手術から5年がたちましたので、令和元年7月22日月曜日に書いた内容を現在の表現を用いて再度投稿します。

 

おはようございます…念願のこの日がやって来た「原発性リンパ浮腫」の手術です。

 

前回の入院時に原因不明の高熱(急性気管支炎)により手術が中止延期になってから

ちょうど1ヶ月…この日がやって来ました。ちなみに今日の予定としては下記の通りとなる模様です。

 

朝の6時過ぎから腸管内洗浄処置として浣腸をしますがその前にバイタルサインチェックとして血圧測定を行いました。

 

流石に手術前なのかもしれませんが血圧がとても高い状態(最高血圧が130と言う数値)でした。普段から私は便秘症気味なので市販の浣腸をしますが病院でされるのは幼稚園の頃以来でした。ちなみにその時は高圧浣腸でしたが今回はGE120かな?と期待していましたが現実はGE60でした。基本的に大人の場合は120~150ml.と書いてあったのですが実際は私が普段している40の1.5倍の量の60mlのものでした。

参考画像、医療用のディスポ浣腸

 

ほんの少し前までこの病院でも120ml.を用いてたそうですが同院の看護規定が改訂され「消化器手術」以外は基本的に60ml.で充分」となったそうです普段の私なら5分間の我慢も出来ずに即刻トイレに直行するのですが、今回はベッドの角度もあり楽々5分間我慢出来ました。実際のところベッドをフラットにしないでも左側臥位が取れれば、

ベッドの角度は問わないみたいでした。

 

また昔は浣腸は40℃のお湯で暖めてから注入となっていましたが常温でそのまま注入可となっている様でした。

 

この時に看護師さんから何故か「眠れて無い様ですね」と言われました。確かに寝れてません、それもここ1週間程浅い眠りの日が多くて体がボロボロになってました。

 

普段はお気に入りの寝間着を着て眠りますが流石にそれを病院には持ってこれないのと、慣れない環境下(極端に寒い冷房)で緊張感はMAX状態でした。

 

浣腸排泄が済むと手術前最期の入浴がありました。本来なら昨日で終了なのですが、私の場合は毎朝熱いお湯で洗髪をするのがルーティングといて後からイライラとストレスが溜まってしまいます。それを防止する為の措置で病棟側に相談して特別に許可を頂きました。

 

そして…身体を念入りに洗浄した後に口腔ケアを行いながら洗濯をした後に病室で火照った身体を冷やしていたら、看護師さんが訪室されて、浣腸施行後の排便の確認をされました。

 

それと同時に左腕の点滴ルート確保をされました。

普段から血管が受け出てこないのが普通なのに今回は素直にルート確保が出来ました。

実際の点滴です。

素直にルートが取れた私の腕

 

そのあと看護師さんの方から「もう手術着に着替えますか?」と聞かれたので手術着に着替えたい旨を伝えると看護師が薄い木綿系の生地で作られた薄紫色の手術着持って来られました。

 

ちなみにこの度の患者様用の手術着はナガイレーベン製の術前術後衣「PC-366」の特注カラーと分かったのがこの手術からしばらく経過した後の話となりますがここでは省略とさせて頂きます。

 

通常の手術ではこの時に脚に履くストッキングと、頭に被るヘアーキャップが同時に届くはずなのにここの病院の場合ヘアーキャップは手術室に入ってからになるので

ここで着用しないとの事でした。

 

それに弾性ストッキングについては私の手術箇所が両下肢なので対象外とのこと。

 

と言う訳でそれなりの雰囲気を味わうために自前の不織布キャップを着用して写真撮影をしました。

手術着を着たわたし、まさに「関取」状態。

ブルーの不織布キャップ(非医療用)

グリーンのキャップ(一応医療用)

リブドゥのHC-10B(このヘアキャップは同病院で女性医師が着用する物でした)

実際に点滴と一緒に撮影した写真です。

同じシチュエーションの画像(ブルー)

同じシチュエーションの(グリーン)

 

因みに実際に写真を撮影してみた感想はニヤリ、体型が関取みたいな感じなので相撲部屋から出てきた関取の貫禄や「妊娠何ヵ月?」と言ったところでした。

 

今の体型も当時と変わらないような気がしますが滝汗

 

今は手術室からの呼び出しを待っている状況です。ただ点滴をしていても唇は乾きます。私は唇がカサカサになるのが嫌なので、白色ワセリンを患部に塗布しながら

呼び出しが来るのを待つ事にしました。

 

それから…午後12時40分に病室から手術室に向けて独歩で出発しました。本当なら自前の杖を突きながら手術室に向かう予定でしたが、手術室入室前から輸液を始めていたので点滴棒を杖の代わりにしたので杖を持って行かなくて済みました。

