↑のつづき。
さて、富山市街で一仕事終え、富山駅からバスに乗る。
約15分、金屋口バス停で下車。
もうここには都会の匂いはしない。
田畑が広がり、遠くに見える山々。
空気がとても美味しい。
バス停から徒歩数分。
原初の神を『元無極體主王御神(モトフミクライミヌシオオカミ)』としているのは竹内文書。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230125/07/noginohi107/1f/b3/j/o1080081015234212173.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230125/07/noginohi107/a3/b0/j/o1080081015234212176.jpg?caw=800)
はじめて聞いた参拝方法。
四礼八拍手一礼。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230125/07/noginohi107/f6/ba/j/o1080081015234212179.jpg?caw=800)
皇祖皇太神宮に伝わる竹内古文書では、元々鎮座していた場所が天変地異により消滅してしまった為、この時の天照大神が、皇祖皇太神宮を復興すべく『位山』より神通川を下って御皇城山に再建したのだそうな。
そして、モーセや釈迦などのビッグネームが訪れたという。。
※ワタシは全てを否定することは出来ません。
証明出来ないから。
正統竹内文書の伝承者である第73世武内宿禰さんの書籍では、富山のどこかに眠る武内宿禰の墓で、密かに神事をしていたこともあったと書いてあった。
富山はやはり重要な場所なのである。
神通川を下ってきた神と言えば、先日参拝した神社の祭神、姉倉姫と共通する。
神通川の上流は、飛騨高山の宮川。
やはり、古代最初の神は、飛騨高山の『位山』に降り立ったのだろうか。
『位山(くらいやま)』の「くらい」は、『元無極體主王御神(モトフミクライミヌシオオカミ)』の「クライ」からきているとも言われている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230125/07/noginohi107/7c/fe/j/o1080081015234212182.jpg?caw=800)
横から本殿。
ここで少し不思議なことが起きた。
御皇城山を降りて、次に行く予定の神社の行き方を調べるためにGoogle Mapで検索してみたのだが…
おや❓️
おかしい。
次に行きたい神社はここから徒歩40分と出るのだが…
その道のりは何故か…
さっきの皇祖皇太神宮のさらに奥の道を指していた…❓️
本殿の周囲までくまなく見たはずだが…
奥に道なんてあったかな❓️
どうする…
どうするワタシ⁉️
つづく。
ではまた❗
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