その女性は安楽椅子にゆうゆうと腰をかけ、白きローブの裾を安楽椅子の肘掛から垂らすようにして、目線はテーブル上にあるチェス盤の黒のポーン一点に集中していた。
髪は腰までの黒。後頭部を覆うように三日月型の記憶装置がついている。彼女は千年を生きた魔女故に、この記憶装置がなければ記憶を維持することが出来ない。
名前はフェザリーヌ・アウグストゥス・アウローラ。通称・観劇の魔女、造物主に至りし大魔女。魔女達は彼女をフェザリーヌ卿、または親しみを込めてアウアウローラと呼ぶ。
「はて、この物語の最も深き地獄とやらは一体なんだったのやら」
今まで開いていたゲーム盤を見返す。このゲーム盤は仮想的に現実空間とリンクしており、駒はその世界の中では人間そのものだ。魔女達は人間を操り、ゲーム盤の中で勝敗を競っている。
まず最初に起きたチェック。これは他のどの駒にも真似出来ない凄惨たる光景だった。
「カケラを通せば多少は見えようか?」
カケラ。これは、それぞれのゲーム盤の中に存在する、駒たちが保有する"記憶"や"証言"を見ることが出来る。
もちろんゲーム盤ごとにカケラの中身も変わるので、絶対の真実ではないこともある。しかし、その人にしかわからない事情や、その駒にしか見えていなかった視点を見ることが出来る。
これが、「愛がなければ視えない」ものだ。まさに、魔女だけが見ることの出来る世界。多くの人間は片目でしかものを見られない。魔女は、ゲーム盤上に存在する無数のカケラという視点を得て、両目で物を見ることが出来る。そこには、愛がなければ見えなかった、片目では決して気づくことのなかった真実がある。
「私が見たいのは、地獄の生還者達の語る悲哀に充ちたエピソード……などでは断じてない」
地獄。人間達がゲーム盤内で死よりも辛い経験を強いられる場所だ。それは、決まったところに存在する訳では無い。たとえ友達同士でお喋りしていようが教室で授業を受けているだけであろうが、駒にとって苦痛であるならばそれもまたひとつの地獄だ。
例として挙げるなら、かつて教室でいじめられていた右代宮縁寿の地獄だ。家は大富豪、一家全員が他界してからは、毎日世間からのバッシングの毎日を送らされる。家族は永遠に帰ってこない。学校では噂だらけで、友達は姉が友達にしていたぬいぐるみだけ。縁寿の姉、真里亞は原初の称号を持つ、白き魔法使いだった。縁寿とぬいぐるみを通して魔法の世界を共にしたことがあった。その経験があってこそ、彼女は地獄をくぐり抜けることが出来た。
縁寿が地獄をくぐり抜けるには、長い旅を伴った。
彼女はいじめっ子に対して、始めは黒き魔法を持って対抗しようとした。黒き魔法とはすなわち憎しみからくるものだ。
その後、奇跡の魔女ベルンカステルに認められ、千年を生きる黄金の魔女にして無限の魔女、ベアトリーチェ卿のゲーム盤に招待される。
家族の真実を求めてやってきたエンジェは、魔女の世界で兄と再開する。兄のバトラは魔法を理解し魔女となっていた。バトラはゲーム盤を通して魔女たちと論戦を繰り広げていた。絶対の魔女・ラムダデルタとのゲーム、真実の魔女・古戸ヱリカとのゲームなどの様々な論戦を観劇。
そうして長きゲーム盤の旅を終えて、一なる真実と魔法を理解したエンジェは、白き魔法を選び、黄金と反魂の称号を得る。
最後のゲームでは、バトラを含む家族を反魂の魔法で蘇らせ、魔女たちを退散させた。
反魂の魔女エンジェ・ベアトリーチェとなった今、彼女は白き魔法を使って人々を喜ばせている。
「もしや、原初卿……いや、エーゼ卿は、地獄を望んでおるであろうな。人の苦しむ姿や自分の苦しんだ過去を、それがまさに自分であると錯覚している。原初の地獄とは1も100も存在しない、ただ0である無の世界だ」
無限の魔女ベアトリーチェは、様々なトリックを用いて無限にゲーム盤を生み出した。1を100にも1000にも出来る。
絶対の魔女はゲーム盤の地獄を絶対に看破した。絶対に成し遂げるという強い意志だ。
真実の魔女はゲーム盤の地獄を真実として耐え抜いた。様々な証拠を元に真実を暴き、導き出されるどんな真実に耐える魔女だ。
観劇の魔女は多くのゲーム盤を観劇し、そこから真実を見通した。魔女はゲーム盤がないと退屈で死んでしまう。
奇跡の魔女は地獄でサイコロを降り続け、絶対に出せない出目を奇跡で出した。彼女は観劇の魔女の犠牲者だ。

原初の魔法は0を1にする力がある。無限の魔女が必要とする1を。絶対の魔女にすら不可能な0と1の境界を操る。真実の魔女にすら見つけられなかった0の証拠を1とする。観劇の魔女にすら思いもつかなかった1なる真実を生み出す。奇跡の魔女ですら出せなかった新たなる出目を生む。

「エーゼ卿は、原初の地獄でひたすら0から1を生むことを望んだ。苦しみに耐え、魔法を理解し、ようやく1を手にした。駒にあらゆる魔法を教え、原初の魔法にて導き、人と人に新しい和という1をもたらすことに成功した」
「しかし私は観劇の魔女。私が知りたいのはそんな甘いものでは無い。私が知りたいのは、地獄の中身そのものだ。」
「その地獄で起こっていたことをエーゼ卿はきっと思い出せぬであろうな。彼女にとっては地獄の当事者。魔女とはいえ地獄の想起には苦痛が伴う」
「私は答え合わせがしたいのだ、我が巫女よ」
フェザリーヌの目線は奥の扉の方へ動いた。
「また、私を魔女のゲームに駆り立てるのね」
そこには、エンジェの姿があった。