今から18年前の10月だった。日付は14日とか、そんな感じだったと思う。

19歳になったばかりの青春時代。


民間療法だった。
薬局のおじさんとおばさんがお世話してくれた。
わたしはクリームとか入浴剤とかローションとかシャンプーとか栄養ドリンクとかサプリとか買った。
月8万くらいかかった。

6年くらいその薬局に通い続けた。


わたし、車を何台買えただろうか…と思う…






脱ステ開始から14年間、全くステロイドを使わなかった訳ではない。




わたしは脱ステを始めた年は幼稚園の先生になるため短期大学に通っていた。1年生だった。

夜間部だったので18時〜21時までの授業で夏休みはなく、卒業まで3年制だった。


脱ステ開始するまで一度も学校を休んだことがなかった。夢を叶えるための、好きなことの勉強は楽しかった。

10月。脱ステ開始して暫くは通ってた。
11月くらいから休みがちになり
殆ど学校へは行けなかった。

単位が心配だったけれど、
それまで無欠席だったからか、ギリギリ単位が取れ二年生にあがれた。


二年生に上がったばかりの頃に
健康診断があった。内科検診で肌を見せるのが嫌だった。
やっぱり言われた。

なんてひどい。医者には行ってる?行った方がいい。



わたしはやっぱり不安になってしまい
ステロイドを使わない皮膚科を見つけて受診した。

その皮膚科はステロイドは使わないがプロトピック治療をしていた。


わたしは脱ステと脱プロトピックをしていたから
疑問に感じたけれど、

皮膚科の先生は、プロトピックはステロイドとは違う。大丈夫。と言う。

毎日塗るのではなく、徐々に減らしていって最終的には使わなくなる。という治療。


わたしは疑問に思いつつもプロトピック治療を始めてしまった。
徐々に減らしていったが、うまくいかず、
結局塗り続けてしまうので、わたしには合わないと思って1ヶ月位で止めた。



再び、脱ステ脱プロトピックの日々。


良くなったり、悪くなったりをずっと繰り返していた。


短大3年生の夏、二週間泊まり込みの施設実習があった。乳児院だった。


この体での泊まりは不安だったので、二週間限定でステロイドを塗ることを決め実習に挑んだ。


実習を終え、わたしは自分が決めた通り再びステロイドを絶った。



またリバウンドを繰り返した。
わたしは頑張った。





短大卒業後は幼稚園に就職した。
完治はしていなかったけれど、働ける位には回復していた。

脱ステ4年後、あともう一息!というくらいに回復した。あとは時間が解決してくれる。そう思ったので結婚した。23歳だった。



一年は元気だった。共働きでがんばった。
家事をこなしながら仕事もバリバリこなす女性に憧れてた。自分もそんな憧れの女性のひとりになりたかった。



結婚一年後…まさかまさかの大悪化。
特に胸が痛くて、乳首がただれて痛くて辛かった。胸は乳腺炎だった。


その時から再び闘病生活がはじまった。
油砂糖抜き。更に小麦粉抜き。
肉などの動物性タンパク質を止め、
本当に食べられる物がなくなった。
生理が止まった。

栄養失調になっていたと思う。


働ける体ではなかった。 
休みがちになり、
仕事はクビになった。

寝込むようになり…
それでも、漢方飲んだり、整体いったり、腸洗浄したり…頑張ってた。


夫は看病疲れ。
離婚を申し出され、わたしはうつ病になった。




そんなある日、アトピーだった教え子のお母さんから連絡が入り
なかなか予約がとれない土佐清水の⚪︎⚪︎病院の予約が取れたから一緒に行きませんか?
車で送りますのでと誘われた。

⚪︎⚪︎病院て、ステロイドを使うよね?って思ったのだけど、
行くだけだったらいいか、行くだけ行ってみようと足を運んだ。

誘惑に負けてしまい…
ステロイドの入った塗り薬を買った。


またまた誘惑に負けて、
使った。

はじめは5日間毎日塗り続けて、そのあとはたまに。そんな指導だった。
5日間つけたらみるみるきれい。

あとは出た時に出た所のみ、たまに塗るくらい。



そのうちに、ステロイドを塗らなくてもいいくらいになっていて

何ヶ月もステロイドを塗らないで過ごせていて、

アトピーが治った!と勘違いして

土佐清水の塗り薬はゴミに捨てた。



一年後くらいかな…
忘れた頃に再び大悪化。

もう薬は捨てちゃったし、と思って

耐えた。
5年くらい耐えた。悪化した状態のまま。




つづく。