2023 観能総括 | この辺りの見所の者

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2023年は大曲の観能や同じ曲を複数観能する機会があった。定家は観世流の清水寛二師と金春流の髙橋忍師の二番。山姥は観世流梅若派の川口晃平師と、雪月花之舞の小書で舞った梅若紀彰師と京都観世会の女性能役者である松井美樹師の三番を観能。


定家は型として堅実に舞った髙橋忍師と後シテの面に増女を選択した実験的舞台の清水寛二師と対照的な二番。個人的には後シテの増女はアリだと思えた。ただ品格の増女だと泥眼や痩女みたいに式子内親王の苦悩の表現がより難儀にはなりやすい。一人の品ある女性として式子内親王を描きたかったのかもしれない。定家の舞台のステレオタイプのイメージを変える役割を果たした事は評価に値する。


山姥はハツラツと強い山姥の川口晃平師、華やかで緩急ある雪月花之舞の小書の梅若紀彰師に、山のリアルな能力者としての山姥を舞った松井美樹師と三者三様の山姥を観せてくれた。


片山九郎右衛門師の卒都婆小町一度之次第を京都の大江能楽堂で観能出来た喜びも忘れられない。幕離れから橋掛かりのハコビは1990年代後半から2000年代前半の能役者の舞台空間を思い出させてくれるものだった。暗闇を杖ついてハコビの九郎右衛門師の小町の奥行の深淵さは忘れられない。


金春流の重鎮、本田光洋師が藤戸の後ノ出と云う太鼓の秘伝といってよい小書で舞ったが、朝長懺法と清経音取を取り入れた様な感じの後ノ出。地味で陰惨さが強調。後場もリアルな陰惨さで真綿でじわじわと締め付けられるような舞台。


藤戸はもう一番、観世流銕仙会の女性能役者、鵜澤久師の蹉跎之伝の小書による舞台も観能。陰惨美といった凄味。女性能役者のなかで最高峰に位置するのではと思わせる藤戸。陰惨と美が共存した舞台。


若手能役者の観能、仕舞や舞囃子も観たが、その場では中々だと思えても時が経つと印象が薄れていく。すぐに判断しないて時間を置いてからの判断も特に若手能役者や狂言役者、囃子方、ワキ方は大事なのかもしれない。

上手いけど、印象が残らない、曲の位に跳ね返される舞台も少なくなかった。


白っぽい小綺麗と黄金の密度の立体感の違いが位の違いではないかと自分は考えている。位の高い曲だと、能役者の藝のチカラが浮き彫りになってしまうのだろう。