 

午後12時50分に手術エリア入口前に到着。専用のIDカードを操作して中に入ると少し広めな空間になっていてそこには1台のPCが置いてありました。このPCは今日これから私の手術が行われる部屋を案内するためだけモノで私の腕につけていたリストバンドのバーコードを読み取らせて出た番号の部屋へ進むことになりました。

 

画像加工してます

 

予定手術室の確認…そして奥の手術ホールへ。因みにこの中はとても寒く自前のカーディガン着用してないと凍えるほど…チーン

 

部屋確認用のモニター画面に記された一番左奥の③へ向かい手術室の入口前でサイン&タイムアウトを行って確認をしたのちにお待ちかねのヘアーキャップを貰いグリーンのキャップを被る。看護師が被せようとしたが私が自分で着用し看護師の申し送りの後、手術室へ入室する。

 

この時に事前に聞いていたのはホギメディカルのブルーだったのが実際にはグリーンのキャップ。

 

(画像は現物、少し白ぽく見えますがカラーはグリーンです)

 

私の憧れのキャップに出逢えて嬉しかったです。

 

(メーカは違いますが同じ様な物でイメージ)

 

手術室に入って部屋の真ん中に私が手術を受ける為の手術台があり上にはスポンジが敷かれていました。ソフトナースという褥瘡防止用のクッション材で今回使用されていたイエローピンクは1セット¥75,000円くらいするもの。

頭側にはクッションマスクが置いてありチムニーフックの色から大人用中サイズと思われるマスクでした。

看護師から手術台の上に座るように促されて手術台の上に座ってから着用してきた

カーディガンを脱いでスリッパを脱ぎました。そして手術台の上に仰臥位で横になりました。

 

流石に私の肩幅ギリギリのサイズで腕が手術台から落ちそうになるも、看護師や麻酔科医師が空かさず左右の腕置きに固定左手の人差し指と中指に酸素飽和量計るセンサーを取り付けていき、右肩には血圧計測のマンシェットを巻き着けていきました。額には麻酔深度を計る脳波計を貼り付け、胸には心電図を付けました。

 

頭元にに麻酔科医師がおられて自己紹介をされるも「あなた、どなた?」と言う感じでした。

入室前に当日の麻酔科責任医師にお会いした際に前回の手術の時に担当する予定だった助教授との事で、先日のお詫びを申し上げましたところ助教授さんからも「あれなんだったんだろう?」と言われてしまいました。

 

それプラス前回の麻酔同意書と手術同意書を持って来られて今回は日付を変更してこれを

有効としますと言われました。

 

さて…手術台に安置された所で私が一番楽しみにしていた麻酔導入が始まりましたいきなりではないですが口許に先程のマスクを置かれて、「酸素のマスクです。ゆっくり呼吸して下さい」と言われました。口許にマスクを当てられた時に麻酔科医師に私が、「マスク小さくないですか?もうひとつ大きい方が良かったのではないですか」と訪ねると、このサイズで良い事と言われました。でも私的には少し小さかったですけどね。それでも私はてっきりガス導入と思って

いたので少なめに呼吸しました。しかし実際には唇に冷たい酸素軽くが当たる程度でした。

(イメージ画像)

 

何故かその時私は「耳がキャップからでている」と言い続けました。何らかの処置をされる度にキャップのゴム部から耳が外れた感覚が強く、その度に自力で直そうとしても手術台に安置抑制されているので身動きがとれず些細なことながらイライラ感が増しました。

 

(参考資料)

 

そのあと、何故か背中から身体が崩れ落ちていく様な感覚に陥りました。麻酔科医師に訪ねると麻酔薬を注入していると言われました。するとどんどんゆっくりのスピードで崩れ落ちる感覚、ど真ん中の私。まるでFFのボスキャラを倒した時の印象に相成りました。

 

(ケフカもこんな感じだったのかな?と思いつつ…)そのまま意識並びに感覚はホワイトアウトしていきました。最終的には顔のところまで靄(かすみ)がかかり見えなくなってしまいました。

 

先程の麻酔導入のホワイトアウトからすぐの感覚でした。崩れ落ちていった私の身体が手術台の上に着地していました。寒気と言うよりは尿道の違和感と、猛烈な痰と吐気で目を覚ましました。

 

既に気管内チューブは抜去された後で口許にには酸素マスクをされてました。

 

(麻酔導入時のクッションマスクではなくてシリコン製の酸素マスクでした)

(参考画像 シリコンマスク)

 

