日記 | St.Augustinusのように語りたくて・・・・

St.Augustinusのように語りたくて・・・・

インターネットに持っているのは、様々な形で、これで7個目になってしまいました。時々、逸脱します!そんな時、「告白」を読み返したいと思います。余りに重いタイトル。少しでも、何かを語れればと思いました。

1 goo blogの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自身の参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。ただ、OCNさんのブログは廃止。同じgooのOCNさんからの引越しブログ“Sard_Cafe“ではMTに落とし成功しているので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。ただし、残念ながら写真は越して来てない。

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2 今回カテキズムの変更。木曜日に書いたが、アップ出来なかった。パソコンの不調。インターネットに接続すると全然動かなくなる。以来アップを放棄する。今回、多忙なので読んだ本だけ追加し、映画の項を書き加え、そのままアップする。福音朗読もそのまま。
写真は、11/22(土)東京・11/23(日)駒ヶ根・11/27(土)天竜峡・11/29(土)浜松。12月4・11(木)天竜峡など
前回に引き続きだけれど、東京は「詩と思想研究会」、駒ヶ根は教会の委員会、天竜峡は介護ボラ、浜松は「学と楽」。介護ボランティアを毎週木と金に行うことに。6日、7日と8日、詩を3篇作り「詩と思想」に送る。ここ一週間歯の痛みに苦しむ。我慢しきれなくなって、火曜日歯医者さんに行く。大分酷く歯と更には神経を抜くことに。痛い!これが現実。厳しい老いの現実。総入れ歯まで後何日とカウントダウンが始まった。目は既に老眼で眼鏡を外さないと見えない。日一日と、新たな肉体的な衰え・老いを思い知らされる日常が。祈りと読書のみ生涯の伴侶。先週は後半3日、教会に夜行って祈る。書物は既にハーレム状態か。なかんずくラスト3冊を溺愛する。

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“価値と資本(上)”(ヒックス)“免疫学”(ベナセラフ)“免疫学のはなし”(奥村康)“免疫学への招待”(多田富雄訳)“ダーウィンフィンチ”(ラック)“可換体論”(永田雅宣)“可換環論”(飯高茂)“体とGalois理論Ⅰ”(藤崎源二郎)“現代の短歌”(高野公彦)“英文収録おくのほそ道”(キーン訳)“ドルジェル伯の舞踏会”(掘口大学訳)“近代フランス詩集”(齊藤磯雄訳)“ワイルド詩集”(日夏こう之介)“海潮音”(上田敏訳)“The Book of Psalms”“角川短歌賞受賞作品集““角川俳句集のすべて“”介護上手の胸の内“(広瀬久美子)”言葉と意味を考える1・2”(赤羽研三)“ソシュールを読む”(丸山圭三郎)“萩原朔太郎詩集”“翻訳教室”(柴田元幸)“新・基本英文700選”(鈴木長十他)“現代詩辞典”“現代外国詩辞典”“文典”“Aクラス理科 地学・生物・物理・化学”(昇龍堂)“アメリカン・マスターピース古典編”(柴田元幸訳)“Acts of Worships”「鍵のかかる部屋」(三島)「虐げられた人びと」(ドストエフスキー)「小海永二著作選集2」「ボードレール全集Ⅲ」「これがボランティアだ!」(森口秀志編)「ハイレベル理系数学」「現代詩手帖現代詩年鑑2015」“Nixon and Kissinger”(Dallek) “万葉名歌”(土屋文明)“歴史の研究”(トインビー)“狂王ルードヴィヒ”(カール)“楊貴妃”(大野実之介)。

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久々にインターネットのオンデマンドで映画を見る。3本予約。三島の最後、若松監督・利休、勅使河原監督、離別。購入したはいいが多忙で三島しか見てない。しかも、自決直前で止めている。「刀を見せる」間隙に長官を人質に取る、その不純さに異議を挟んだからだ。日本刀を騙しに使っていいのか?三島美学の範疇でない。シナリオを一考だ。作り直す必要がある。利休は冒頭しか見てない。が、最初の2~3分で不朽の名作と分かる。離別も未だ。

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Lispマシンに関し。「コンピュータ・アーキテクチャ」(坂村健)からの引用。名著なので是非買っていただきたい。p.39からが、「3章Lispマシンのアーキテクチャ」。そこの「3.3アプローチの方法~3.6超革新的アプローチ」を読んでいただきたい。3.3にアプローチが4つ纏められていて、3.4~3.6に詳しく述べられている。3.4の表題から、
“①基本的に計算機を速くする ②高級言語マシンの一つと考える ③パーソナル化(VLSI化) ④まったく別のメカニズムを考える ”
3.4従来型アプローチとして、
“ CONSマイクロプロセッサーを使い、CDRコードを使うもの。CHAOSネットで個々のLispマシンを接続する。
 MBALMマシン。MBALコードなるリスト処理用の機械語に翻訳し、MBALMコードがB1726でインタプリートされる。
 FLATS。ECLを使って製作したもの。シンボルサーチ方式にハッシング方式を採用し、これをハードウェアで実現している。“
などが挙げられている。3.5~3.6は省略する。Lispは基本的にlist処理の塊。それを如何に早く行うかの競争。「データ構造とアルゴリズム」の話はまたいつか行う予定。そのとき、これら用語の説明もしたいが・・・。

