手術から5年がたちましたので、令和元年7月22日月曜日に書いた内容を現在の表現を用いて再度投稿します。
おはようございます…念願のこの日がやって来た「原発性リンパ浮腫」の手術です。
前回の入院時に原因不明の高熱(急性気管支炎)により手術が中止延期になってから
ちょうど1ヶ月…この日がやって来ました。ちなみに今日の予定としては下記の通りとなる模様です。
朝の6時過ぎから腸管内洗浄処置として浣腸をしますがその前にバイタルサインチェックとして血圧測定を行いました。
流石に手術前なのかもしれませんが血圧がとても高い状態(最高血圧が130と言う数値)でした。普段から私は便秘症気味なので市販の浣腸をしますが病院でされるのは幼稚園の頃以来でした。ちなみにその時は高圧浣腸でしたが今回はGE120かな?と期待していましたが現実はGE60でした。基本的に大人の場合は120~150ml.と書いてあったのですが実際は私が普段している40の1.5倍の量の60mlのものでした。
参考画像、医療用のディスポ浣腸
ほんの少し前までこの病院でも120ml.を用いてたそうですが同院の看護規定が改訂され「消化器手術」以外は基本的に60ml.で充分」となったそうです普段の私なら5分間の我慢も出来ずに即刻トイレに直行するのですが、今回はベッドの角度もあり楽々5分間我慢出来ました。実際のところベッドをフラットにしないでも左側臥位が取れれば、
ベッドの角度は問わないみたいでした。
また昔は浣腸は40℃のお湯で暖めてから注入となっていましたが常温でそのまま注入可となっている様でした。
この時に看護師さんから何故か「眠れて無い様ですね」と言われました。確かに寝れてません、それもここ1週間程浅い眠りの日が多くて体がボロボロになってました。
普段はお気に入りの寝間着を着て眠りますが流石にそれを病院には持ってこれないのと、慣れない環境下(極端に寒い冷房)で緊張感はMAX状態でした。
浣腸排泄が済むと手術前最期の入浴がありました。本来なら昨日で終了なのですが、私の場合は毎朝熱いお湯で洗髪をするのがルーティングといて後からイライラとストレスが溜まってしまいます。それを防止する為の措置で病棟側に相談して特別に許可を頂きました。
そして…身体を念入りに洗浄した後に口腔ケアを行いながら洗濯をした後に病室で火照った身体を冷やしていたら、看護師さんが訪室されて、浣腸施行後の排便の確認をされました。
それと同時に左腕の点滴ルート確保をされました。
普段から血管が受け出てこないのが普通なのに今回は素直にルート確保が出来ました。
実際の点滴です。
素直にルートが取れた私の腕
そのあと看護師さんの方から「もう手術着に着替えますか?」と聞かれたので手術着に着替えたい旨を伝えると看護師が薄い木綿系の生地で作られた薄紫色の手術着持って来られました。
ちなみにこの度の患者様用の手術着はナガイレーベン製の術前術後衣「PC-366」の特注カラーと分かったのがこの手術からしばらく経過した後の話となりますがここでは省略とさせて頂きます。
通常の手術ではこの時に脚に履くストッキングと、頭に被るヘアーキャップが同時に届くはずなのにここの病院の場合ヘアーキャップは手術室に入ってからになるので
ここで着用しないとの事でした。
それに弾性ストッキングについては私の手術箇所が両下肢なので対象外とのこと。
と言う訳でそれなりの雰囲気を味わうために自前の不織布キャップを着用して写真撮影をしました。
手術着を着たわたし、まさに「関取」状態。
ブルーの不織布キャップ(非医療用)
グリーンのキャップ(一応医療用)
リブドゥのHC-10B(このヘアキャップは同病院で女性医師が着用する物でした)
実際に点滴と一緒に撮影した写真です。
同じシチュエーションの画像(ブルー)
同じシチュエーションの(グリーン)
因みに実際に写真を撮影してみた感想は、体型が関取みたいな感じなので相撲部屋から出てきた関取の貫禄や「妊娠何ヵ月?」と言ったところでした。
