平成22年7月8日
私が、中国(北京)に駐在していたときの飛行場での
ある出来事を今でも鮮やかに思い出します。
中国の他地域への出張のため北京空港に行き、
そこでフライトを待っていたときの出来事です。
私は、丸く大きな円周上に並べられたソファーの隅に
座りましたが、そこの真ん中に陣取っていたのはオバちゃん
たちでした。彼女たちはちょっとだらしなくくつろぎ、隣の人の
肩を叩いては大声で笑っていました。
“どこの国のオバちゃんも一緒だ”と私は自分の育った時代の
日本のオバちゃんたちを懐かしく思い出しながら、隅のソファーで
まったりとしていました。
その空間で、私は中国のオバちゃんたちと「心情的には一体化
していた」と言ってもいいでしょう。
そこへ明らかに質の異なる、自信に満ちた上品な笑い声が
聞こえてきました。しかも、その笑い声には日本語が混じっていました。
声のする方を見たら、JALの乗務員たちでした。当時は未だフライト
のスケジュールもきつくなく、恐らくその夜は北京で一泊し、翌朝の
フライトに備える、ということだったのでしょう。
その華やかな一行を見送りながら、“JAL(日本)はすごいなぁ”と、
私は、自分が日本人であることを忘れて、ソファーでくつろいでいた
オバちゃんたちと一緒にそう感じたものでした。
あのときの、JALと日本の栄光はどこへ行ってしまったのでしょうか?
今は、JALも日本も衰退し、立ち直りの切っ掛けさえ未だ
見出せていません。