↑のつづき。
さて、昨日石川県から富山県にやってきた。
翌朝、仕事前に一社参ろうと思い、早めにホテルを出る。
昨日よりは寒さを感じない。
晴れたからだ☀️
北陸にきて初めてのお日様は気持ちが良かった。
冬こそ太陽を信仰する気持ちがわかる。
富山駅から徒歩20分ほど。
『奥田神社』である。
『熊野大権現の御神水』。
三匹の龍。
飲んでもその御神徳を頂ける。
摂社に『水波賣神(ミヅハノメ)』。
古代、天上には井戸があり、井戸から湧き出る水が雨となった…という伝承がある。
龍。
拝殿。
『奥田神社』
鎮座地 富山県富山市奥田本町
創建 西暦1210年(鎌倉時代)
祭神
伊弉諾尊
伊弉冉尊
相殿神
天照皇大神
豊受皇太神
菅原道真公
琴平大神
愛宕大神
元は熊野神社だった。
対の八咫烏と三つ巴。
カラスとカラスの間の葉の数が十二枚だということに意味がある。
『導き八咫烏』。
金鵄八咫烏である。
当社には、八咫烏の大切な伝承がある。
ホームページから抜粋させて頂きます。
大事なことなので、少し長くなりますが、読んで頂けましたら幸いです。
日本が世界を相手に戦争をしていた時代。
戦争は長引き、食べ物や着るものはだんだん失くなっていった。
あるとき、皆の家中の金物が集められ、小学校の運動場に積み上げられた。
鉄砲や大砲を作るための材料としてである。
中には、お寺の鐘もあり、お年寄りは涙を堪えながら、「ナンマイダブナンマイダブ」と手を合わせていたという。
この奥田の地からも、男性が兵隊として連れていかれた。
周囲の目もあり、残された家族は「国のために立派に戦ってきなさい」と言って送り出したが、本当は、「どうか無事に帰ってきて」と神社などで祈っていた。
あるとき、熊野神社の神主の夢枕に神様がたった。
「われらもこれから戦場にまいる」と言い、空へと舞い上がってゆかれた。
そのあとを、カラスがギャオギャオと鳴きながらついていった。
ハッと目が覚めた神主さんは、あわてて外に出たが、夜明け前の薄暗い空はシンと静まりかえっていた。
やがて、神社の周りの木立のあちこちから鳥の鳴き声が聞こえてきたが、カラスの鳴き声だけはしなかった。
昭和二十年八月一日の深夜、富山市の上空にアメリカのB29爆撃機が現れ、あっというまに町は炎に包まれた。
人々は火の海の中を逃げまどい、夜が明けたときには一面焼け野原だった。
八月十五日、長かった戦争が終わり、人々は疲れはてていたものの、なんとかやっていた。
そのうち、皆は口々に「不思議なこともあるもんだ」と話し出した。
いつも自分らの前にすばしっこく動き回るモノがいて、誰かなぁと思いながらも後についていくと、いつのまにか危ないところを切り抜けていたと。
また、一人が声をひそめて言った。
たまに当たってバッタリ倒れたから、あわてて助けにいったが誰もいなかった。
ただ、そこには黒い羽が一枚落ちていただけだった。
誰かが言った。
「それはきっと、カラスが助けてくれたんだよ」
皆は、うなづいた。
今、奥田では、ちゃんとカラスの鳴き声が聞こえてくる。
おわり
実は、奥田神社へと歩く道すがら、歩道の脇で二羽のカラスを見た。
もちろん、カラス自体は珍しくもなんともない。
ただ、見た。
それだけである。
素敵な神社でした。
ありがとうございます❗
仕事、頑張ろう。
つづく。
ではまた❗
2023/01/17
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