今の体型も当時と変わらないような気がしますが
今は手術室からの呼び出しを待っている状況です。ただ点滴をしていても唇は乾きます。私は唇がカサカサになるのが嫌なので、白色ワセリンを患部に塗布しながら
呼び出しが来るのを待つ事にしました。
それから…午後12時40分に病室から手術室に向けて独歩で出発しました。本当なら自前の杖を突きながら手術室に向かう予定でしたが、手術室入室前から輸液を始めていたので点滴棒を杖の代わりにしたので杖を持って行かなくて済みました。
午後12時50分に手術エリア入口前に到着。専用のIDカードを操作して中に入ると少し広めな空間になっていてそこには1台のPCが置いてありました。このPCは今日これから私の手術が行われる部屋を案内するためだけモノで私の腕につけていたリストバンドのバーコードを読み取らせて出た番号の部屋へ進むことになりました。
予定手術室の確認…そして奥の手術ホールへ。因みにこの中はとても寒く自前のカーディガン着用してないと凍えるほど…
部屋確認用のモニター画面に記された一番左奥の③へ向かい手術室の入口前でサイン&タイムアウトを行って確認をしたのちにお待ちかねのヘアーキャップを貰いグリーンのキャップを被る。看護師が被せようとしたが私が自分で着用し看護師の申し送りの後、手術室へ入室する。
この時に事前に聞いていたのはホギメディカルのブルーだったのが実際にはグリーンのキャップ。
(画像は現物、少し白ぽく見えますがカラーはグリーンです)
私の憧れのキャップに出逢えて嬉しかったです。
(メーカは違いますが同じ様な物でイメージ)
手術室に入って部屋の真ん中に私が手術を受ける為の手術台があり上にはスポンジが敷かれていました。ソフトナースという褥瘡防止用のクッション材で今回使用されていたイエローピンクは1セット¥75,000円くらいするもの。
頭側にはクッションマスクが置いてありチムニーフックの色から大人用中サイズと思われるマスクでした。
看護師から手術台の上に座るように促されて手術台の上に座ってから着用してきた
カーディガンを脱いでスリッパを脱ぎました。そして手術台の上に仰臥位で横になりました。
流石に私の肩幅ギリギリのサイズで腕が手術台から落ちそうになるも、看護師や麻酔科医師が空かさず左右の腕置きに固定左手の人差し指と中指に酸素飽和量計るセンサーを取り付けていき、右肩には血圧計測のマンシェットを巻き着けていきました。額には麻酔深度を計る脳波計を貼り付け、胸には心電図を付けました。
頭元にに麻酔科医師がおられて自己紹介をされるも「あなた、どなた?」と言う感じでした。
入室前に当日の麻酔科責任医師にお会いした際に前回の手術の時に担当する予定だった助教授との事で、先日のお詫びを申し上げましたところ助教授さんからも「あれなんだったんだろう?」と言われてしまいました。
それプラス前回の麻酔同意書と手術同意書を持って来られて今回は日付を変更してこれを
有効としますと言われました。
さて…手術台に安置された所で私が一番楽しみにしていた麻酔導入が始まりましたいきなりではないですが口許に先程のマスクを置かれて、「酸素のマスクです。ゆっくり呼吸して下さい」と言われました。口許にマスクを当てられた時に麻酔科医師に私が、「マスク小さくないですか?もうひとつ大きい方が良かったのではないですか」と訪ねると、このサイズで良い事と言われました。でも私的には少し小さかったですけどね。それでも私はてっきりガス導入と思って
いたので少なめに呼吸しました。しかし実際には唇に冷たい酸素軽くが当たる程度でした。
(イメージ画像)
何故かその時私は「耳がキャップからでている」と言い続けました。何らかの処置をされる度にキャップのゴム部から耳が外れた感覚が強く、その度に自力で直そうとしても手術台に安置抑制されているので身動きがとれず些細なことながらイライラ感が増しました。
