bene vixit, bene qui latuit.
多くの音楽家が星野源さんのコラボ動画に参加されている。音楽の今後の可能性が身近に感じられる。なにより個人レベルでできる。会場を押さえなくても発表会だってできそうだ。意図のズレた飛び入りさんもご愛敬。どうせすぐに淘汰される。コロナ禍が時代を変える。自分の感性を柔軟にしておきたい。年寄りにはそれが難儀。ついていけるかどうか。いまの高校生が少し羨ましい。自分の部屋にいながら他奏者とセッションできるなんてそれこそ夢物語。人と合わせるには日程を調整して会場を押さえて重い楽器を抱えて電車に乗っていく。それを微塵も疑わなかったのだから。これ以上事態が悪くならないことを祈るばかり。nogawan
ABC予想に関するニュースを見ていてふと数学は若いころが勝負だという話を 思い出した。最近考えごとをしていても、ある一定のところで思考が自然にストップしてしまう、すうっと扉が閉まるような、パソコンがフリーズするような、そんな感覚を覚えることがある。そこから先に進まないので仕方なく過程だけメモして続きは後で考えるようにするのだが、更に悪いのは、休憩したから復活するわけでもなく、一日のうちで有効に使える時間が減っているようにさえ感じる。若い時分はこんなことはなかった。本を読んだり考えごとをしているうちに頭に血がのぼって眠れなくなり、腹も減るから夜更けにラーメンを食べに出たりした。最近は、頭の血がすうっと下がるような、眠くなるような、そんな感じとも言える。お勤めの頃、50代の人が時折、手をとめたまま目をつむってじっとしていたのがようやく理解できるようになったということか。年功序列のすべてが悪いとは思わないが、50歳を過ぎたら給与は大幅にカットして、逆に30代あたりに給与のピークを持ってくるのも悪くないのかも知れない。nogawan
#学校再開のツイートを見ている。学校再開に対して悲痛な反対意見が並んでいる。唐突に始まった休校措置が感染が広がったことで簡単には再開できなくなった。そもそも当局の意思決定に庶民の意向が反映されることはまずないと思われるが、お肉券やお魚券が取り下げられたところを見ると最近は少しは変わってきたのかも知れない。良し悪しはともかく、連続ドラマなんかは明らかに人々のツイートで脚本を都度微調整しているように感じられる。こうした特異な状況下でコトは如何様に動いていくだろうか。海外のニュースもコロナ一色だ。毎日のように大勢の人や著名人が亡くなる報道に気がつかぬ間に心は傷ついている。その辺も気をつけないといけない。nogawan
東京は雪。夜通し強い雨が降っていて割と暖かかったから雪にはならないだろうと思っていたのだが。皆川達夫先生がラジオ番組の解説を引退されたと報じられていた。御年92歳。番組は30年にも及ぶそうだから60代で始められたことになる。感嘆するばかり。nogawan
考えてみれば首都封鎖を考えるほどの状況下でせっかく休校にした学校を再開するのは道理にあわない。つまり学校が続けられるような状況であれば首都が封鎖されるような事態にはならないだろうし、首都を封鎖するような事態になれば再度休校措置をとるのだろう。また学校再開が事態を悪化させる可能性は少ないと考えているのだろう。そう理解したい。nogawan
2月末の時点でコロナは黄色人種の病気で自分たちには関係ないとイタリアの大臣は言っていたと24日に麻生大臣。この方は時々、実に興味深い発言をされる。当時、欧州の大臣は同様の見解を共有していたようにも見受けられる。彼らは何を根拠にこのウィルスが黄色人種に限られると考えたのか。そして自分たちまで感染が広がったのは何故か。いったいこのウィルスは何者なのだろう。nogawan
噂通りスーパーは混んでいた。今回は紙ではなく食品だ。オリンピックを延期しておきながら渋谷の街に若者が繰り出しているのは都合がよろしくないのかどうか外出を制限する雰囲気が高まっている。まだモノは残っているがレジの列には閉口する。引退世代だけでなく現役世代も多い。お仕事はどうしたのだろう。カップ麺、パン、ひき肉、ホッ トケーキの素、米、お菓子を山ほど買い込んでいる。いつまでお籠りするのだろう。あれだけ買ったのだから明日は来ないでねと思うのだが、明日はきっと別のものを買うに違いない。買い物がガス抜きになっている風でもあり、パニックを起こしているというよりも言われたことは守ろうという印象を受ける。当方はいつも通り必要なものだけを買う。この混雑がしばらく続くのかと思うと憂鬱だ。米国は早速経済支援策で与野党が合意した。本邦はお肉券について議論していたらお魚券の案が出てきた。これからお野菜券やお米券も出てくるに違いない。「翔んで埼玉」にかけて通行手形がネットで話題になっているのが可笑しい。都内からモノがなくなったら逆に郊外へと買い出しに出るのは駄目なんだろうか。一斉に中国批判を始めた欧米の動きが気になっている。nogawan
