平成31年1月5日
私は6人兄弟の下から2番目で、幼い頃は遊び回ったあげく近くの
「どぶ川」に嵌まって死にそうになったり、中学時代には股関節炎を
患って長い闘病生活を余儀なくされたりしました。
特に中学生の多感な頃、病院の担当医から“復帰するまで長い時間
がかかること”を告げられたとき、ショックのあまり涙が溢れ出たことを
思い出します。そして、その涙が手の甲にこぼれたとき、一緒に聞いて
いた母が黙って手ぬぐいを渡してくれたときの顔が今でも鮮明に浮かんで
来ます。そんな時代、実家は零細工場で、多額の手術代・入院費は
一家総出での工場の売上げがそのまま私の治療費に消えたとことを
後で知りました。
母が家事を片付けたあと、割烹着のまま工場の仕事を夜遅くまでして
いたころの顔が今でも浮びます。
思えば、私は随分と父や母を心配させたり、悩ませたりしたようです。
「親孝行したいときには親はなし」
・・・・・よく言ったものです。