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3 「パッテン発生学」(西村書店)から。p.323「第11章 四肢の発生-肢の再生」に再生に関する記述があるので、最初の方のみ引用する。興味を持ったら買って読んでいただきたい。やはり名著、読む読まないに関係なく一家に一冊備えておくべき書かとも思う。

“ある脊椎動物の四肢は切断されても再生する能力がある。切断によって切断面を被覆する表皮の損傷治癒と初めの傷によって生じた内部破片の除去がおこる。数日中に肢の断端は脱分化期に入り、その間に肢の遠位部の分化した組織が解体し原始的にみえる細胞集団に置換する。これらの細胞は集合して肢の断端縁で増殖し、再生芽を形成する。それは多くの点で胚子の肢芽に類似性がある。再生芽が成長するにつれて、胚子の胚芽でおこる一連の出来事にきわめて類似したやり方で新しい肢を形成する。胚子における肢の発生と再生との間には多くの類似性があるけれど、また若干の相違もあり、体に対する再生肢のより強固な統合に反映している。少なくとも3つの条件-傷ついた表皮、中胚葉の損傷、適当な神経の供給-が肢の再生開始に必要である。他の因子の役割、たとえばホルモン、生物電流などは明らかでない。脱分化期とそれに続く形態形成には、位置情報の読み取りと、それに対する再生にたずさわる細胞の反応が含まれる。・・・・”

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4 去年3月に「詩と思想」新人投稿欄に投稿するも採られなかった詩のシリーズがあります。第2回を何回かに分けて掲載します。選考に落ちてますから当然一定のレベルには達していません。第2回目。

“<冬の期待> あっ、あそこのビルは?雨も降り出した。このまま走り続けようかしら。それとも引き返す?どっちも同じって気づいた時にはもう天辺来てた。/炉端がいい?弁当?炉端なら暖簾の店、弁当ならコンビニ。でも、あの天辺意外と高いのねえ。展望レストランって訳にもいかないし。まあ、地味な食堂でも見つけて都会の雰囲気でも。/ああそうそう、お母さんに電話しなくちゃ。天辺って、意外とこう物ないものね。(この稿未完)”


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天辺とは実は江ノ島。カトリックの教会があります。そこから街を抜け丘へ登ると公園があります。何となく飯田天竜峡を彷彿とさせるので、そこに舞台を設えました。語り口は女性。演歌を作詞し小沢亜貴子さんに贈った経験があってというか、そもそも彼女への作詞から出発し詩に転じる。詩からシナリオ・短歌へと広げる。演歌なので女性口調。堪える女性。その延長。落とし所は分かっている。日夏先生すみません!

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5 “Hamiltonの四次元数”に関し、同じ名前の章が、「数(下)」(エビングハウス他、シュプリンガー)のKoecherとRemmertによる第7章にある。そこからの紹介。名著。読む読まないに関係なく買って一家に一冊備えておくべき書。是非!p.220から。第2回。

“Hamiltonの企ては、最初は成功しない。彼は実数対の場合と同様、通常の規則が引き続き成り立つような-すなわち、彼は永続原理を置いた-3つ組の乗法を求めている。彼は、i^2=j^2=-1 のもとで α+βi+γj と置き、”可換であるように計算して“最も簡単な2乗の場合を考察する。 
(α+βi+γj)^2=α^2-β^2-γ^2
+2iαβ+2jαγ+2ijβγ
Cの場合のように、乗法の値に対する試金石は、積規則であり、これによれば、積の長さは長さの積と一致すべきとなっている(ここで、α+βi+γjはユークリッド的長さ√(α^2+β^2+γ^2)を持つ)上の式の右辺における1、i,jの係数の2乗の和は、計算すると、
(α^2-β^2-γ^2)^2+(2αβ)^2+(2αγ)^2
=(α^2+β^2+γ^2)^2
となる。そこでHamiltonは、ij=0と置けば間違いなく積規則が満たされることを確認している。だがこれは彼の気に入らない。そこで彼は、上の式の右辺には、2ijではなく、実は(!)ij+jiがあることに気づいたのである。これは、零とならなければならない。すななち、ij=-ji。こうして彼は可換律を犠牲にすることを余儀なくされたのだった。“

6 “橋桁に青き静かな水の凪”
「何だかなあ」という句だが一応。

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7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: The same criterion is applied by analogy in international relationships.Interdependence must be transformed into solodarity,based upon the principle that the goods of creation are meant for all.That which human industry produces through the process of raw materials,with the contribution of work,must serve equally for the good of all.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 降誕節第2水金曜日福音朗読より。マタイによる第11章から。

“「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、「あれは悪霊に取りつかれている」と言い、人の子が来て、飲み食いすると、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」”
-(心を閉ざす、自己本位な口実は簡単に見いだされる。受肉した神の知恵イエスの御業にしっかりと目を注ごう。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年12月12日(15日)
                       乗倉寿明記す