入院と罪悪感 | NobunagAのブログ

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■入院と罪悪感■
 
現在、弟は二度目の入院中。
 
自分も対人援助の専門職として、
家族だけでは支えきれない瞬間があることは、
じゅうぶんに知っているし、
第三者が関わったほうがいいことは理解している。
 
実際に俺が家族にそういうアドバイスをし、
その第三者の視点で誰かを助けているのだから。
 
それなのにこと自身の家族に関しては、
やはりそんなふうに割り切れないのも、
また現実だ。
 
なぜもっと自分が支えてあげられないのか、
なぜもっと助けてあげられないのか、
突きつめればなぜ自分だけしあわせでいていいのか。
 
たとえば俺自身は、
こんな仕事なので同世代の同じような立場の人と比べたら、
収入が高いわけではない。
でも会社でも外部からも
それなりに評価してもらえるようになってきたし、
いくばくかの利用者や家族を救い、
感謝をしていただいている。
子育てだって悩むことはあっても、
それ以上にたくさんのパワーを子供たちからもらっている。
好きな音楽を聴き、
好きな映画を観て、
好きなゲームで遊び、
好きなサッカーの結果に一喜一憂する。
 
ありふれてはいるだろうが、
そんな当たり前の日常が俺の周りにはたくさんあり、
それはすごくしあわせなことだ。
 
そのしあわせが弟にはない。
 
仕事をしたら、結婚したら、子供ができたら、
そのたびに今度こそはと思うが、
やはりそれを心からしあわせだと感じられる余裕はないのか、
そんなしあわせよりも病のほうが勝ってしまうのか、
結局病気はよくならない。
 
なぜだろうとどうしても思ってしまう。
 
どう考えても兄弟の根本的な性格は似ているのに、
なぜこんな差が生まれてしまったんだろう。
 
もちろん病気がそうしているのであって、
俺のせいなんてことはないのだから、
罪悪感なんて感じる必要がないことは、
頭ではわかっているつもり。
 
実際に俺自身も子供が増え、
仕事の量も増え、
以前よりは弟に関われる時間もゆとりも減っていて、
それはどうしても俺自身が生きていくうえで、
自分の家庭も支えていくうえで、
どうしようもないことだ。
家族である弟のことが大事であるのと同様に、
自分が新しく築いた家庭も大事であって、
それを犠牲にすることはできない。
天瓶にかけるようなことでもない。
 
全部わかっている。
 
心の病だけでなく、
高熱が出やすいという難病も抱えていて、
それらを完治させることなんて、
簡単ではないこともわかっている。
俺みたいな素人にできることは少ないのもわかっている。
 
ぜんぶわかっているのに、
なんでこんなに心は晴れないのだろう。
 
楽しいことはたくさんあり、
事実、ちゃんと楽しいことは楽しいと、
笑っている自分もいる。
 
でも心から笑っている自分はいない。
 
その部分だけとらえるなら、
俺自身も心は健康とはいえないかもしれない。
 
ただそれだけが、
ある意味で自分と弟をつなぐ接点なんだろうか。
だとしたら寂しい。
 
ただし、よく自分も奥さんに
「あなたも本格的にうつにならないように」
と心配されてしまうが、
それはおそらくないだろう。
 
なんかそういうことはもうこの10年で全部消えてしまい、
心のど真ん中は空虚であると言うほうが正しくて、
ある意味すべてのことを達観できてしまうようになった。
 
それは悪いことでもなく、
だからこそいろんな闇を抱えてもなお、
他の人まで助ける仕事もできてしまったりする。
 
というよりそのくらいプラスに変換しなければ、
つまらない神様の与えるくだらない試練に
負けた気がして我慢ならないからだ。
 
今回の入院はそんなに長くないかもしれないが、
どうか少しでもいいいからそれが彼の人生にとって、
何らかの救いになりますように。