手術台の上のワタシは全裸の状態で頭にはグリーンのキャップ、口許にシリコンマスク、

尿道には留意カテーテル、お腹には何らかのパック(最初電気メスの対極板と思ったが見てみたらドレーンパックだった)そして左足には何もない感覚(包帯されていない感覚)でしたが、右足の感覚がとても変?何かに包まれている感覚。掛けものがされて私からは見えない状態に。

 

そして襲って来る胃酸の逆流、麻酔科医師に、「あれだけ胃管挿入したままにしてね」と

お願いしたのにも関わらず、「あれは手術中だけで手術終了と共に抜去するもの」と言われてショックでした。私の場合胃酸過多(逆流性食道炎持ち)なので帰室後もずっと挿入したままにして欲しかったと訴えましたが聞き入れて貰えませんでした。どうも私の入院している病棟が内科系なのも原因だった様です。

 

そして強烈な寒気(悪寒)が襲って来て思わず「寒い」と言ってしまいました。直ぐ様布団乾燥機の様な器具を用いて私の身体を暖めて貰えましたがこの器具手術室で勤務する職員からは大不評の様です。何故なら一気に気温が跳ね上がり手術室スタッフの労働環境を悪化してしまうのです。

 

頭は動けたので頭を挙げて回りを見てみると手術室入室時にあった大型の機材(手術用の顕微鏡等)が無くなっていました。手術室看護師に聞くと手術終了時に全て片付けたとの事。

 

そして手術室入口の左上には「薬物アレルギー」と「食品アレルギー」のプレートが貼られてありました。これは私の抗生剤アレルギー(セフゾン系使用不可)と卵牛乳アレルギーを示したものだと解りました。

 

その後、私が安置されている手術台の右横に病室のベッドがやって来ました。ベッドの上にはワタシが手術前に着ていた術前術後衣が広げられておりました。そして私が移乗されるのを待っている感じでした。

 

私思わす「私重いのに…ごめんなさい」と言ってしまいましたがこの事は関係なくてスライドボードを用いて移乗してもらえました。でも何故か直ぐに病棟に帰ろうとしないので何で?と思っていたら麻酔科の医師から言われたのが「この手術室がはリカバリールームを兼ねており、ワタシの意識が完全に回復し安定するまでは退室出来ない様になっている」と説明されました。病室のベッドに移されてすぐにバイタルサイン計測器を携帯用に切り替え、酸素マスクの接続を手術室の中央配管からボンベに切り替えて病棟帰室準備完了しても何故か出発しない。

 

麻酔科医師に尋ねたら、「手術室看護師と病棟看護師が申し送りをしていてそれが終わったら出発出来る」との事。

 

そのあと15分位経ってからやっと手術室をあとした私、手術部ホール内の寒さで震えが

止まらなくなりました。どこぞやの隠居が喜びそうな気温でしたが私にはとても寒く感じました。

 

ただでさえ超が付くほどの寒がりな私、愛車の中でさえも夏の日に平気で30度設定で過ごす程の私。体型がおデブさんでも関係なし、普通はおデブさんは暑がりで涼しい所が大好きで高血圧症持ちが殆どなのに対して、私は全く真逆の人なのです。つまり低血圧気味でもあり超寒がりなのです。

 

それはさておき、手術室ホールから手術部入口手前で病棟担当医を待つ事に。主治医と看護師が一緒に病室まで連れて行くとの事でした。ここで私にとっての問題が発生しました。

 

頭に被っていたキャップをここで脱いで退出すると言われたのです。本来はそれで良いのでしょうが、その時の私は強烈な寒気の為に脱ぎたくない思いだったのでそれを頑なに拒否しました。病棟主治医からはキャップ着用のまま帰棟可という判断をしてくださったのでそのまま病棟へ帰りましたエレベーターに乗り病棟へ行き家族の待つ病室まで帰り着きました。

 

母と弟が手術終了迄待っていてくれてました。主治医からの説明を聞き少しホッとした様子

に見れました。母からは少し寝なさいと言われましたが眠れない人にどうやって眠れと言うの

と思ったこの時に左膝に激痛が走りました。膝の手術した筈の無いのにと思っていたら、左膝部分のリンパ管吻合手術しておりその痛みが半月板の痛みと相成って感じた様でした。

 

流石に痛がる私に看護師から主治医の指示でと左肩に鎮痛剤の筋肉注射を行われました。

直ぐに痛みが消えて眠ってしまいました。看護師さんがすかさず酸素の値が良いのでマスクを取ろうとしましたが口許が寒いと言って拒否しました。

 

