↑のつづき。

さて、富山市街で一仕事終え、富山駅からバスに乗る。

約15分、金屋口バス停で下車。

もうここには都会の匂いはしない。

田畑が広がり、遠くに見える山々。

空気がとても美味しい。


バス停から徒歩数分。


『御皇城山 皇祖皇太神宮』の看板。

矢印の通りに進む。



御皇城(オミジン)山って名前、かっけー。



晴れてよかった。

太陽が大きく輝く。


なんともワクワクする道のり。




御皇城(オミジン)山は「八幡山」と呼ばれているのか。


山は比較的登りやすい。

なにせ、こちとら仕事を終わらせたその足で来たので、革靴にスーツである(笑)




鳥居が見えた。







ついにやってきました。


『御皇城山 皇祖皇太神宮』

鎮座地 富山県富山市金屋
創建 謎(日本最古?)

祭神は、宇宙開闢の神皇とされる、
『天地身一大神(アメツチマヒトツノオオカミ)』
別名
『元無極體主王御神(モトフミクライミヌシオオカミ)』
…から天神七代、そして現天皇までの二十七朝千二百九十三代の神々を祀っているのだという。




原初の神を『元無極體主王御神(モトフミクライミヌシオオカミ)』としているのは竹内文書。




はじめて聞いた参拝方法。

四礼八拍手一礼。


皇祖皇太神宮に伝わる竹内古文書では、元々鎮座していた場所が天変地異により消滅してしまった為、この時の天照大神が、皇祖皇太神宮を復興すべく『位山』より神通川を下って御皇城山に再建したのだそうな。

そして、モーセや釈迦などのビッグネームが訪れたという。。
※ワタシは全てを否定することは出来ません。
証明出来ないから。


正統竹内文書の伝承者である第73世武内宿禰さんの書籍では、富山のどこかに眠る武内宿禰の墓で、密かに神事をしていたこともあったと書いてあった。

富山はやはり重要な場所なのである。


神通川を下ってきた神と言えば、先日参拝した神社の祭神、姉倉姫と共通する。
神通川の上流は、飛騨高山の宮川。


やはり、古代最初の神は、飛騨高山の『位山』に降り立ったのだろうか。


『位山(くらいやま)』の「くらい」は、『元無極體主王御神(モトフミクライミヌシオオカミ)』の「クライ」からきているとも言われている。







とにかく、盛り沢山の由緒書きには、都市伝説好きにはたまらない記述が多い。




本殿。


周りをぐるっと一周。




清々しい気持ちになる。

自然ってステキ。



横から本殿。



境内はそこまで広くはないはずだが、自然との一体感がある為、実はとてつもなく広くも感じた。


人との境界はあるが、自然との境界は無いイメージだろうか。



良いところでした。

さて、そろそろ次の神社へ向かいましょう。









ここで少し不思議なことが起きた。



御皇城山を降りて、次に行く予定の神社の行き方を調べるためにGoogle Mapで検索してみたのだが…



おや❓️



おかしい。




次に行きたい神社はここから徒歩40分と出るのだが…




その道のりは何故か…



さっきの皇祖皇太神宮のさらに奥の道を指していた…❓️



本殿の周囲までくまなく見たはずだが…



奥に道なんてあったかな❓️


どうする…



どうするワタシ⁉️



つづく。


ではまた❗



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