奔走する信長、十兵衛らの姿が
描かれている。
新しく将軍となった
足利義昭は子供の頃より
仏門に入れられ育てられた
心優しい人物。
民衆のことを思う心は
人一倍強いけれども、
自分で道を切り開く
強さもなければ、
三好勢に襲われると
震えて身を隠すしかない、
そんな小さな男でもある。
武士の棟梁としては
全く駄目なのであろうことは
十兵衛もわかっているが
義昭の持つ優しさには
惹かれている。
信長はどうか。
尾張を統一し
今川義元という
強大な敵を打ち破り
かつて道三が治めた
美濃も手に入れた。
武士としての強さ、
という点においては
他に並び立てる者が
見当たらないほどに
強くなった。
信長という人は
苛烈なイメージで
知られているが、
実は民衆に対しては
決して暴君ではない。
このドラマにおいては
信長の行動の原点を
「誰かに喜んでもらいたい」
「誰かが喜べば自分も嬉しい」
という感情に由来したものと
解釈している。
この「誰か」というものを
突き詰めると作品上は
「母上」
なのだろうが、
残念ながらその母上との関係は
自分に敵対した弟、
母上が愛した弟、
を自ら殺害して
しまった時点で破綻して
いることが信長の悲劇でも
あるのだろう。
足利義昭の居城を
作るために各地から
集められた石材の中に
地蔵までも含まれている。
そのことに胸を痛める十兵衛。
信長はそれを見て、
子供の頃、仏を大事にしないと
罰が当たると母に怒られたが、
いつまで待っても
罰などは当たらなかった、と
何度もその地蔵の頭を
叩き続ける。
まるで母への怒りを
ぶつけるかのように。
そして義昭は、
そこに地蔵が転がっていることに
気づくこともないまま、
信長を見つけると子供のように
喜んでその手を取り、
兄のように慕う。
この構図、演出はとても切ない。
優しい義昭ではあるが、
真に目を配るべきものにまでは
その目は届いていないと、
暗に表現しているようでもある。
気づいているのは、
十兵衛だけだ。
やがて義昭と信長も
敵対することになるが、
十兵衛はその狭間に立たされ
苦しむことになる。
この作品が興味深いのは、
この時点での十兵衛は
信長の家臣ではなく、
あくまで義昭側の家臣として
描いていることだろう。
実際、この頃の
明智光秀という人は
どのようなポジションに
置かれていたのかが、
史実上もどちら側だと
判断しにくい面があり、
これはありだろう。
また、信長に関しても
最新の研究では、
自分の天下統一のために
義昭を利用したのではなく、
義昭を奉じて上洛した理由は
あくまで本気で幕府を再興し
平和な世を作ろうとしたのが
目的であったことが
わかってきた。
「天下布武」
というのは信長自身が
天下を統一する意思表示ではなく
幕府を中心として、
畿内に平和な国を作ること、
それを意味していたそうだ。
この作品においても
そうした最新の研究を元に
新しい信長の姿を
描いているといえる。
主役は明智光秀なのだが…
どうしても信長に対して
感情移入してしまう。
ここまで述べてきたように
本作品の信長というのは、
母への屈折した思いを抱え、
愛情に飢えている。
民衆には優しく彼らと
分け隔てなく付き合い、
自分のために討ち死にした
家臣を思って涙を流す、
優しい心を持っている。
その姿も嘘ではない。
子供のように純粋で、
十兵衛のことを認めて
破格の扱いをしているのも
彼のことが大好きで、
また彼を大切にしている
妻の帰蝶のことも
大好きだからだ。
帰蝶も十兵衛も信長を認め、
褒めてくれるから、
好きなのだ。
好きな人の前では
ニコニコと笑顔になる。
その愛嬌のある笑顔の裏に
母との関係に起因する
大きな闇を秘めている、
それがこの作品の
織田信長という人だ。
これから先、
闇しかなくなってしまうのか、
それとも?
信長がどう生き、
そしてなぜ十兵衛に
討たれてしまうのか
目が離せないし、
そして悲しくもある。