そうしたら酸素は流さずにマスクだけ着けて置いて貰える事になりました。この時点ではまだ家族が帰っていない為にキャップを取るのも頑なに拒んでおりました。何故ならこの時の様子を写真に納めておきたかったからです。確かに寒気は有りましたがワタシは医療マニアをでもあるので自分の姿を写真に納めたいと言う思いに駈られました。

 

伊達な知識は持っておりませんので…。その後家族が帰っていったのを確認し看護師さんにスマホをとって貰いこの記録を書いているのです。

写真は手術室から病室に帰室直後の私です。

 

本来ならワタシが被っているキャップは手術部入口で外して病棟へ帰室するのが決まりだそうですが私は頑なに拒否しました。そして明日の朝本来の病棟である「7階東病棟」に移る事が発表されました。朝食後になる様ですが嬉しいやら悲しいやら。

そして午前3時現在の様子です。

 

マスクの中は口腔内分泌液ですぐに一杯になり溜まったら自力でティッシュ用いて除去して

いきます。今のところ足は動かせますが左足は動くものの右足は全く動きません。左頸骨開放複雑骨折をして以来右足には相当無理を強いて来ました。「今まで本当にありがとう、これからも宜しくね」と心の中で感謝を言いつつも動かなくなってしまった右足を撫でてあげたいです。

 

(手術直後は全く動けなかったので翌日ベッドをギャッジアップしてから擦りました)

 

看護師さんに右足の今の状態について尋ねたところ、「右足の包帯は足首から足先迄にある」との事。

 

今は只ゆっくり余生を過ごして欲しいです。(って切断しません。多分…)因みに今回の麻痺の原因は2つあり、まず一つ目はリンパ管移植の為に採取した部位の神経と筋繊維を傷付けてしまった事とこの後に判明する脊髄空洞症の胸椎転移が原因でした。

 

私の左側には点滴のルートがあり輸液ポンプを用いて1000CC輸液を行っております。尿道には留置カテーテルが挿入されていますが感覚的に痛いと感じておりましたがその後痛みより痒みに変わりました。よく闘病記等では何も感じず尿意が無くなったとありますが私の場合は尿意があり腹圧を掛けたら尿が排出されるようでした。

 

あとは時間が薬なのでゆっくりします。

 

長々と書きましたが当時のブログ内容を一部改変したものにしてみました。文章の訂正などをしていたら3日もかかってしまい結局手術から丁度5年を経過するこの13時に投稿する事が出来ました。

 

リンパ浮腫の手術はこれで終わりではありません、再発したり症状が悪化したら再手術と言うのが待っています。私的には再手術は大いに期待しております。だって手術室が好きな空間なのですから。

 

では以上で私の手術後5年目の記念投稿を終わります。

今日で入院から5年が経ちますが…

 

こんばんは、今日も今日とて夜勤です。おやつの食べ過ぎによりおなか周りが出過ぎてしまい久しぶりに履いたおむつが履けなくて絶望しております。

 

今回は今から5年前の2019年(平成31年・令和元年)の時の話を懐かしみながらしたいと思います。

 

今から5年前の3月に人事異動により2カ月間福岡県飯塚市にある関連会社へ出向していた時のお話に遡るのですが、ある日入居者様が強制執行により退去された居室の片づけをした後から私の体に異変が起きました。退勤時間が近づくにつれて強烈な悪寒と発熱感、それにめまいがし始めたのです。何とかその日の業務を終わらせて帰宅の途につこうとしたら道中運転できないくらいの倦怠感に襲われてしまいそのままゲロー

 

這う這うの体で帰宅して体温計測したらまさかの「40°」超えで翌日出向先に欠勤の連絡してかかりつけ医に行ったら「蜂窩織炎の発作」と言われそのまま掛かり付けの皮膚科の有る市民病院へ行きそのまま入院しました。これが原因で私の出向期間が1カ月延長になったのは言うまでもないのですが…チーン

 

ここからは過去ブログのこちらをご覧ください。

この話をするがために書いてはおりません。

 

そして明日7月21日 日曜日は奇しくも5年前と全く同じ曜日だったりするのです。

下関から新幹線で広島に向かい病院に到着。本来なら手術1週間前に術前検査をしておかないといけないのですが私の場合は1カ月前に全て終わらせていたので何もない状態でした。ただ…滝汗就寝前のICGがある事を知らされてなかったので夜病棟で大号泣してました(足の先に駐車をすることがあんなにも痛いなんて聞いてない笑い泣き)。

 

麻酔かからは前回の申込書に訂正印を入れて再提出することになり書類面でもスムーズに済ませることが出来ました。

 

痛いながらも明日の手術当日をとても楽しみにしていた自分がそこにいました。

 

 

 

