戦争を出来なくなった時代の課題 | グローバルライフコーディネーター JELLY Japan の起業ブログ No borderで国際相続までお任せください

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Navyのまち横須賀から横浜、東京、そして世界へと。

人間愛・家族愛の不朽の原理にBorderは有りません。

愛し愛されることをベースに、互いの自己実現をサポートします。

地球をゲレンデとしたライフスタイルを提案します。

13歳の夏休み、アメリカのミネソタ州に一ヶ月のホームステイをさせてもらいました。同じ年の子を末っ子にした男三兄弟に、お父さん、お母さんという家族構成の農家でした。言葉を覚えずに訪問したので、お互いに英和・和英辞典を持ち身振り素振りで意思表示をしました。この年はアメリカでスターウオーズの第一作が上映された年です。農家の毎日は、牛の世話、広い畑の草むしり、21時くらいまで明るいので近所の子供たちとソフトボールしたり、近所の家族を招いてホームパーティしたり、大リーグの野球を見に行ったり、今でもはっきりと覚えています。私が帰る日にはホームステイ先の母が「ATSUSHI 今度はいつ来るの」と涙を流してくれ、20年近く文通が続きました。「国籍や文化、宗教が変わっても人間の基本的な感情や行動は変わらないな」と、身体に染み込ませた経験です。

私の住んでいる横須賀は、米軍基地のある街なので1980年代でも米軍反対のデモがまだされていました。当時は冷戦の時代、アメリカを始めとする資本主義の国とソビエト連邦を始めとする共産主義が世紀末に最終戦争をするかもしれないと言っていた時代です。「なんで人は戦争をするんだろう。しなければいいのに」「戦争を止めようとした人っていなかったのかな」そんなところに興味を持ちました。結果、明治大学の政治経済学部の政治学科に進みます。日本政治思想史のゼミを専攻し、南信新聞の周年行事で長野県飯田市の図書館に所蔵されている幕末から第二次世界大戦までの新聞と雑誌を全部読み返し、一冊の本に纏めるというプロジェクトに参加しました。そして、人がいかに世の中に流れている情報に影響され、その空気が価値観や考え方も変えて行くという事実を目の当たりにしました。

「多くの民間人が他の国の方たちと交流をし、友達となり、好きになり、子供を作り、家庭を築き、仕事も作り等々としていたら戦争は起こらないのでは」と、旅行会社に就職を決めました。自分の中に秘めた平和活動ですが、1999年を過ぎても最終戦争は起こらず、平和活動は終焉を迎えます。そして、2000年に米国系の保険会社に転職をします。18年間の就業期間中に私の続けた平和活動は、日本にいる外国人のサポートをすることでした。13歳の夏に私が経験させて頂いたように。7ヶ国のお客様と「なぜ日本に来て、今何のために頑張っていて、将来どのように過ごそうとしているのか」というライフプランの話しを大勢の方としました。話しを聞いて気付いたことは「日本は悪くないよ」ということでした。しかし、世の中に流れている情報はネガティブなことが多い。戦争に入った時のように流れている情報に左右されてはいけないなと思います。世界から見たら日本はどのように映っていて、どのような可能性や役割を持っているのかと考えるようになりました。

 

振り返ってみると、人間の歴史は戦争の歴史です。自国が不利になると隣国の性にして、侵略、破壊、リストラクチャーをしてきました。日本は人口が減っていますが、世界で見ると人口は増え続けます。人間はネズミ算で増えますが、食糧生産量はそのようにはいきません。仮に国の状況が悪い国があり、トップが国の問題を隣国の性にして戦争を仕掛けようとしたとします。しかし、実行しようとしても残念ながらSNSを始め、個人がこれだけ行き来している世の中で戦争を始めるのはとても難しい。それこそが、戦争を簡単に出来ない時代の課題だと思うのです。そして、人類が戦争をしないという選択肢を選ぶことを出来たなら、限りある食料や資源を他国の人たちとシェアして生きて行く必要が出て来ます。過去の先輩たちが築いた「メイドインジャパン」のブランドは世界でも稀有な存在です。日本のマーケットが縮小して行っても日本人は国外に出て仕事を求めることが出来るし、逆に、外国人はますます日本に入って来ます。理由は外国人が行きたいと思う国こそが日本だからです。日本人が年間40万人の人口を減らす中、在留外国人の数は263万7251人(2018年6月)で過去最高を記録しています。