セクシー田中さんの件で感じること | NobunagAのブログ

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とても悲しくて残酷なことが
起きてしまいました。

ドラマで好評を得ていたと
思われていたセクシー田中さん、
でしたが…

実際には原作者の芦原妃名子先生が
ドラマ化に関しては、
漫画の設定を変えないでほしい、
など細かく要望を出していたのに
毎回、それを守らない脚本が
届けられていたことで、
何度も直してもらうように
要望をしていたそうです…

それでも、最終回までの脚本が
さらに改変させられていたため、
結局は最後の2回は芦原先生が
脚本を書いたそうです。

それに関して納得が
いかないところがあったのか、
脚本家の方が

「原作者が脚本を書きたいと
言い出したので、
最後の2回は自分は関わっていない」

「苦い経験になった」

というような内容を
インスタグラムに投稿。

これを受けて芦原先生は、
それに至った経緯を
書き記しました。

自分はドラマ化に際して
最低限これは守ってほしいと
お願いをしてきたのに、
再三守られなかったから
やむなくそうしたのです、と。

ところがこれは当然、
多くの目に触れるわけですから
脚本家への中傷や、
反対に原作者への中傷まで
始まってしまい…

こうした炎上を苦にした
芦原先生は

「攻撃したかったわけじゃない」

という投稿をし、
書き込みを削除しました。

そこで終わってくれれば…

だったんですが、
芦原先生はその後、
行方不明に…

自ら命を絶たれているのを
発見されることになって
しまいました。



とても悲しいニュースだと思います。

基本的に漫画の実写化というのは
ほとんどの場合で、
失敗します。

なぜかというと、
漫画という作品自体が
限られたコマと限られた
台詞量によって
ストーリーを展開させて
いくものであり…

ドラマの脚本も似てはいますが、
45分で一定のオチをつけながら
それを10〜12話程度で、
完全に解決させるのが
脚本家の仕事です。

本件についてはとくに
脚本家の方が以前から

「原作の改悪がひどい」

と言われてきたという
事情があるのですが

「漫画の見せ方と
ドラマの見せ方は違う」

という部分においては、
おそらく脚本のプロとしての
矜持もあったのでしょうから

「いやいや、ドラマは
このほうが視聴者に伝わるんだ!」

と思って様々に手を加えて
しまったのかなと思います…

ですが原作者というのは、
いわば作品の生みの親であり
アートの発明者なのです。

自分の作品が自分の思いとは
全然違う方向へと変えられたら
いくらヒットしようと、
わかりやすかろうと

「それは私の作品とは違う!」

と感じる権利もありますし

「原作者が最後は
脚本も書きたいと
言い出した」

などと一方的に悪いように
書かれたなら、
いえ、こういう事情が
ありましたと説明する
権利はあります。


おそらく芦原さんは
とても生真面目で繊細な方で
あったのだと思います。

それによって巻き起こった
炎上騒ぎを苦にして、
命を絶ってしまったのです…


ですから今は当然、
こんな状況を招く原因になった
脚本家への苦情もすごいことに
なっています。

実際のところはこの記事も、
読む人によっては、
脚本家がとんでもないことを
しやがった!!

攻撃してやる!!!

と思ってしまう人も、
また多いと思います…


でも少し深呼吸してほしいのは、
芦原先生は

「攻撃したかったわけじゃない」

ということを発信しており、
関係者の方へのお礼も
述べています。

このまま脚本家の方が
過剰な批判に晒されることは
別の悲劇も呼んでしまう
可能性すらあります。

また、ストーリー通りに
演じるしかなかった
俳優陣には罪なんか
まったくないはずですが、
彼らがそれを苦にして
しまう場合も考えないといけません。


要は何度も言っているように、
怒ったりする気持ちはわかるけど
私刑にまでなってしまうのは
危険である、ということです。


もちろん、芦原先生のファンは
それでも許せない!!

