試論vol.1 | R.Gallagherの世界一面白いブログ!!

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ロラン・バルトの『物語の構造分析』以降、大学の教員という立場に在る者が公的な学術論文や著作を発表する事は非道く野蛮な行為である。
彼が提起したテクスト論に倣って言えば、あらゆる文章はそれが書かれる以前に書かれ、その執筆者に読まれた文章の影響下に在る。
要するに、文系に限らず理系も含めた大学教員が学生が提出したレポートや卒業論文に触発されたり着想を得て自身の文章を書く、と言う事例が無数にある(あった)筈だからだ。

しかし、文章に限らず、音楽や絵画、彫刻や映画と言ったあらゆる「アート」の生成過程を、このテクスト論に沿った考え方は否定してしまう事にもなり兼ねない。

思えばノエル・ギャラガーが影響を受けた(と本人ですら明言している)バントを数え上げれば切りが無いだろう。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、ザ・フー、デヴィッド・ボウイ、セックス・ピストルズ、スミス、ストーン・ローゼズ、ラーズ……etc。

あらゆるアートが今後も半永久的に存続する為には、この種の影響関係の連鎖と再生産が絶え間無く反復され、常に新しい誰かによって、新しい何かが生み出される事を期待する他は無い。

その連綿と続く人間の表現の連続が良い意味での「歴史」となるのだ。

結論をここまでの文脈に即して言えば、私がこの文章の冒頭に挙げた事例が「野蛮」にならない為には、教員が、学生との影響関係を自覚しながらも、良心と矜持を保って差異を生み出しながら自身の文章を書く状況を期待する他は無いのだ。