先週のわたしの記事にツイッターで、いつも興味深い感想をくださる方が、
年をとっていっても、溌溂と小綺麗にしているって、他人の目をめちゃ意識するってことで、自意識なくてはできないですよね!自意識を保ちつつそれにとらわれて落ち込まないようにするって至難の業。」
と書いてくださいました。
ほんとそれ!と思った。それなんですよねー。
年とともにあまりだれにも見られなくなって解放感を感じる&他人の評価を気にせず、自分のやりたいように生きたいと思う
と
いつも、誰に見られてもいいように、きれいにしておく
の両立、なかなかに難しいんですよね。
それに、自分に、自分は見えない!
鏡に映したり、自撮りしない限り、見えない。←これ、すごく大きいと思うんです。
わたしも、年とともに「自分以外の人やもの、風景などを愛でる喜び」がわかってきました。とくに大きなこだわりがあるわけではないけれども、それでも、「こういう食器が好き」とか「こういうインテリアが好き」などはあり、そういうものも見る。熱心に見る。
四季ごとの自然の美しさもちゃんと見ておきたい。愛犬スーの可愛さも見ねばならぬ。
ほんっとに自分以外に見たいものや見なくちゃいけないものが、たくさん!自分を見ている暇なんてなし!
つまりは、「自分の目を、自分以外を見るために使うことが増える」わけです。かつてほど鏡を熱心に見て、すこしでも可愛く、少しでもマシに…という時間が減っていきます。
なんなら、一日、見ないでも済むぐらい。目に入らないなら、ないものと同じ。この自分の姿は…。
せっせせっせとあちこち掃除して、自分は見ない、とか。あるー。
最初に紹介した「自意識を保ちつつ、それにとらわれて落ち込まないようにする」にはどうしたらいいか。これについては、わたしもずいぶん考えてきました。
もっというと、「他人の目を意識せずに、自分をハツラツと小綺麗に保つ方法はあるのか」という問いです。
世阿弥の「離見の見」的な感覚が必要なんですかね?
いきなり600年前の能の大成者の言葉をもってきましたが、「離見の見」を調べると「役者が能を舞っている最中には、舞っている自分を離れた所から冷静に見る別の自分が必要であり、能舞台全体を一望するような視点を持つことが重要だという意味」なんだとか。
キーワードは、「能全体を一望」。
わざわざ引用して、何が言いたいかというとですね。
自分の姿を、自分の生きている風景や環境込みで離れたところから冷静に「一望して」(イメージして)、その風景に合う(調和する、とか、アクセントカラーのように目立つ、とか、合わせ方は好みで)自分を小綺麗に保つ、みたいな考え方が必要なんじゃないかと。
自分で書いてみてわかりにくいと思った(笑)すんません。
風景ごと自分をコーディネートする的な?そんな感じです。
こういうことを、いま、地方新聞に連載している「おしゃれをしろと言われましても…」の11回目にも書いたんだった。もっとわかりやすく、丁寧に。もし、お住まいの地域の新聞に掲載されていたら読んでみてください。
そんなつもりなかったけど、宣伝みたいになりましたね。ごめん。
・・・とまあ、偉そうにいろいろ書いているけど難しいな。いま、パソコンに向かっているわたしはすっぴんボサボサ。自分には、見えないからよし!(笑)
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