と思う気持ちは当然だと思います。

俺だって自分が好きな、
漫画、漫画家がこんな目に
あったなら怒るとは思いますから。

事実、好きな漫画が望んでもいない
実写化をされてまったく
つまらない作品になってた、
というのは数え切れません…



これ、脚本家が悪いというより
(あのインスタ投稿は
悪いとは思いますが)
もっと問題は根深くて

「視聴率主義のメディアが
人気のある作品をドラマにすれば
原作ファンが観るから視聴率が稼げる」

ということをまず重視して

「原作モノだから原作モノが
得意な脚本家にやらせよう」

という「システム」が
出来ちゃってると思うんです。

ですから今回の脚本家の方なんか
本当にそのシステム通りに

「いつものようにやっただけ」

「ドラマ向けではないな、と
感じたところは削ぎ落として
原作のテイストだけは
ちゃんと残してます」

くらいで「いつもの仕事」をしてた…

ところがいつもと違ったのは、
最初から芦原先生は、
そういうことはしないでほしいと
ちゃんと要望していたのに
その意思の疎通がしっかりと
なされていなかった、
ということです。

ですからこれは小学館の
担当者に問題があるのか、
ドラマのプロデューサーに
問題があるのか…

少なくとも脚本家と
原作者の間に感情的な
すれ違いが起きないように
間に入った人がいるはずなのに
それが機能してないんです。

システム化されてるにしても、
そこが一番大切だったのに
その部分が軽視されているから
こんな事になってしまう…

テレビ側にとっては

「たくさんあるドラマのひとつ」

「たかが漫画じゃないか!」

なのかもしれませんが、
漫画家というアーティストに
とっては違うんですよ。

唯一無二の作品なんです。

漫画は小説、脚本などでは一行で
書けるシーンであっても、
そのイラスト一枚に対して
非常に時間をかけて、
描かれています。

台詞もコマの中に、
絵を見せながら
美しく収められる量は
限られていますから、
可能な限りはみじかくて
心に残る台詞を、と
考えながら作っていると思います。

それを深い理由もなく

「ドラマはこのほうが
わかりやすいから」

みたいな理由で変えられたら
とてもショックなはずなんです。


脚本家にもプロの矜持がある、
それはわかるのですが…

俳優陣などもその作品に
どれだけの愛情があって
演じられるか、
という面もあるでしょう。

原作のファンの俳優ならば

「これはちょっと解釈が違うのでは?」

と、演じるときに言ってくれる
可能性もあります。

べつに原作モノでなくとも、
昨年の大河ドラマでは
本能寺の変の前のシーンは
岡田准一さんと松本潤さんが
大人になって相撲をとるより、
言葉での決裂を見せる方が
良いのでは?と提案したそうです。

また、秀吉役のムロツヨシさんは
家康との最後のやりとりに

「(天下を取ってしまい)
すまんかったのう」

という台詞を足してもらったそうです。

こうしたことを、
俳優が勝手に変えている!

と意地悪く受け取る人もいますが、
こういうのはあの有名な
脚本家の三谷作品でもよくあって、
ドラマというものが、
脚本家の描きたいことだけではなく
多くの方の発想のもとで
作られていることがわかると思います。

これが原作モノなのであれば、
とくにまずは原作者の意見を
重視すべきなのは、
当たり前だと思います。

それを何度も無視されたなら、
そんな思いをさせられてまで
べつにドラマ化なんて
してくれなくていい!と
感じてしまうことは、
無理もないと思うんです。


先ほども書きましたが、
脚本家を責めろ、
責任を取らせろ!

と言うつもりはありません。

が、テレビ側のスタンスとして

「視聴率ばかりにこだわって
原作の名前だけ借りて
安易に改変した作品を
作ること」

はもうやめてほしいです。

今回の件を見たって、
これじゃ、誰も得してない
どころか、
取り返しのつかないことが、
起きてしまったではないですか。

漫画家はアーティストです。

作品はその人の子供のような
大切なものなんです。


重ねがさね書きますが、
脚本家への過剰な攻撃は
また別の悲劇を起こしかねないので
ある程度、自重したほうが
良いとは思います。

他人の俺が読んでも、
きついなぁという言葉が
たくさん並んでおり、
あまりに辛いときや
怒りが抑えられないときは
いったんSNSを離れたほうが
無難かとは思います。


このような不幸が、
二度と起こりませんように。

全ての作品がちゃんと、
リスペクトされますように。