シャンプーとリンス。

いったい、いつからリンスをコンディショナーと

表現するようになったのだろうか。

気がついたらリンスが消えていた。

かつてのかつて、

リンスを買いにいったとき、

量販店のそのコーナーには

リンスという表示がなかったので、

「リンスどれ?」と探した記憶がかすかにある。

いつのまにかコンディショナーの時代がきていた(笑)。

リンスより効き目()がありそうなのか・・・・・・。

本題はここから。

このシャンプーとコンデショナー。

普通に同じように使っているはずなのに、

同じようになくならないのはどうしてなのだろうか。

これは不思議でならない。

そして、どちらかがなくなると、

詰め替え用を買うことになるのだけど、

結果、中途半端にちぐはぐになって、

それぞれの詰め替え時期がずれてくる。

一緒になくならないから、

「別の商品にしよう」と乗り換え時が定まらず、

ずっと同じものを使い続けることになる。

もしや、これは企業の策略か?

そういえば過去に「リンスインシャンプー」といって、

双方を一緒にしたものがあったけど、

いまは見ないな。

もっといえば、いまのポンプスタイルが

レギュラー化したのはいつだったのだろうか。


会社のなかに居ると、

規則とか、ルールとか、

守らなきゃいけないコトがいろいろあるわけで。

それを全部、忠実に守るのは当たり前。

でも、

会社が決めたルールって、通りいっぺんの一般的なものだから、

必ずねじれっていうのが生じる。

「個人的な事情」ってやつだ。

そこで、双方を歩み寄らせて、どこでどう妥協するか、

焦点はそこだけになってくる。

結果的には、中間点はほとんどなくて、

ほぼ会社よりの考え方に結論付けられて、

個人的な事情はただ訴えただけのしこり、

ストレスとなって残ることが多い。

会社の経営者とその取り巻きの少し偏った思考が、

会社の思考となって、横行を始めるわけだ。

でもね。

そこの折り合いをつけていくことが、

会社と従業員との間の構図では必要なんじゃないかと。

最近、強く思い始めた。

ハンドルを正しく握って、

正しい方向に進みましょう。

これはよくわかる。

でもね。

ハンドルにも〝遊び〟の部分があって、

それも大きく大事なことなんじゃないかと。

だって、すべての物事に対して、

客観的にみて正義な人は居ないんじゃないの。

法廷速度50キロ/時のところを、60キロ/時で走ることって、

よくあるじゃんか。

10キロオーバーは法廷速度からいうと違反には間違いない、

かといって検挙はされるコトはごくごく稀であるわけで。

そんなハンドルの遊びの部分が必要なこと、ところって

やっぱりあるんじゃないかなと。

思い始めた。

丸くなっていっているわけじゃなく、

ヒトの心にはこんな丸い部分は確かに存在するんであって、

それがどれだけの大きさかっているだけなんだな。

というくだらない

ゆく川の流れの雑感。

強度史研究会主催の講座に行った。

2時間は長かった。

そして内容も稚拙で、

あまり勉強になることがなかった。

資料代として100円の参加費だったが、

資料はA41枚で、「えっ?」というものだった。

発表者の偏った持論が先走って、

客観的な思考ではないと思った。

もう行かない。

時間を損した。