寒い部屋だから…


そう言えばスマホがAQUOSR9に機種変更してから初めてのブログ更新になるのだなとしみじみしております。


キーボードの使い方が少し変わったので入力ミスが増えたのかなと思っております。


A.I.が発達しているのである程度考えてくれて入力学割楽な面もあったりするので、楽にブログ書けるなぁと感慨にふけております。


寒い部屋だから…という事で今日のハナシは5年前の手術の話でもしましょうかと思っております。


私の中で冷蔵庫と言えば病院の手術室のイメージしかなかったのですが、3年前から我が部屋にエアコンを設置して以来自室もエアコンの気温設定をMAXに下げて一度だけその中で寝てみましたが…ガーン寒さ🥶と言うより凍えて動けなくなりもう少しで冷凍呶呶(トド🦭)になりかけました。


おデブな体型なのにこの私はとてつもなく寒がりなのです。血圧もとっても低いのでこの年で未だに降圧剤なんて飲んだ事も有りません。飲んでいるのは慢性疼痛用の鎮静剤と下剤くらいなものです。


それに冷房の効いた自室で寝る際には裏地がパイル生地(要はタオル)の寝間着とふかふかの紙おむつを履いて寝ていないと寒さで電気毛布を使うという地球とお財布に優しくないコトをしてしまうのです。


最近は頭にヘアネットをしなくなってますが単に着けて寝るのを忘れているだけなのですが、最近の闘病モノのインスタグラム等を観ていたら…ヘアネットどこで着けてるの?と思ったりしています。


現状としては手術室に入ってから出てくる迄の間だけらしいですが、どうもキャップ無しで手術を受けるケースが増えつつあるみたいです。


手術野に汚染が拡がらない様にするため、頭髪が落ちないようにするのに使うのが、三角巾から始まり現状の不織布のキャップに至っておりますがこれが無くなりつある様です。


最近…ある方のインスタグラムをフォローしているのですが矢鱈と私の寝間着の色違い姿の写真がいっぱい出てくるのです。


闘病記モノで毎回毎回冷蔵庫行きの時の画像を上げる人ってワタシらの界隈のヒトかいな🤔と思ったりしてます。


退院したらその足で浦安の斎場の対岸にあるネズミの国に行くって言ってましたけど…びっくりそのまま…ウチの案件である浦安市斎場に直行させようかムキーそして夜半の煙にしてお帰り願いましょうかと思ったりしています。


そんなら寝間着姿プラスヘアネット着用姿があればとてもワタシ好みなのですがねぇと思ったりしてます。


ですが一つ問題が有りまして…私と30歳が離れてるんですガーンゲロー滝汗因みに小料理屋🍆の店主であるともみさんでさえ私と15歳違うんです(えっ…ミルミルのともみさんとはって🤔…17歳か😮‍💨


寂しくなるからやめます…って義務教育期間中の女性でここまでインスタグラムを操れるって…ギフテッドって言ってたっけキョロキョロそれかパラサイト・イヴ的なミトコンドリアの暴走なのか🤔。


寒い部屋だから…身体が硬直する前にお外に出ました。地元の災害メールが入って来たので確認に…お外に出ると勤務先は晴れてます。


ともみさんは腫れてます(怒られるよムキー)


このブログ見てないよねぇ…そのうちライフルで狙われたりして…俺の後ろに立つなbyゴルゴ13。


おっ…誰か来たようだ。


食べるのやめました。

昨日の肝臓内科受診前の栄養指導の際に言われたことそれは、「摂取カロリーの超過」と「禁止されていた筈の油脂の摂取」が原因で体重増加をしていると外の廊下まで響く雷⚡️を落とされました。

