ある高齢者の死 | NobunagAのブログ

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◆ある高齢者の死◆
 
 
Aさんは88歳の一人暮らしの女性である。
 
息子が一人いるがあまり折り合いがよくなく、
月に数回は様子を見にきてはくれているが、
介護への理解がほとんどないため、
家事などを手伝ってくれることはない。
 
ヘルパーに手伝ってもらいながら、
なんとか毎日を過ごしている。
 
性格は明るくおしゃべり好きだが、
膝が悪くて外に出かけられないことや、
高齢ということもあって、
すでに友人たちの多くは亡くなってしまっており、
外出することはほとんどない。
 
近所にはお店もないので、
買い物に出かけることすらまれである。
 
週に一度だけデイサービスに通うのを楽しみにしている。
 
このような生活環境を心配したケアマネは、
施設への入所を提案したこともある。
 
しかしAさんは
 
「まだ自宅でも自分でできることがあると思うから」
 
「いまさら知らない人たちと一緒に暮らすのは抵抗がある」
 
「スタッフの人たちにもあまり迷惑をかけたくないから」
 
と断ってきた。
 
「施設に入ったら近所の人にあのばあさんもついにボケたかと
思われちゃうしね」
 
とも言っていた。
 
実際には近所の人はAさんにそこまで興味なんか持ってないし、
施設には認知症ではない人だってたくさんいる。
いわばこれは悪い言葉でいえばAさんの偏見でしかないが、
残念ながら田舎では施設のイメージなんてまだまだそんなもの。
それが現実なのである。
 
そんなわけで第三者から見たらその生活には不十分な点が多かったが、
それでもAさんはがんばって一人暮らしを続けてきた。
 
しかしある寒い冬の日、
Aさんを悲劇が襲う。
 
夕食を食べ終わり、
寝室に向かおうとしたAさんは、
脳梗塞を起こしそのまま倒れてしまった。
 
なんとか助けを呼ぼうとしたが、
頭の痛みと転倒して顔面を強打したこともあり、
その場から立ちあがることもできなかった。
 
氷点下まで冷え込む誰もいない部屋の中、
Aさんは助けも呼べず、
一人さみしく最期を迎えた。
 
 
死の瞬間をあまりにも突然に、
そして誰にも看取られることなく、
迎えるしかなかったAさん、
さぞやおつらかったことでしょう。
 
これも世に言う孤独死のケースなんでしょうね。
 
ではAさんは不幸だったのでしょうか?
 
確かに死の瞬間は、
悲しく寂しいものではありました。
そんなつらい死に方は不本意だったと思います。
無念だと思います。
 
ですがその苦しい死の一晩と引き換えに、
Aさんは自分らしい毎日を得てきたのです。
 
当然、施設や病院にいたらこんな悲劇的な死は、
めったに起きません。
 
それだけでなく、
ふだんの生活だってもっと不自由のない、
健康で清潔も保障されたものにできたでしょう。
そのための施設です。
それが我々の仕事です。
 
ですが、Aさんの望みはそんなことじゃなかったはずです。
 
Aさんは自分でできることはやって、
可能な限り人のお世話になったり、
知らない人たちと過ごすのではなく、
施設には行かずに自宅で生活したかったのです。
 
その信念、
自分はこうありたいという姿を貫き通したAさん。
 
施設入所をごり押しせず、
Aさんの思いに寄り添ったサポートをしてきたケアマネ。
 
その結果としての孤独な死を、
俺は尊敬します。