(参考資料)
そのあと、何故か背中から身体が崩れ落ちていく様な感覚に陥りました。麻酔科医師に訪ねると麻酔薬を注入していると言われました。するとどんどんゆっくりのスピードで崩れ落ちる感覚、ど真ん中の私。まるでFFのボスキャラを倒した時の印象に相成りました。
(ケフカもこんな感じだったのかな?と思いつつ…)そのまま意識並びに感覚はホワイトアウトしていきました。最終的には顔のところまで靄(かすみ)がかかり見えなくなってしまいました。
先程の麻酔導入のホワイトアウトからすぐの感覚でした。崩れ落ちていった私の身体が手術台の上に着地していました。寒気と言うよりは尿道の違和感と、猛烈な痰と吐気で目を覚ましました。
既に気管内チューブは抜去された後で口許にには酸素マスクをされてました。
(麻酔導入時のクッションマスクではなくてシリコン製の酸素マスクでした)
(参考画像 シリコンマスク)
手術台の上のワタシは全裸の状態で頭にはグリーンのキャップ、口許にシリコンマスク、
尿道には留意カテーテル、お腹には何らかのパック(最初電気メスの対極板と思ったが見てみたらドレーンパックだった)そして左足には何もない感覚(包帯されていない感覚)でしたが、右足の感覚がとても変?何かに包まれている感覚。掛けものがされて私からは見えない状態に。
そして襲って来る胃酸の逆流、麻酔科医師に、「あれだけ胃管挿入したままにしてね」と
お願いしたのにも関わらず、「あれは手術中だけで手術終了と共に抜去するもの」と言われてショックでした。私の場合胃酸過多(逆流性食道炎持ち)なので帰室後もずっと挿入したままにして欲しかったと訴えましたが聞き入れて貰えませんでした。どうも私の入院している病棟が内科系なのも原因だった様です。
そして強烈な寒気(悪寒)が襲って来て思わず「寒い」と言ってしまいました。直ぐ様布団乾燥機の様な器具を用いて私の身体を暖めて貰えましたがこの器具手術室で勤務する職員からは大不評の様です。何故なら一気に気温が跳ね上がり手術室スタッフの労働環境を悪化してしまうのです。
頭は動けたので頭を挙げて回りを見てみると手術室入室時にあった大型の機材(手術用の顕微鏡等)が無くなっていました。手術室看護師に聞くと手術終了時に全て片付けたとの事。
そして手術室入口の左上には「薬物アレルギー」と「食品アレルギー」のプレートが貼られてありました。これは私の抗生剤アレルギー(セフゾン系使用不可)と卵牛乳アレルギーを示したものだと解りました。
その後、私が安置されている手術台の右横に病室のベッドがやって来ました。ベッドの上にはワタシが手術前に着ていた術前術後衣が広げられておりました。そして私が移乗されるのを待っている感じでした。
私思わす「私重いのに…ごめんなさい」と言ってしまいましたがこの事は関係なくてスライドボードを用いて移乗してもらえました。でも何故か直ぐに病棟に帰ろうとしないので何で?と思っていたら麻酔科の医師から言われたのが「この手術室がはリカバリールームを兼ねており、ワタシの意識が完全に回復し安定するまでは退室出来ない様になっている」と説明されました。病室のベッドに移されてすぐにバイタルサイン計測器を携帯用に切り替え、酸素マスクの接続を手術室の中央配管からボンベに切り替えて病棟帰室準備完了しても何故か出発しない。
麻酔科医師に尋ねたら、「手術室看護師と病棟看護師が申し送りをしていてそれが終わったら出発出来る」との事。
そのあと15分位経ってからやっと手術室をあとした私、手術部ホール内の寒さで震えが
止まらなくなりました。どこぞやの隠居が喜びそうな気温でしたが私にはとても寒く感じました。
ただでさえ超が付くほどの寒がりな私、愛車の中でさえも夏の日に平気で30度設定で過ごす程の私。体型がおデブさんでも関係なし、普通はおデブさんは暑がりで涼しい所が大好きで高血圧症持ちが殆どなのに対して、私は全く真逆の人なのです。つまり低血圧気味でもあり超寒がりなのです。