で原因は私のアマエと怠慢が原因でした。

そこで再度食事制限が言い渡されました。その内容は下記の通り。
①揚物料理は一切禁止
②肉類摂取の禁止(牛肉、豚肉、鶏肉を含んだ全ての肉類)
③魚類の摂取の自粛(鯖鰤は絶対禁止、青魚全般不可、白身魚も出来るだけ食べない様に)
④間食摂取の禁止(ハッピーターン禁止、煎餅類も不可)
⑤調理時の油脂の使用禁止(オリーブ、胡麻も今回から使用不可)
⑥糖質が多く混入した飲料の摂取禁止(スポドリは厳禁というより私が飲めないゲロー)
⑦だんご🍡は糖質の塊なので摂取禁止❗️(食事のお供なんてもってのほか)
⑧お好み焼きの禁止(大阪系広島系問わず、小麦粉と肉類でアウト❗️野菜だけでもソースが糖質なので禁止)
⑨寿司🍣系食品は禁止(寿司酢が糖質の塊、魚使用禁止、ちらし寿司も不可)
⑩おむすび🍙は自粛(梅おむすび🍙は1個でも多すぎる)
⑪野菜、蒟蒻は摂取可ではあるが、油で炒めたものと根菜類は禁止
⑫豆腐系納豆系食品は油脂制限に抵触するので出来るだけ取らない様に
⑬乳製品(牛乳、チーズ、ヨーグルト)の摂取禁止、油脂と糖質の制限に抵触
⑭調理方法は生(サラダ)、蒸し、素焼のみで煮るは不可(万が一煮る場合は砂糖等の糖質を一切使用しない❗️)
⑮外食の禁止(食べれるものが行く意味がないので)
⑯仕出し料理は食べないで❗️カロリー制限に抵触)
⑰飲み会🍻の参加は禁止(アルコールは糖質制限に掛かるのでダメ❗️)
⑱アルコールの摂取禁止(糖質制限に抵触)
⑲夜勤の際にガムをお薦めされたが社内規定で不可(人工甘味料自体が不可)
⑳水分補給は水、緑茶、麦茶、コーヒー、炭酸水のみ(糖類不使用品のみ可)
❶運動は歩くのみ(屈伸運動は膝に負担が有るので禁止)
❷腹筋はしてもいいけど限度なしにどうぞ
❸次回の肝臓内科受診時までに「100kg」を切る事❗️
❹ベーグル🥯の禁止(こことのは天然酵母で作成されているのでアルコール規定と糖質制限に抵触。食べる場合は単品摂取なら可)
❺アイスクリームの禁止(アイスボックスは半個まで)
❻洋菓子は全て不可(糖質の塊)
❼スタバではコールドブリューコーヒーのみ可
❽和菓子は出来るだけ食べないで❗️
❾カレーライスやハッシュドビーフ、シチューは禁止(油脂の塊と糖質制限)のまま
❿小麦粉を使用した食品の制限(菓子パン厳禁、クッキー類不可、食パン🍞は6枚切で1枚と半分まで。うどんは1/4まで、素麺も同様)
Ⅰ、飴類は厳禁(人工甘味料も不可)
Ⅱ、ブドウ糖液糖を使用した飲料の摂取禁止(つまりジュース全般)
Ⅲ、御飯については茶碗半分まで、おむすびも半分まで
Ⅳ、お粥は茶碗一杯までだが全粥は不可、重湯系に近いものが望ましい)
Ⅴ、梅干しには制限がないが、昔なからの製法のものに限る(安価なものは出来るだけ摂取しない様に❗️)
Ⅵ、漬け物は高菜禁止、沢庵系も出来るだけ食べないで❗️キムチは不可(と言うより嫌い)
Ⅶ、タマゴについては出来るだけ採らない様に、タマゴサンドは厳禁。
Ⅷ、マヨネーズは厳禁(そもそも食べない)
Ⅸ、カロリーメイト系の食品の摂取禁止(エンシュアも不可)
Ⅹ調理パンも摂取を控えること(野菜サンドもダメ)

まだまだ制限が多いのでここに書けませんがトータルで言うと食事の禁止を言い渡されたものなので昨日から一切の飲食店のうち食だけを止めました。

口に出来るのは常用の処方薬(疼痛緩和薬、末梢神経緩和薬、アレルギー抑制剤、下剤)と飲料水のみ。

それを来月8月6日の肝臓内科の受診日まで続けることになりました。

で今後の目標は、

⒈体重を次回の肝臓内科受診日までに「100kg」以下にする事❗️
⒉出来るだけ食事するのを避けること❗️
⒊むら食い、やけ食い、貯め食いのの禁止❗️
⒋人の誘いは徹底的に断ること❗️
⒌拒食症体質になることを目標とする事❗️

では今回何故食べることを止めたのかと言うと、私自身咀嚼して食べるのが昔から苦手と言うより嫌いなのです。良く噛んで食べれが私に取ってストレスになっていました。そのストレスが無くなるのが私にとって一番理想的なのです。

と言うことでどれだけ食を止めることが出来るのか今からスタートです。目指せ拒食症体質への変化❕異論は聞き入れませんので悪しからず。

さぁ1ヶ月後の体重は…どこまで減っているでしょうか?

