演劇を観に行くの何年ぶりだろう。二十歳前にバイト仲間と一度限りの小劇団を立ち上げて横浜西口のSTスポットで2日で3回公演を、自分がほぼ1人で一人芝居をしたのを思い出す。
仙台地下鉄東西線、卸町駅から徒歩10分くらいで、せんだい演劇工房10-BOX box-1に到着。
小説家の柳美里作で前田司郎演出の劇団青春五月党の『ある晴れた日に』
雑誌「悲劇喜劇」2019/11月号に、『ある晴れた日に』のテキストが掲載されている。福島公演、盛岡公演、仙台公演が行われた。
自分は仙台公演千秋楽ソワレに行った。
▽『ある晴れた日に』
出演
男A 前田司郎
男B 浅井浩介
女 長谷川洋子
二つのベッドが枕側を、ややズラして向かい合わせになっている。客席から見て左側はブルーの照明、右側は明るい白熱電球。
左は過去、右は現在であり、過去の男Bと現在の男Aとの出来事を女はベッド同士の間にある目覚まし時計を境に行き通う。
過去は3/11の暁、現在は数年後の真夏の朝。
過去の男女は屈託の無い無邪気さ、現在の男女は、陰を内面に帯びた女と、見守る事しか出来ない男の姿。
過去は女の精神世界で、現在はリアルな世界を行き通っている時空軸。
男A、男Bと沈黙の場面が訪れる。
男Bとの沈黙は、結婚したいが、やがて訪れる精神世界でしか存在しなくなる予感。男Aとの沈黙は、結婚したくない別れの予感。
精神世界でしか存在しなくなる別れは、熱を出しながら仕事に出かける男Bがドアを開けて出かける場面。
この公演は、福島と盛岡と仙台ではラストが変わる。
仙台公演終了後のアフタートークで、福島と盛岡のラスト場面を聞いたが、自分は仙台のラストシーンが腑に落ちた。
女の精神世界のハッピーエンドの狂気もいらない。
白い花束を海に献花する。その解釈は観客に委ねる。それで良い。
たとえそれが作者と演出の意図したものと違っていても。
震災を比喩した台詞から観客に委ね、シンプルで余白のあった芝居。深くじんわりと染み渡る芝居。
心地よく、また複雑な想いを肌に蓄積させる芝居だった。
女は希望の一歩を踏み出したのだろうか、また過去の男の呪縛から離れる事は無いのだろうか。
別れの質感の違いを対比した芝居であり、観客は、いろいろ考えるだろう。
考える事が出来たなら、この芝居の意味はある。