↑のつづき。
さて、
突然ですが「カブトノガクギ」という言葉を
ご存知でしょうか。
高校を卒業した10代のワタシは
急に三線を弾けるようになりたいと思い、
埼玉から沖縄に単身移住した。
那覇で家賃3万円のアパートを借りて、
近くに住む琉球古典音楽野村流保存会の
師範(師匠)に弟子入りした。
あるとき、師匠から教わった言葉が
「カブトノガクギ」。
それは日本を代表する7つの伝統芸能の
頭文字を取った言葉だった。
カ 歌舞伎
ブ 文楽
ト 常磐津
ノ 能狂言
ガ 雅楽
ク 組踊り
ギ 義太夫
その中に、
琉球王国時代から現代まで受け継がれる
琉球の歌舞劇『組踊り』が入っていることを
師匠は誇らしげに語っていた。
さてさて、
久しぶりの琉球史蹟巡り。
今回は組踊りの舞台のひとつ。
2024年8月中旬、
沖縄本島北部の名護市に行く予定があり、
ついでに寄ってみた場所をご紹介。

案内板より↓
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むかし、
許田の村にたいへん美しい娘がいました。
ある日、娘が村の後にある
「クシヌガー」という泉で水を汲んでいると
馬に乗った首里の殿様が通りががり、
娘に「水を下さい」と声をかけました。
娘がニーブ(ひしゃく)を使ってあげると、
殿様は「あなたの手で水を汲んでください」
といったので、
娘は手で水を汲んであげました。
そのしぐさと、娘の美しさにほれた殿様は
娘を首里に連れていったという話が
伝えられています。
それから
その泉を「手水」と呼ぶようになりました。
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この話が広く伝わり、
後に沖縄三十六歌仙の一人と称される
平敷屋 朝敏(へしきや ちょうびん)が、
組踊の題材にして作られたのが
『手水の縁』である。
平敷屋 朝敏は1700年生まれ。
つまりこの許田の手水の逸話は
それ以前に生まれたのであろう。


中を覗いてみる。
若干の不気味さもある。

後方の山中には名護市指定天然記念物
「許田のウバメガシ」の古樹が生えている。

石碑には「後の御嶽」と彫られている。

長い階段を登ってみる。

丘の上に建っていたのは、
『後ヌ御嶽(クシヌウタキ)』。
この集落の守護神が祀られている。
戦前は小さな拝所だったが、
昭和40年に現在の祠に改修されたのだそうな。

許田の手水は琉歌の題材にもなっている。
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馬よ引き返せ
しばし行き見ぼしゃ
音に聞く名護の
許田の手水
玉城親方朝薫 作
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ちなみに、
琉歌は八八八六(さんぱちろく)で
構成されています。
五七五ではなく。

また機会があれば
どこかに行ってみたいと思います。
つづく。
ではまた❗

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