海外メディアもふれているように何故か日本では患者数が少ないと思っていたらオリンピック延期が決まった途端に東京都で患者数が急増した。知事、首相、大統領そしてバッハ会長まで選挙を控えているだけにいろいろややこしい。個人的には都内の大学が授業開始を4月下旬乃至は連休明けに設定していることに注目している。トランプ大統領はイースターまでにニューヨークの規制を緩和したい意向を示している。都知事も4/12まで大規模イベントの自粛を継続すると言明している。一方、高校までは概ね4月から通常に戻るべく準備が進められている。休校措置を決めた頃より状況が悪化しているなかで学校を再開させる不思議。都内はそれこそイースターくらいまで休校でいいと思うのだが。nogawan
何をしていても自分で感じる以上にマメに休憩をとらないといけない。からだであれ頭であれ常に柔軟性を維持しないと知らぬ間に変なクセがついている。これが怖い。経験せずに済んだ大学の105分授業など論外。そもそも105分という半端な数字が辻褄あわせを示す。残業時間が多い方が仕事していると自他ともに勘違いするのと同じ。それはともかく。自分だと30分も続けばいい方でその30分ですら意識はあっちこっちに飛んでいる。それも問題だが、さらに問題は最も効果的な休憩は何かということ。何かを口に入れることが最も効果的で、珈琲や小菓子は最高のアイテムなのだが、からだによろしくない。いつも反芻している牛が羨ましい。水を飲んだり煮干しをしゃぶったりしてみるが気持ちが高揚しない。からだを動かせば血流が良くなりからだはリフレッシュする。でも気分を更新するのも大切なのだ。とても難しい。因みに休憩という言葉には「休む」が入っている。休憩とは休むことだと暗に認識される。休むことが苦手な民族にはどこか後ろめたい気持ちがつきまとう。英語ではbreakが使われる。切断するの意味だ。文字通り、前と後ろを切断する。すごいなと思うのはbreakには切り開くという意味がある。break new ground 新天地を切り開くというように使われる。break time は切り開くための大切な時間。本来的に休憩はネガティブなものではなくポジティブなのだと気づかされる。nogawan
最近、音楽の聴き方が変わったと感じる。いまの生活になってから聞く力が上がったように思う。それはなにより脳が疲れていないことや喧騒に身を置く必要がないので耳が休まることによるのだろう。そして、いろいろな演奏があることが良いと思うようになった。こうでなければいけないとか、何が正しいのかではなく、自分が思うがままに演奏するのが何より尊いと思えるようになった。これはプロアマ問わず大量の動画がアップされる動画サイト等で手軽にいろいろな演奏に接することが可能になったことにもよる。数多くの演奏に接することが多様性とそのもとになる自分とを大切にする感覚を育ててくれる。もっとも、クリックひとつで容易く演奏を比較できることで評価は一律となり多様性が逆に阻害される、つまり似たようなものが増えるといった負の側面も否めないけれど。nogawan
雨上がり。青空。部屋はまだ暖房器具が必要。なにかと騒がしいオリンピック。個人的には、今回は中止、そして次期パリ大会以降を順次繰り下げるか、あるいはロサンゼルス大会をひとつ繰り下げてそこに入れるか、そんな感じになるのではと推察している。選手の気持ちを思うとなんともやりきれないけれど。nogawan
学校が一斉休校ということで様々な分野で多様な取り組みが行なわれていて、そのひとつ、ホリプロが無料公開している日本昔ばなしから、石原さとみさんの「そら豆とわらと炭」を視聴してみた。この方、ドラマでは甲高い声を出されるけれど、トーンを少し落とした声はとても魅力的で、ドラマ「アンナチュラル」のような自然な声質で演技されたらいいのにと思う。それにしても、昔のはなしは、どこかぶっ飛んで残酷なのに、時間が毒を希釈するせいか嫌な感じがなくて、会社の朝礼で上司の無意味な挨拶 の代りに、これを聞いた方が何かとご利益がありそうな、コンビニの弁当が続いていて、久しぶりに出汁から引いた味噌汁を飲んだら栄養がとれたような、そんな感じ。要するに古典は立ち位置を確認して元気が出る素なのだ。nogawan
為替の動きは2012年から始まった流れが終わりを迎えつつあると見受ける。ドル円は100円あたりに落ち着くのだろうか。そして、内閣はここで選手交代か。選手交代で良い方向に進めばいいけれど人材難はどこも同じようだし。それにしても、このコロナ騒ぎはいったい何なのだろう。一方、この国では危機になると、人々は暴動に至るのではなく、俄然それぞれの持ち場で創造性を発揮する。ネットの無料コンテンツが爆発的に増えたり、勤務先は子供を預かるようになったり、あちこちでいろんなランチが提供されたり、なんだかんだと工夫する。そして、そうした情報は瞬時に共有されて更に変 化を見せる。すごい。そして早い。なんだやればできるじゃん。意外にも、この国では国が上司が社長がとか言う割には実はさほど期待していない。町人がお侍様にかしこまって見せても腹のなかでは舌を出している、実にしたたかだ。これはやっぱり可能性かと。nogawan
