直るのは薬じゃなくて・・・治ろうとする気持ちかもしれない 脊椎管狭窄症について | 東京/神奈川の窓のことなら、『まるっとサービス』

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東京・神奈川周辺の網戸を直している還暦のじーさんです。網戸や自分の癌について色々書き散らかしてます

手術から二カ月が経過しました
相変わらず痛み止めの薬は一日二回2錠ずつ飲んでいます 
コルセットも油断して付けないと痛いのでほとんどの場合は付けています 
でも、一時期に比べればだいぶ良くなってきました
暖かい日は、かなり歩行も楽です こないだ信号が点滅したので小走りしちゃいました
何カ月ぶりかの小走り・・・ ちょっと感激しました
でも、手術の経過が良くなってきているのは本当にありがたいし 確かなことなんだけど
薬を飲んでいるから痛くないのかもしれないけれど
 
やっぱり”体を治したい” ”動けるようになりたい” という欲求が身体を快方に向かわせていると信じたいんです

 

それには ちゃんと理由があるんです。

今から20年ほど前に実家でおやじが倒れました

脳梗塞でした。

初めのうちは意識があり、何とか自分の身体の違和感と戦い 病気と闘おうとしていましたが

不幸なことにその後一週間ほどして院内で発作が起きて状態が更に悪くなってしまったのです。

当時の医療体制もあったのでしょうし、病院の患者への対応もあったのかもしれませんが、病院のスタッフは患者へのケアが薄かったように思います。

一時は必死に治そうとしていた気持ちが、おむつを付けられるようになり、ベッドに寝たきりになる 

こうして おやじはリハビリに対する情熱が一気に落ちてしまいました。

私は仕事の合間に病院に通って 父親を励ましましたが、治したいいという気持ちは無くなっていきました。

次第に弱っていくというか壊れていく父親の姿を見るのは40代の私にとっては辛い経験でした。そして父はその後 一年と10日経って亡くなりました。

 

およそ5年後 今度は仕事上の大恩人である上司 おやじとも慕う方が脳内出血で倒れました

その上司とはある理由から一時期離れていたので、倒れたと聞いて駆けつけましたが、

やはり病状は重く 次第に父親と同じようにリハビリに対する情熱が失せていくと同時に 病気も重くなり、数年間の闘病生活のあと 現場に戻ることなく亡くなられました。

それは愛する父親をもう一人亡くしたような悲しみと寂しさに覆われた出来事でした

 

私は二人を見送って 自分は最後の最後まで病気と闘いたいと思いました

そして家族に迷惑をかけるように長い病院生活は嫌だと しみじみ思いました

 

出来るなら 前日まで仕事をしていて スイッチが切れるようにぱったり倒れてそのまま

それは家の工場とか 書斎とか 寝室とか 本当にそんなところで死にたい 

ただそれまでは

治そうという気持ちは捨てないでいたい 

 

今 こうしてブログを書いているのも 将来の自分への戒めかもしれません

 

だから 戦いますよ 最後まで 

諦めたら そこで試合終了ですからね