ココロの疲れに


流石に45歳を越えている身で5日連続夜勤はヤバイよねゲロー遂に昨夜は午後22時頃から意識が飛んでイスタンブールしてました。


それからも…午前5時かと思い意識を取り戻す度にまだ零時とか2時(丑三つ時)だったりしたり、オンコール(😇ステリン😇製造)の受付が現実のものなのか夢の中のお話なのかの区別が付いてないとかで今でも少し頭の中がシャッキリしません笑い泣き


それに今ブログを書いているこのAndroidスマホ様も機嫌が悪い様子、いきなり画面がブラックアウトするし再起動しないしで慌てたりしました滝汗今はなんとか使えている状況です。


完全にココロが疲れていますね、ワタシを癒してくれる奥さまは未だにいません😮‍💨探す気が無いので恥ずかしながら社会の半端者扱いにされつつあります。


早くしないと…聖職者になってしまいそうなのでそろそろオネムします。 

きっかけは青い浴衣(PC-366)


先日からとあるインスタグラマーとの出逢いの切っ掛けにについてずっと考えこんでいた。


あーでも無いコーでも無いとずっと…ウインク専務からの宿題を放ったらかしながらもずっと考えていた。


どちらにしても切っ掛けはインスタグラムの投稿の写真なのだけど該当するキーワードが何かも判明せず闇雲に探していた。そしたら今朝やっと関連するキーワードが出てきたので再度検索すると…チーン出てこなかった。


そこで資料として私のインスタグラムのアカウントに保存しているフォルダ―を再度探してみたら…🤔キーワードとは異なる画像が出てきた。しかし、その画像は被写体は似ているものの検索キーワードである「術着」が異なっていた。


私が検索していたのは住商モンブラン製の「術前術後衣 79-231」で検索していたがそこにあったのはナガイレーベン製の「術前術後衣 PC-366」。

探し物として調べていたのがコチラ↑
そして実際の画像がコチラ↑

そしてそのファイルを開いてみて本文を読んでいたら…ゲッソリどこか似ている🤔…そしてアカウントを確認するためにポチっとなして出てきたのが…滝汗


これってサタン?のアカウントだよね。


そう私が初めてこのサタンさんを知ったのが実は昨年の夏だった様です。でもそこに出ていたのは幼さが抜けきっていない年相応に見える中学生がいたのです。


でもでもだって~キョロキョロいつも見ているサタンさんはとても中学生に見えない短大生(いや大概にせい)にしか見えないのよ。


そう…この写真を撮影した時に医療ミスに遭遇したその日の手術前に撮影したものだったそうです。


ここからあの悪夢が始まったんだなとしみじみと他人事ながらも感じ涙がポロポロと顔を落ちていきました。


私のインスタグラムやTwitterの出逢いって趣味の検索からきていることが多いとは今までにさんざんお話てしていましたが、勘違いでズルズルと別のキーワードで探してしまい肝心要(かなめ)の正しいデーターを見落としたりしてました。


普段の仕事でも見落としが多い様子なので今後は足許をしっかり確認しようと決めたのでした。

私はわたし、貴方はあなた


こんばんは🌙😃❗️7月に入ってステリン様が方々からやって来て嬉しい悲鳴をあげております。


それにてるてる坊主やどんぶらこも増えていたり、お部屋で熱中症でステリンになったり


今日のテーマは「私は私、貴方はあなた」です。


何が共通点かと言うと…トモミはX(旧 Twitter)、サナタンはInstagramでそれぞれ投稿していますが二人とも文章を良く読まず誤字脱字のまま投稿していると言う点にかぎります。


因みにトモミは一応成人していまして小料理屋🍆の女将(と言う事になってます)をしていますが本業が多忙を極めたため現在は小料理屋は休業している状況です。


一方サナタンの方はピチピチのギャル(死語なのは判っております)のSeventeen-2の立ち位置にいます。一応義父なのですが…ホントかな🤔と首を傾げております。


この二人の共通点は誤字脱字の多さと言う点になるのですがトモミの方は誤変換の嵐ですし、サナタンの方は重ね文字と言うか余分な字が多く踊っているのです。


いゃあ、トモミのお陰でサナタンの誤字脱字を読んでいても屁でも思いませんね。寧ろ懐かしく思ったりしております。


今日たまたまサナタンのInstagramで投稿した文章を読んでいて…この脱字祭りはトモミそっくりだなとある意味感心しております(んな事褒めるヤツいるか?)。


私も結構誤字脱字が多い様なので気を付けてこのブログは書いております。しかし、実際の字(直筆、自筆)は書いた私でも読めたものではないのです。これは持病の影響が強く出ています。長時間ペンを持ってもの書きをしていたら、手が震えだして痺れも出てきてそれ以上書けなくなってしまいます。


なので勤務先では極力自筆をしないでいい様にパソコン入力で対応するようにしています。


これが私の自筆です、言葉の意味は特にありませんが。

ね、雑でしょ。これでも私のキレイな方の字ではあるのですけどねニコニコこれでもキタナイと思うあなた…私はわたし、貴方はあなたなのでそっとしておいて下さいね。

と言う私がほじくりかえしているのかもしれませんね。

おしまい。

カエル買うべきだったモノカエル

 

