僕は全盲で車いす。
毎年このくらいの時期になると
小学校や中学校での福祉講話の依頼を頂く。
今年もすでに3校からの依頼を受けている。
過去の講話で僕には理解できないテーマがあった。
あれはもう10年以上前になる。
それは中学3年生を対象にした福祉講話だった。
講話をするのは僕と他に2人。
講話の依頼を頂いた時には
講話をする僕たち3人に対し
「1人15分ぐらいで、自分の障がいと自分が障がいになった時のことを話してください」
と言うことだった。
だから、僕たちは自分にはどんな障がいがあって
どうして障がいを待つことになったのかを
中学生に話をした。
3人がそれぞれの話しを終えた後だった。
講話の進行をしていた障害福祉関係の職員さんが
今回の講話のテーマを初めて口にしたのだが、
そのテーマというのが
『将来、障がい者になった時のための福祉講話』
だった
僕たちは今回の講話のテーマを
聞かされていなかった。
僕たちが話してほしいと言われたことと
講話のテーマは違っていた。
それよりも
初めて聞かされたそのテーマに対して
僕の頭の中は
疑問しかなかった。
将来自分が障害者になった時のため
いつ障がい者になっても大丈夫なように
準備しておくってこと
ちょっと待って
じゃあここにいる大人たちは
自分がいつ障がい者になってもいいように
その時のことをちゃんと考えているってこと
少なくとも僕は自分が障がい者になるなんて
思ってもいなかった。
言葉は悪いけれど、他人事とさえ思っていた。
それに、障がいを持つということは
自分一人だけの問題ではない。
障がいを持った時のためと言うのなら
もし自分の大切な人や家族、友達が
障がいを持った時のことまで考えているの
障がい者と言っても皆んな同じじゃない。
いろんな障がいあって、状況もそれぞれ違う
それぞれの障がいを持つ事になった経緯があって
それぞれの障がいとの向き合い方や葛藤があって
受け入れたり、受け入れられなかったり
それぞれの家族や周りの関わりによっても違う。
特にメンタル面に関しては
言葉で説明できるほど簡単なことじゃないし
障がい者になってみなければわからないこと。
事実僕が
前向きに生きられるようになってきたのは
今からほんの数年前の話なのだから・・・。
ここまで来るには
障がい者になって15年以上かかった。
それでも、僕は今も障がいを受け入れていない。
受け入れなくてもいいとさえ思っている。
できることなら障がいなんて持ちたくないし
誰にも持ってほしくなんかない。
けれど、障がいにしても、病気にしても
なるかならないかなんて誰にもわからない。
それにこの講話をしていた頃の僕は
前向きに生きていることを装っていた人
もし、僕がこの時の中学生と同じように
障がい者になった時のための話を聞いていたら
僕の15年は、違っていたのだろうか
今だから話せることやわかることはあるけれど
今も数年前の僕のように、人生を前向きに
考えられる状態じゃない人だっている。
『障がい者になった時のため』なんて
誰にもわからないし、
僕たちに対して失礼だよね
と思う僕なのでした
※このお話はノンフィクションです。