それはさておき、手術室ホールから手術部入口手前で病棟担当医を待つ事に。主治医と看護師が一緒に病室まで連れて行くとの事でした。ここで私にとっての問題が発生しました。
頭に被っていたキャップをここで脱いで退出すると言われたのです。本来はそれで良いのでしょうが、その時の私は強烈な寒気の為に脱ぎたくない思いだったのでそれを頑なに拒否しました。病棟主治医からはキャップ着用のまま帰棟可という判断をしてくださったのでそのまま病棟へ帰りましたエレベーターに乗り病棟へ行き家族の待つ病室まで帰り着きました。
母と弟が手術終了迄待っていてくれてました。主治医からの説明を聞き少しホッとした様子
に見れました。母からは少し寝なさいと言われましたが眠れない人にどうやって眠れと言うの
と思ったこの時に左膝に激痛が走りました。膝の手術した筈の無いのにと思っていたら、左膝部分のリンパ管吻合手術しておりその痛みが半月板の痛みと相成って感じた様でした。
流石に痛がる私に看護師から主治医の指示でと左肩に鎮痛剤の筋肉注射を行われました。
直ぐに痛みが消えて眠ってしまいました。看護師さんがすかさず酸素の値が良いのでマスクを取ろうとしましたが口許が寒いと言って拒否しました。
そうしたら酸素は流さずにマスクだけ着けて置いて貰える事になりました。この時点ではまだ家族が帰っていない為にキャップを取るのも頑なに拒んでおりました。何故ならこの時の様子を写真に納めておきたかったからです。確かに寒気は有りましたがワタシは医療マニアをでもあるので自分の姿を写真に納めたいと言う思いに駈られました。
伊達な知識は持っておりませんので…。その後家族が帰っていったのを確認し看護師さんにスマホをとって貰いこの記録を書いているのです。
写真は手術室から病室に帰室直後の私です。
本来ならワタシが被っているキャップは手術部入口で外して病棟へ帰室するのが決まりだそうですが私は頑なに拒否しました。そして明日の朝本来の病棟である「7階東病棟」に移る事が発表されました。朝食後になる様ですが嬉しいやら悲しいやら。
そして午前3時現在の様子です。
マスクの中は口腔内分泌液ですぐに一杯になり溜まったら自力でティッシュ用いて除去して
いきます。今のところ足は動かせますが左足は動くものの右足は全く動きません。左頸骨開放複雑骨折をして以来右足には相当無理を強いて来ました。「今まで本当にありがとう、これからも宜しくね」と心の中で感謝を言いつつも動かなくなってしまった右足を撫でてあげたいです。
(手術直後は全く動けなかったので翌日ベッドをギャッジアップしてから擦りました)
看護師さんに右足の今の状態について尋ねたところ、「右足の包帯は足首から足先迄にある」との事。
今は只ゆっくり余生を過ごして欲しいです。(って切断しません。多分…)因みに今回の麻痺の原因は2つあり、まず一つ目はリンパ管移植の為に採取した部位の神経と筋繊維を傷付けてしまった事とこの後に判明する脊髄空洞症の胸椎転移が原因でした。
私の左側には点滴のルートがあり輸液ポンプを用いて1000CC輸液を行っております。尿道には留置カテーテルが挿入されていますが感覚的に痛いと感じておりましたがその後痛みより痒みに変わりました。よく闘病記等では何も感じず尿意が無くなったとありますが私の場合は尿意があり腹圧を掛けたら尿が排出されるようでした。
あとは時間が薬なのでゆっくりします。
長々と書きましたが当時のブログ内容を一部改変したものにしてみました。文章の訂正などをしていたら3日もかかってしまい結局手術から丁度5年を経過するこの13時に投稿する事が出来ました。
リンパ浮腫の手術はこれで終わりではありません、再発したり症状が悪化したら再手術と言うのが待っています。私的には再手術は大いに期待しております。だって手術室が好きな空間なのですから。
では以上で私の手術後5年目の記念投稿を終わります。