑をチェックしてみて下さい。


さて映画は30分の短編ドキュメンタリー。冒頭の映写機がとリールが映り込むさまはニューシネマパラダイスを思い出す。関係者の方々の証言から、有楽町自体が映画館だけではなく他の娯楽施設も集まっており、自然発生的なカオス空間だったと云う。有楽町にあった最後の映画館が取り壊される前の映像が映る。入口の階段を見て、当時観に行った記憶が思い出される。階段を登っていた記憶だけが残っていたからだ。映画が有楽町のノスタルジーだけではなく、東北のミニシアターの現状も映し出される。閉館するミニシアターや、また有志の集まりでミニシアターを開館させた岩手県の宮古市の事例も挙げている。


関係者の証言で、有楽町とは賑わいの場所と空間として今もあると言っていた。今は、それぞれの有楽町が多様化してある。


映画上映終了後にアフタートーク。アウトクロップの松本トラヴィス氏と国際交流基金映像事業部の玄田悠大氏をゲストに迎えた。

アフタートークが面白くて必死にメモを取る。ミニシアターの概要として、1960年代に誕生して運動としての70年代、興行としての80年代、成熟の90年代、2000年代から次第に減少して現在に至る。アルヴェシアターには、宮古のミニシアターの関係者も来ており、一人一人のオーナーシップでの運営の現状を話してくれた。与論島から飛行機で来た勇者の観客もいた。


玄田氏は、全国のミニシアターの現状が、ミニシアターのみでなくカフェや雑貨屋もある複合施設として近年生まれている現状を挙げる。


またミニシアターの現在の役割としての地域性についても、それぞれの地域の違いもあるが、コミニティーとしての装置として大事だと言う。また、地域外やAターンした人々がミニシアターを立ち上げる例が少なく無いと述べた。

アフタートークの途中には観客とのやり取りもあり、当時と現在の映画館の違いで、当時は受動態、現在は能動態ではないかと観客のコメントは腑に落ちた。


自分が小さい頃に行った映画館は今でいうテーマパークみたいなもので、秋田県から出たこと無かった当時は、映画館はディズニーランドに行く感覚に近かった。地元湯沢市にも、光座と云う映画館があり、自分を含めた近所の子供達を近所のお兄さんのバンにぎゅうぎゅう詰めて入って観に行ってドラえもんの映画を観た。ワクワクしたのは記憶にある。他に娯楽が無かったのもあるけど。


現在は能動態。目的意識を持って映画鑑賞しに行く感じ。自分もミニシアター系の自分好みの映画を調べてから観に行っている。


アウトクロップスタジオが、「おかえり有楽町」を上映したのは深い意味がある。近い将来、アウトクロップは複合施設となる。その序奏として「おかえり有楽町」の上映なんだなと思った。複合施設の赤字補填の対象になりかねないミニシアターを現在も置く必要性とは何か。ミニシアターが地域にある必要性とは何か。ミニシアターはコミニティーに現在でもなり得るコンテンツなのか。

ミニシアターはカフェのように映えになり得るのか。課題はあるけれど、可能性もある。

秋田有楽町とは映画館だけでなく、ロックカフェや芝居小屋もあったと、年配の観客の方のコメントであった。


秋田の、あちこちの界隈に顔は出している(エコーチェンバーが嫌いなので好き勝手に出入りして群れないけど。)有楽町はあちこちの界隈が自然発生して集まっていたカオス空間だったんだなと羨ましいと思った。


アウトクロップの新しい複合施設は、映画、カフェ、芝居やLIVEできる小屋も出来ればいいな。ギャラリーもあれば嬉しいかな。

そうすれば、あちこちの界隈が集まる、かつての有楽町になるのかも知れないと少しは希望が湧いてる。


玄田氏がミニシアターを地域コミニティーの手段として、菌が発酵したと云う例えが面白かった。関係者の女性が、菌🟰スピリッツと補足したのは良かった。スピリッツが成熟した状態になったとき、再び有楽町は現れるのかも知れない。

ワクワクしたアフタートークでした。


アウトクロップ複合施設のためのクラファンリンク先。