前回、過去にこだわってもやっぱり今が、変わりたいと思うと書いた。気持ちは変わらないのだが、こだわりすぎて結局スタート地点に戻ってしまう
キズを癒してきたはずなのに、キズ薬がなかなか効かないなので、自分で感じているキズを確認してみようと思う
1、私が記憶に残っているのは保育園時代からである。
私は幼稚園に行きたかったのに、いつの間にか保育園に入っていた。結構ショックだった。
2小さい病気がちで、特に耳鼻科系が弱く、考えたり感じる力が弱かったそれに対して、親はお前はバカだから病気になっているんだから、人の三倍努力しろ!怒られてた。
蓄膿症がひどく、あおっぱながたまってしまうんだが、鼻水ためずに、お金を貯めろ!と稼ぐ事のできない子供にどうしろ!と思ってた。
3実家は自営で、お金には困らなかったが、両親は忙しく喧嘩が絶えず、父は女に走り、当時携帯なんてないから、直接女から父に電話があり、堂々と連絡を取り合っている姿があった。母は育児ノイローゼでこうなった。とうつ病みたいになり、学校から帰っても、ため息されて、いつも寂しい気持ちだった。私が悪いから、笑っていればきっと家族が幸せになるんだ。と努力し続けてた。
4お友達がやっていた水泳を始めたが、お腹を壊しやすく耳鼻科系の弱い私は中耳炎良くおこし、あまり上達しなかったのに親からはどうせやるなら、オリンピックを目指すぐらいやりこな!などプレッシャーを浴びせられた。
だけど小学校三年から、中学二年まで頑張ったおかげで一通りは泳げ、のちにトライアスロンができるようになっていった。それはありがたいと思った。
5週末になると時々親戚に預けられ、大好きな従兄弟のお兄さんのところに行けるのはいいのだが、いつも大人の目を盗んで、性的いたずらをされてたさわれ!さわらないとぶつぞ!とか
ただでさえ、親に嫌な思いを抱いていて、大好きだった従兄弟のお兄さんだったのに毎回エスカレートしていくのが怖かった
親にも、従兄弟のお兄さんにも嫌われないようしてたから、我慢して黙ってた。特に親からは誰にも家の話は絶対するな!親はもちろん大人には敬語使え!
押し迫る言葉に、喜んでもらいたい!とは違う言葉が出てしまいいつもお前は馬鹿。お前は馬鹿。結婚して孫に対しても、親のお前が馬鹿だから孫も馬鹿だ。と何も変わらなかった
それでも親孝行したいと思うのはやっぱり馬鹿だからだろうか。