↑のつづき。

さて、出張二日目。

拠点の博多駅から新幹線で新山口駅へ。

たったの35分程度で着いたことに驚いた。


駅前には俳人『種田 山頭火』の像。

山口県生まれの山頭火は、
質のの高い自由律俳句を作りつづけ、
「昭和の芭蕉」と称された。

そして、無事仕事を終えた後は、
もちろん神社巡りである。

新山口駅から電車で3駅、
防府駅で下車。

初めての防府(ほうふ)市。
防府の由来は、周防国の国府からである。


目的の神社へは徒歩では遠かった為、
出張で初めてレンタサイクルで
自転車を借りてみた。


一級河川の『佐波(さば)川』。

名前の由来には諸説あるが、
サバが防府の海で大量に漁獲されたため、
『鯖川』と云われるようになったとも。

神功皇后が防府市の桑山に登って
四方を眺めていた時に「さばけた」という
言葉を発したことに由来するという
伝説もあるのだそうな。


目的の神社へ行く途中、
偶然鳥居を発見したので寄ってみた。







一宮玉祖神社摂社
『濱宮御祖神社』

鎮座地 山口県防府市大崎
創健 不詳
祭神 不詳

周防国一宮の摂社だが、
謎の多い神社。

天鏡尊が祀られているという説もある。




こじんまりとしているが、
とてもステキな神社だった。


しかし、謎が多い。


そしてすぐ近くに目的の神社があった。

『玉祖神社』である。



一の鳥居。



長い参道をゆく。

ここではちゃんと自転車を降りて歩いた。





二の鳥居。



自然記念物『玉祖神社樹林』。



国指定天然記念物『黒柏鶏』。
長鳴鶏に属する日本古来の鶏。

境内で飼育されているとのことだが、
見ることは出来なかった。

残念。




個性溢れる狛犬。





『黒柏発祥之地』の石碑。





手水舎。



神門。



神門の前にも個性が強めの狛犬。








三つの勾玉で囲んだ神紋。

かっけー。



拝殿。

延喜式内社 周防国佐波郡 玉祖神社二座
周防国一宮 
『玉祖(たまのおや)神社』

鎮座地 山口県防府市大崎
創健 神代の時代
祭神 玉祖命 他一座祭神不詳

延喜式内社に玉祖神社二座と記載はあるが
残りの一座が不明。

先ほどの濱宮御祖神社にも
関連していそうだが果たして。



玉祖命は、古事記に登場する
玉造部(たまつくりべ)の祖神。

天岩戸隠れの際に、
三種の神器のひとつ『八尺瓊勾玉』を作った。

日本書紀では八尺瓊勾玉を作ったのは
『豊玉神』または『天明玉命』。
『羽明玉命』なる別名もある。

玉祖命と同一神と云われている。

「豊玉」の名からは海神族を
連想してしまう。

また、
忌部の祖『太玉命』の率いる忌部五部神は
天日鷲命:阿波忌部の祖、
手置帆負命:讃岐忌部の祖、
彦狭知命:紀伊忌部の祖、
櫛明玉命:出雲玉作の祖、
天目一箇:筑紫・伊勢忌部の祖

櫛明玉命とは天明玉命のこと。

つまり、出雲忌部の神である。

黒柏鶏が、山口県と島根県で
飼育されていることとも関連していそうだ。


いずれにせよ、
三種の神器のひとつを製作した神だが、
余り知られていないことに疑問を覚えた。


社殿の北側にある
『玉岩窟(たまのいわや)』は、
玉祖命の墓所と伝わる。

また、
北東には玉祖神社の元宮と云われる
『江良の厄神の森』があるが、
玉祖神社側では認められていないようだ。

元宮なのに「厄神」とは…


どうやら、この神社には
ただごとならぬ秘史がある。









横から本殿。







後ろから本殿。







『礎石』。

この石の下には、御神殿を建て
鎮済した時の祭器が埋められている。





この道好き。













さすが一宮。

参拝には中々の時間を要した。



恒例の『狛犬の見る景色』。



風景が素晴らしかったので、
もう少し自転車を走らせてみた。



ひらけた場所に、一本の木が立っていた。




『宮城森』。

伝承では、
景行天皇が行宮を建てた跡だとされる。



景行天皇は、
筑紫行幸の際にこの地に降り立った。





この木、めちゃくちゃ好き。  



木の向こうには、『八籠山』。

景行天皇が行宮を設けた後、
あの山に八神を祀り
祭器を埋めたといういい伝えがある。

八神↓
神皇産霊神・高皇産霊神・
生産霊神・足産霊神・
魂留産霊神・大宮売神・
御膳都神・事代主神

宮中で天皇を守護する八神殿に
祀られる8神を、なぜこの地に祀らねば
ならなかったのだろうか。


かつて、
この地一帯を統べる女王
『神夏磯媛(かんなつそひめ)』
という女性がいた。

朝廷に背いた熊襲を討伐するため、
自ら西方へ赴いた景行天皇は、
周防国の娑麼(さば)(山口県防府市)で
神夏磯媛と出会った。

神夏磯媛は投降し、
鼻垂、耳垂、麻剥、土折猪折という賊が
抵抗するため、征伐するよう上奏した。

4人の賊を成敗した景行天皇は、
その後、筑紫に入っていくのである。

『九州巡幸』。

景行天皇の一団は、
その後も土着の土蜘蛛らを成敗していく。

天皇の祖先が最初に降り立った場所が
本当に九州であったのだとしたら、
こんなことにはならないはずだ。


やはり、世に溢れる
古事記・日本書紀の解釈本は、
見直すべきだと感じる。

現在の宮崎県が『日向国』と名付けたのは
第12代の景行天皇。

そして、
景行天皇と御刀媛(みはかしひめ)の
息子である豊国別皇子が
日向国造の祖となったのである。


神夏磯媛は福岡県田川市夏吉に鎮座する
『若八幡神社』の祭神である。

由緒書きには↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
人皇第十二代景行天皇の熊襲征伐に際し
天皇を周防の佐波(今の防府市)迄出迎え、
九州平定に寄与されたのが
我が夏吉地域開発の祖神、神夏磯姫でした。

榊の枝に八握剣 八咫鏡、
 八尺瓊をとりかけ、
 船の舳先に素幡をたて、参向した

と日本書記には記されています。

年代は下がって、
姫の後裔夏羽は朝廷に恨みを持ち、
神功皇后の暗殺を企てた妹、
田油津姫を援けんと軍勢を催して
かけつける途中で妹の敗戦を知り
逃げ帰って館に立て篭もったところを
追って来た皇后の軍勢に焼き殺されました。
(岩屋須佐社横の洞庭との説もある)

それ以来、夏羽焼―夏焼と此の村が
呼ばれる事になったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なぜか、日本書紀の記述では
神夏磯媛が三種の神器に関わっている。

そして、その後裔が
土蜘蛛の女王『田油津姫』と
その兄『夏羽』だった。


一方で、関連していると思われる
『神夏磯(かみがそ)』という姓は
岡山と大阪に分布していることも
興味深い。


玉祖神社の謎の祭神や
濱宮御祖神社の謎の祭神には、
都合の悪い真実を知る
神夏磯媛が関わっているのではなかろうか。



何年も乗っていなかった自転車での旅は、
幼少の頃を思い出して楽しかった。

この後も、
素晴らしき防府の町を散策した。

つづく。

ではまた❗




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