↑のつづき。

さて、金沢市での仕事を無事終えたワタシは、ついに憧れの富山県にむかう。

富士山が無いのに「富山」とはどういう意味だろうか…と思ったが、やはり諸説ある。

例えば、

越後中国の国府のあった場所、現在の高岡市から見て、呉羽丘陵の外側にある為、「外山(とやま)」になった…という説である。

なるほど面白い。

と、いうことで、目的地の富山駅の一歩出前の駅に途中下車した。

金沢駅から「あいの風とやま鉄道(名前ステキ)」で約一時間。

「呉羽駅」。

朝からずっと雨降り。

呉羽駅から徒歩ですぐ、気になっていた神社にたどり着いた。





また裏門から…

再度、表から入り直します。



改めて、『姉倉比賣神社』である。




手水舎。




拝殿。

『姉倉比賣神社』

鎮座地 富山県富山市呉羽町小竹
創建 不詳(好きな響き)
祭神
天照皇大神
姉倉比賣命
大巳貴命
武御名方主命

呉羽駅からすぐの小高い丘に鎮座している。
この丘は前方後円墳なのだそうな。

同じく富山市の舟倉にも同名社があり、どちらも姉倉比賣神社の縁起式内論社。


由緒書きによると、創建前史の物語が伝承されている。

昔、越中に美しい姉倉姫がいた。
故あって、故郷の舟倉山からこの竹野の地へ降り立ち、その土地の人々と力を合わせ開拓を進めた。

心優しい姫は、娘たちに機織りを教え、村人たちには仕事に精を出すよう励ました。

姫は、村人たちにとても好かれていたのだそうな。






では、由緒書きの「故あって」とは、何があったのか。。

実は、この女神の美談にはキッカケがあった。




呉羽に来る前、舟倉山にいた姉倉姫命は、能登の『伊須流伎比古神』と夫婦であった。
しかし、伊須流伎比古神が仙木山の『能登比咩神』と通じてしまい、三角関係に。

姉倉姫は激怒し、争いに発展してしまった。
高志国を巻き込む越中VS能登の大乱である。

そこに、布倉山(尖山)の『布倉姫』も姉倉姫に加勢して戦った。

能登比咩は海水を巻き起こし、姉倉姫はありったけの小石を投げての応戦。
※舟倉の上野には小石が一つも失くなった(笑)



これを聞き、出雲から派遣された大己貴命が鎮圧し、伊須流伎比古神・能登比咩神は処刑。

姉倉姫は領地没収の上、呉羽で謹慎・機織り、という処分が下されたのだそうな。

姉倉姫が呉羽に来たのは、そういうワケだ。


機織の仕事で罪を償わされる姉倉姫。



姫は心を入れ替え、この地を豊かにしていく。

機織りの姫の明るい歌声がこだました。


🎵ここは いずこぞ大竹野よ 
 機を織りますわたくしは
🎵みんな綺麗にするために 
 心もともに トンカラリ 
🎵トントンカラリ トンカラリ


姫が機を織っていると、窓から蝶が舞い込んで、姫の仕事の手助けをした。
この蝶は蜆ケ森のシジミ貝が変化したのだとか。

この蜆ケ森は縄文時代の貝塚で、現在は白髭神社が鎮座している。



伝承って面白い。

「トンカラリ」という音は、熊本県和水町や広島県東広島市安芸津町にある謎のトンネル遺跡『トンカラリン』を思い浮かべる。



一連の話を、地図で位置関係確認すると↓


こうなる。

つまり、姉倉姫は、神が通る川『神通川』を船で下って呉羽にやってきたのである。

神通川の由来は諸説あるが、太古の昔、神々が飛騨の船津から乗船し、越中の笹津に着船されたことから神通川と呼ばれたという説もある。

そして、神通川の上流は飛騨高山の『宮川』。

宮川の由来は、飛騨一宮『水無神社』である。
※宮川の源流付近に鎮座。

水無神社の御神体は『位山』。

一番はじめに神が降り立った場所とも言われている。

つい、数時間前は金沢の『市姫神社』にいた。

「イチ」。



どうやら、今回の旅は、意図せず『姫』と『川』が重要らしい。






苔むし最高。


神名の『姉倉姫』には謎が隠されている。

舟倉山から来たなら『倉姫』で良いはずだ。

姉倉姫ということは、妹か弟がいたのではなかろうか。

それは、争いに加勢した『布倉姫』かもしれないし、『伊須流伎比古神(イスルギヒコ)』を取り合った『能登比咩神(ノト姫)なのかもしれない。


●能登国二宮『伊須流岐比古神社』
石川県鹿島郡中能登町の石動山山頂に鎮座。
祭神 伊須流岐比古神 
   白山比咩神
※石動(いするぎ)神社は北陸を中心に点在する。
※地名に「鹿島」とついている辺りも重要である。

●『能登比咩神社』
石川県鹿島郡中能登町能登部下に鎮座。
祭神 能登比咩神 
   沼名木入比売命(10代崇神天皇の皇女)
※神代、大己貴命・少彦名命が越の八国を平定して当地に至った際に、国つ神を求めたところ、機織乙女がいた。
この機織乙女こそ能登比咩神。

姉倉姫と同じく機織の女神。

やはり姉妹だろうか。

ちなみに、能登比咩神には兄神『能登比古神』は、能登部神社に祀られている。


この二柱が姉妹であり、その間で揺れる『伊須流伎比古』の構図は、イワナガ姫とコノハナサクヤ姫、そしてニニギノミコトとの関連性を感じずには入られない。

しかも、地名が『鹿島』である。


コノハナサクヤ姫の別名は『神吾田鹿葦津姫』。




『呉羽』という地名も気になる。

日本書記には「呉国から『呉織(クレハトリ)』が渡来帰化」と記述されている。

呉服屋の「呉」である。

日本が「日出づる国」対し、日没する大陸の国を「日の暮れる国」、つまり『クレ』と言うわけだ。

『クレ』からやってきた「機織り」。

「クレハトリ」。


広島県の「呉(くれ)市」の由来には諸説があるが、昔、この地域に住んでいた古代朝鮮出身の渡来人を「くれ人」と呼んでいたから…という説もある。


また、中国の春秋時代(紀元前585年頃 - 紀元前473年)に存在した「呉」という国の国姓が、
『姫(キ)』だったということも、併せて覚えておこう。
※シュメール神話に、最高神アヌの配偶神『キ』という女神がいることも無関係ではなさそうである。




姉倉姫は機織りの女神。

昨年末にも機織りの女神を祀る神社に参拝した。

あの旅はまだ終わっていなかったのだと感じる。

実はこの後日、機織りの女神、そして星の神と関連する神社と出会うことになるのだが…





それはまた別のお話。


つづく。


ではまた❗

2023/01/16


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