2017年は過去最高年間40万人、2018年は? | グローバルライフコーディネーター JELLY Japan の起業ブログ No borderで国際相続までお任せください

グローバルライフコーディネーター JELLY Japan の起業ブログ No borderで国際相続までお任せください

Navyのまち横須賀から横浜、東京、そして世界へと。

人間愛・家族愛の不朽の原理にBorderは有りません。

愛し愛されることをベースに、互いの自己実現をサポートします。

地球をゲレンデとしたライフスタイルを提案します。

2017年の日本人の出生数から死亡数を引くと394,373人。これが一年間で減少した日本の人口ですが、私の住んでいる横須賀の人口とほぼ同じ数字です。日本は2008年1億2,808万人をピークに人口減少局面に入りました。そして、2025年から2050年にかけては、平均80万人(山梨県の人口)が減って行きます。

私たちは日本人史上初めて、人口減少局面での経営をしていくこととなります。

1999年に発行された『人口減少時の経営学』という本が有りますのでトピックをご紹介します。

長い時間をかけて歩んで来た日本の人口は、幕末時には3330万人に過ぎません。それが、なぜ約100年の間に1億人ほどの人口が増えることとなったのでしょう。

徳川時代300年の鎖国体制を保って来た日本でしたが、1800年代列強諸国は植民地を各地に展開しており、中国は大英帝国とアヘン戦争を、日本の浦賀には米国が黒船を率いて来て開国を迫りました。日本は徳川幕府から明治政府へと移行をし、新しい道を歩み始めます。取られた国策は「富国強兵」でした。技術の近代化と共に生めよ増やせよと国力を増強します。私の両親もそれぞれ6人7人という兄弟でしたが、1足す1が6人や7人であるなら当然人口は増えて行きます。

しかし、ここに問題がありました。日本の国土で自給自足出来るのは7000万人ほどだということです。7000万人を超えて行くという時期に取られていた策の一つが海外移民策です。戦国時代から徳川時代へとなり戦争のない国を保持することになったシステムの一つが家督相続です。直系長男が全財産を相続することで、家族内の財産による揉め事を避けることが出来ました。昭和の時代もまだその傾向は色濃くあったのでしょう。次男、三男に対し「全てのものは自分のものになるから未開拓の地を開拓しないか」と、大量に移民を出しました。ハワイ、米国西海岸、ブラジル、ペルーへと。その後も朝鮮、中国、アジアへと日本人は進出を続けますが、第二次世界大戦へとなり、1945年終戦を迎えることとなります。

ここでも困ったことがありました。せっかく外に出た日本人が大量に船で戻って来ることになったのです。当時の人口は7,199万人、どの様に食糧事情を乗り越えたのでしょうか。食糧には窮しましたが脱脂粉乳を始めとする海外からの援助物資で生きて行けるという経験をしました。日本の得意とする技術力でモノを生産し「メイドインジャパン」を海外に輸出、外貨を稼ぎ海外の食糧を輸入するために、農耕地は工業地帯へと変貌を遂げました。そして、2008年には人口はピークを迎えることとなりました。

そして、人口のピークを下り10年近くが経ちました。日本史上で人口減少の局面を采配したトップはいません。下降局面へと以降する段階では数多くの政権が変わりました。しかし、これから来る問題は今に始まったものでなく予想可能です。高齢化、少子化、税収確保、年金や健康保険などの社会保障の原資、都市への人の流出に伴う地域の行政保持、圧倒的な労働力不足などなど。日本が外に出していた移民ですが、今度は日本に受け入れる話がなされています。

昨日の株価が下がったことで2020年まで持たないとのコメントがありましたが、日本にとってポジティブなニュースである東京オリンピック。2020年のオリンピックイヤーをどの様に迎え、どの様に2021年以降を歩んで行くのでしょうか。

大切なのは、これから起こることも想定可能だということです。分かっていることは、過去もそうでしたが将来も同じ、良いこともあれば、悪いこともあるということです。だからこそ、目の前に流れる情報に左右されるのでなく、自身の目で事実を見て、自身の頭で解釈をし、行動をしていくこと。これから起こって来ることに対する心の態度とても大切になって来ると思うのです。状況を把握して自由に各自の幸せを求めて行ければどんな時代でも大丈夫です。日本って良い国ですから。

一つのグラフから人口減少時の経営について考察してみました。