定家とは本三番目物だったことを今更ながら知った梅若紀彰師の舞台 | この辺りの見所の者

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12月18日

梅若能楽学院会館

梅若会定式能


能〈定家〉

シテ/梅若紀彰

ワキ/森常好

ワキツレ/館田善博、梅村昌功

アイ/石田幸雄

笛/松田弘之

小鼓/田邊恭資

大鼓/亀井忠雄

地謡/地頭・梅若桜雪、会田昇→鷹尾章弘、松山隆雄、山崎正道(後列)山中迓晶、松山隆之、角当直隆→内藤幸雄、川口晃平(前列)

後見/角当行雄、梅若長左衛門、小田切康陽


定家は2010年の故浅見真州師以来の観能となった。


好きな曲の筈なのだが、12年間観能していなかったの何故だったのか。やはり老女物に次ぐ準老女物としての位の高さに怖気づいていたと言わねばなるまい。これまで準老女物の位からの視点から観能していた。過去に観能した橋の会での友枝昭世師、大槻能楽堂での故片山幽雪師の舞台は式子内親王の藤原定家に対する業が強調されたいた舞台だったと記憶している。

定家の面は後シテは痩女か泥眼の2パターンある。先の二番は共に痩女の面であった。


梅若紀彰師は独特の品格のある能役者だと常々感じており、当代梅若万三郎師と共通する品格がある。過去に観能した芭蕉、砧、檜垣なと品格で押し切れる強さがある。定家はどう舞うのか興味深かった。面は泥眼。式子内親王の業と云うより、執心と云うよりも定家に対する想いの深さ、愛しみが出ていた美と云える舞台であったと思えてならない。


儚さのある美。その美に定家の位を添えていたのは地謡である。梅若桜雪師の地頭に対して、地謡の何人かは変更があったのにも関わらず、必死に桜雪師にくらいつき合わせて見事な地謡となった。中入前の(我こそは式子内親王〜)の地謡のテンポの切れ味は梅若紀彰師の美に式子内親王の執心と品格が浮き上がる効果をもたらした。個人的に梅若桜雪師地頭の地謡で1番の凄味を感じさせられた。中入も作り物に背中が吸い寄せられるように見事なもの。


間狂言の石田幸雄師の見事な間。


ドンスが下されて泥眼の後シテが現れたとき、業の苦しみよりも儚い愛しみの方に眼を奪われた。準老女物として、位の高い執心と云う視点から今まで定家を観能してきた。


定家は本三番目物である。初めて準老女物としてではなく本三番目物として観能出来た気がしてならないのだ。定家の位に囚われすぎていたのかも知れない。


序之舞の松田弘之師の笛が絶品である。初段から二段目の硬質で品格ある翡翠の様な音色は今まで聴いた松田弘之師の笛の中で白眉である。美しい美の笛の音。


大鼓の亀井忠雄師の間の深さは健在であり、小鼓の田邊恭資師は失礼ながら松田弘之師と亀井忠雄師に挟まれて空気になってしまうのではと内心危惧していたが、少なくとも同じ土俵には上がれてはいた。最も土俵での勝負はまた別ではあるのだが、空気にはなっていなかったのだけは確かである。


キリは能役者によって舞い方は違っており、今回は作り物から左に2回回り右に一回回り、キリ謡から作り物から出て残り留。


定家を本三番目物の視点から初めて観能出来た。梅若紀彰師の儚さのある品と美に梅若桜雪師地頭の地謡により見事な味付け。三役の定家の位。見事に全てが揃った舞台。儚さのある悲しみと愛しみがある。見所の者として観能出来た嬉しさ。今年の観能のトリとして申し分なく、新しい景色を観せてもらえた気がしたのだ。