↑のつづき。

さて、
ついに出張の合間の神社巡り関東編も
最後の神社。

2023年8月の事なので、
大分時間がかかってしまった。



品川神社を後にしたワタシは、
さらに品川の街を歩く。



目黒川に架かる『鎮守橋』を渡る頃には
鳥居が見えてきた。

「品川」の由来は諸説あるが、
そのうちのひとつを。

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昔、目黒の河口付近は海に面しており、
交易が盛んな港町として栄えていた。

町では様々な物が取り引きされていた。

だから、品川なのだそうな。
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そして、品川神社から徒歩数分。


『荏原神社』へとたどり着いた。



エビス様がお出迎え。


拝殿。

元准勅祭社『荏原神社』

鎮座地 東京都品川区北品川2
創建 和銅2年(709年)
祭神 
右座 豊受姫之神
右座 天照皇大神
右座 須佐男之尊
中央 高龗神
左座 手力雄之尊




ホームページより引用↓
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荏原神社は元明天皇の御代、
和銅2年(709年)9月9日に、
奈良の元官幣大社・丹生川上神社より
高龗神(龍神)を勧請し、
長元2年(1029年)9月16日に神明宮、
宝治元年(1247年)6月19日に
京都八坂神社より牛頭天王を勧請し、
古より品川の龍神さまとして、
源氏、徳川、上杉等、多くの武家の
信仰を受けて現在に至っています。
明治元年には、准勅祭社として定められました。
神祗院からは府社の由来ありとされました。
現在の社殿は弘化元年(1844年)のもので、
平成20年で164年を迎えました。

往古より
貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神
と称していましたが、
明治8年、荏原神社と改称。
旧荏原郡(品川、大田、目黒、世田谷)
の中で最も由緒のある神社であったことから、
荏原郡の名を冠した社号になりました。
神殿に掲げる荏原神社の扁額は
内大臣三条実美公、
貴布禰大明神の扁額は
徳川譜代大名源昌高のお染筆です。

古より当社に祈願すれば叶わぬことは
無いといわれ、勝運、学問、商売繁盛、
交通安全、病気平癒、家内安全、
恋等に特別の御神徳があります。
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と、いうわけで、
丹生川上神社の龍神様を
勧請し、祀る神社である。


龍神がヒョッコリ顔を出している。

失礼ながら、どこか可愛げ。


東京都神社庁のホームページより引用↓
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●龍の雨樋

下に在る天水桶に雨水が
落ちるようになっており、
拝殿の左右から勇壮な龍が睨みをきかせ、
下から見上げる人に
迫ってくるような迫力がある。

最初にいつ作られたかは不明だが、
御祭神にちなんだもので、
分かる範囲では三代目の龍。
平成21年に御鎮座千三百年記念事業として
拝殿御屋根銅板を葺き替えた際、
雨樋の先の龍も新しく作り替えられた。

令和6年で十五年目を迎えるが、
百八十年目となる古い佇まいの
拝殿と見事に調和し、
その力強い目力は主祭神・髙龗神の威厳を示し
参拝の人々を圧倒しているようである。
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龍の彫り物も素晴らしい。





反対側にも龍。


横から。

龍の真下にちゃんと桶がある。

『龍の雨樋』。




拝殿の上には、
寄せ木のように様々な木目。

素敵な造りだ。







何回も見上げてしまう。



境内の左側にも鳥居。


境内社。
左から、
『八幡宮』『稲荷神社』『熊野神社』。


ここから、本殿が見えた。


品川の龍神さま。

とても素敵は場所だった。

関東出張の最後に参拝出来て満足です。


2024年は辰年。

辰(龍)は、
干支の動物で唯一「空想上の生き物」。


まあ、
ワタシは空想だとは思っていませんがね(笑)

火の無いところには煙は立たない。

水の有るところには龍がいる。







そんなこんなで無事、
7月の関西出張と
8月の関東出張を終えた。

もう何年も前のことのようだ。


2023年夏の
出張の合間の神社巡りのテーマは
阿波の痕跡探しと自分のルーツ探しだった。


最高に楽しかった。


そして、
2023年12月には四国出張があった。


早く記事にしたいなぁー。


とりあえず一個か二個ほど
書きためていた記事をアップした後、
始めようと思います。



つづく。

ではまた❗




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