こんばんは、今日も夜勤で3日目です。残り2日残っております笑い泣き

今日の夜勤明けのハーフタイムに自宅近くのエディオン行ってました。お目当てはBluetooth対応のイヤホンと台所の換気扇の替えフィルター。で購入したのはフィルターだけになりましたがニヒヒ絶望

 

ではなぜ今更Bluetoothイヤホンを購入する気になったのかと言うといつもの方のINSTALIVEが夜勤中にあるようになりそれを聞くために館内に出てリスニングしながら館内の見回り警備を行うようになったのは良いのですが、流石にLIVE中ずっと持ち場から離れるのもどうかと思い実際に商品を見に行ったのは良かったが…絶望

 

チーン種類が多すぎてチンプンカンプンチーン」機械音痴でない私でも困り果てる始末で何を買えばいいのかが分からず仕舞いでした。

 

今流行しつつある「骨伝導式イヤホン」や「補聴器サイズのイヤホン」、価格もピンからキリで何を買えばいいのかま~ったく理解不能に陥りました。仕事中にハンズフリーで通話ができるみたいですがここで問題が一つ。それは私が現在耳の強烈な湿疹で治療中ということもありイヤホン自体が使えない事がありました。

 

今回は一先ず商品を見て給料日頃に考えてみようと思い帰宅したのですが…笑ううさぎ

恐れていた事がやはり起きました。こんな日にINSTALIVEを急に始めたのでバタバタ館内巡回に出るというハプニングになりました。重たいカラダをゆっさゆっさ揺らしながら館内を巡回していました。

 

しかし、INSTALIVEをしだしたのはもう一人いたのです。それは行きつけのおむすびおにぎり店の店主が何故かINSTALIVEを始めるというまさに「きいてないよ~あんぐり」的な事態に滝汗

 

…もういいやウインクキリがない…

 

と言うことで今日のブログはここまで。

 

イヤホンは購入することになるのか、それともどうなる琴やら三味線やらニヒヒ

 

さらばじゃ~!


画質が悪くて申し訳ないです。

行き付けのおむすび🍙店の梅おむすび🍙…1個¥130円なり。

今月はお店の店休日と臨時休業日が重なりやっと今日買えたのですが…実はある投稿見た途端急にこのおむすび🍙が食べたくなったのです。

では何が理由なのかニヤリそれは…インスタグラムのとある方の投稿写真を見て…じゅるる🤤となったのですが…、

結構…不謹慎なのですが…酔っ払い、とある方が投稿されていた手術痕を見た途端…その手術箇所の傷が梅干しに部分に似ており思わず「梅おむすび🍙」が食べたい衝動に駆られたのです。

じゃあ…切断肢見たらケンタッキーが食べたくなるとかは流石に無いです。

褥瘡面と同じ状態の画像でしたが、デリカシーが無いと良く言われます私がねニコニコ

私のインスタグラムには「理由は秘密🤫」としましたがバレたら国際問題に発展するかもしれません。

でも投稿している方もしているほうで本来なら「センシティブ設定」にしないといけないのに堂々と普通に投稿しているのだから見ているこちらはたまったものではありません。

インスタグラムって医学系投稿の場合センシティブ設定にならないみたいなのでどうなん?といつも思ったりしてます。

好き勝手書いてますが3年後に怖いことが待ち構えているのも事実なのです。

インスタグラム投稿者がAmebaブログを閲覧出来る様になるみたいなので今からヒヤヒヤしております。

此方としてはブログのネタに事欠かないので助かってはいます。

何時になるやら~思い出しただけゾッとする。

あんなこと、こんなこと、あったよね。

童謡「思い出アルバム」より⇐こんな歌詞はない。

で…梅おむすび🍙は美味しく完食しました、

ごちそうさまでした。

ウチの商売は…御愁傷様でした。

印(音)が同じなんですよね…ただそれだけです。

ではまたね👋😃。

今日も夜勤です。


何気なく夜勤です。


そして何気なく自分のこのブログを見ていたら…昨日のブログのタイトルが「後程」だけになっていたことを今(7月4日午前零時)気がつきましてバタバタタイトルを付け足した次第です。


昨日のブログは私のインスタグラムの記事を持って来て作ったのですが、スマホで原案を作ってパソコンにバトンタッチした際に仮決めしていたタイトルをそのままにして投稿していた様でした。


いやぁ失敬、失敬…って私古いなぁ😮‍💨。