びわ湖ホール「神々の黄昏」ライブストリーミングをちょっとだけ覗く。音もなかなか良く、これだったら充分楽しめそう。ライブは録音よりも音がいいかも知れない。今回は不幸にもコロナウィルス騒ぎでこういう形式になったそうだがコンサートはいろいろな形があっていいと思っている。そりゃ生が一番かも知れないが、雨のなか靴までびっしょりで見るのは嫌だし、遠方の人はそれだけで大変だし、隣席の招待券で仕方なく来ている風のおっさんがからだをモゾモゾさせるのにはうんざりだし。そもそも仕事もそうだけれど、そこまで行くというのは結構大変なのだ。今回のウィルス騒ぎで、そこにいなくてもいいかも知れないと誰もが考えるようになったら、また何かが変わるかも知れない。ところで、学生の頃、「指輪」をレコード版で全曲通しで聴いたあとそのまま寝込んだ先輩がいたらしい。とても納得したことを覚えている。nogawan
新型コロナウイルスの感染者数が知りたいときはジョンズ・ホプキンズ大学が公開している感染者数のデータを見る。ほぼリアルタイムみたいだ。https://www.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6国内のテレビ局のニュースは各局内容も同じだし見ても見なくても変わらない。何より個人としての顔が見えてこない。コンビニのおにぎりを食べているような感じ。震災後の原発事故の際も海外のニュースを確認したことを思い出す。当時に比べれば翻訳ツールも性能がアップしているので助かる。この時期に米国で大統領選のニュースよりも上位にこのニュースが置かれていることが何より事の重大性を示しているように感じられる。nogawan
今日のCNNの見出しと感想。US military preparing for 'second wave' of outbreak.だよなぁ。これが先手ということだよなぁ。Coronavirus infections may diminish in summer but rise next winter,officials says.だよなぁ。原発事故後の放射性物質汚染の際は飛散しない地域に逃げる手もあったけれど今回は逃げ場がないからよりタチ悪いなぁ。nogawan
風が強い。ゴミ箱 が倒れたのは初めて。中央線は倒竹で遅延とか。倒竹とは聞いたことがない。家々のアンテナがよく倒れないものだと感心する。さてさて、当初の入国規制の出遅れはいかなる事情だったのだろう。他国に忖度したのか、世論が制限やむなしとなるのを待ったのか。日銀は株を買い支えている。マスクはなくてもお金はあるようだ。先のことは分からない。そもそも事態が理解できないので家でじっとしているのが最善かと。nogawan
そう膨大な金でAIの美空ひばりを作ったと喜ぶ連中と、そこにバーンスタインが立っているかのように錯覚させる演奏をする彼らと、芸能の世界においてその距離は甚だ大きいということが悲しい。結局はそこに暮らす人々がなにを大切に日々生きるかの差なのだが。nogawan
アンコールかと思われるが1972年にバーンスタインがニューヨークフィルを振った「星条旗よ永遠なれ」は、来るならこいと言わんばかり、もうこれでもかというくらいThe Americaの、まさに五段重ねのハンバーガーのような、それでいて下品にならず、自分たちのスピリットがキチンと昇華されている演奏に、こちらは不思議と感情が動かされ泣かされるのだけれど、バーンスタインが亡くなった後、1992年に指揮者不在で演奏されたニューヨークフィルの「キャンディード」は、まるでバーンスタインがそこに立っているかのように、奏者の想いがあり得ぬ次元で形象化されていて、もっと泣けてしまうのだが、感情的に奏するのとは違う、奏されたものがこちらの感情を鷲掴みにする演奏という意味で、是非動画サイトなどでご傾聴を。nogawan
なんかいろんなものが凄まじい勢いで崩壊していく様を同時代的に見ている感がある。崩壊自体は何もいまに始まったことではなく1980年代を境になだらかに続いてきたから、まるで社内の嫌な奴のようにある意味慣れっこで済んでいたが、最近の勢いはいよいよまたひとつ転換点が近いようにも感じられ、その先に予想される反動あるいは混乱を、見慣れぬものに対する期待よりむしろ不安に感じるのは年のせいもあるのだろう。そうしたものを手なずけてその先に進める人材が世に埋もれぬことを願うばかり。nogawan