◆なぜ生きる◆
そんな哲学的な問題は考えないほうがいいのかもしれませんが、
せっかく生と死に直面する現場にいるので、
ぼんやりと感じることがあります。
人は100%死にます。
人間の死亡率は医学が進歩しても、
最終的にはやはり100%なのです。
だからどのようにして生きて、
どのようにして死を迎えるかは、
避けては通れない問題です。
生きるということは、
心臓さえ生きていればいいのか?
確かに今は胃ろうなどの手段もあるし、
単純に生命を長らえさせることはできます。
それがいいのか悪いのかは、
いろいろ難しいのでここではなんともいえませんが、
ただ長生きをしたいだけならば、
日本は長寿大国なので世界の中では恵まれているのかもしれません。
しかしながらときどき書いているように、
我々介護施設が家族と本人との絆を断ち切っている
場合も少なくありません。
そういう意味では長生きの手助けはできていても、
そこで生きている方が本当の意味で、
充実した人生を生きているのかどうかはわかりません。
施設にいたら家族の負担は少なくなるし、
3食しっかり食べられるし、
排泄の世話も入浴もすべてやってくれて清潔でいられます。
服薬の管理もしてくれます。
たぶん寿命は延びます。
で、どうしたいの?
…厳しい話ですが、
どうしたいのかは本当に重要です。
本当は施設にいることが目的ではなかったはずなのに、
施設にいて長生きしていることが、
いつのまにか目的になってしまっています。
もう高齢者だから無理はしなくていい?
人のお世話になっても、
ただ長く生きていてたまに家族に顔を見せてくれればそれでいい?
家族は、たぶんそうでしょう。
でも本人は?
本当にそれでいいと思っているんでしょうか。
うちの施設ではほとんどの方が認知症なので、
そういうことも本人からうまく聞き取ることはできません。
本当は誰もが心の中に、
俺は、私はこう生きたい。
そしてこんなふうに死にたい。
そんな願いを持っていたはずです。
施設に入ったらそれも消えてしまうなんてどうかしている。
生きるだけ生きたら、
死んだっていい。
我々介護職が本当にすべきことは、
どんなふうに生きて、
どんなふうに後悔なく死ぬかの支援です。
死ということだけを遠ざけてばかりいたら、
本当の意味で高齢者と向き合うことはできない。
そして死と向き合うから、
生きる喜びも見つけられるのだと思います。